表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
殿下、いつでも婚約破棄してくださって大丈夫です!  作者: krm


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
6/15

6話 殿下、距離がちょっと近すぎませんか?

「婚約破棄してください」なんて言葉を口にしてしまった自分を、今になって全力で殴りたい。

あれから、気まずさ全開の空気の中、散歩は続行中だった。

殿下は歩調を緩めることなく、なぜかぴったりと僕の隣を歩いている。

(……いや、近い。近いんですけど!?)

肩が触れそうな距離。なのに無言。足音だけが並んで響く。もう、空気が痛い。

あんなに怒っている様子だったのに、どうしてこんな距離で歩くんだろう。

そんなことを考えていたせいか、足元への意識が完全に抜けていた。

「あっ――」

石畳の段差につま先が引っかかり、体が前に傾く。

転ぶかも――と思ったところで、肩が強く引き戻された。

「……気をつけろ」

気づけば、殿下の手が僕の肩を支えている。

思ったより力強くて、思ったより――近い。

「す、すみません……!」

慌てて体勢を立て直そうとしたのに、なぜか手は離されなかった。それどころか、そのまま肩を支えられた状態で、再び歩き出す。

(……あれ?支えるの、もう終わってよくないですか!?)

殿下は何も言わず、当然のように僕の肩に手を置いたまま、歩き続けていた。

怒っているはずなのに。

距離を取られるどころか、むしろ縮まっている。

(な、なにこの状況……落ち着かない……)

庭の門を抜け、廊下に戻った頃には、僕の背中は汗でじっとりしていた。


そのまま食堂に着くと、長いテーブルの中央に料理が並べられていた。

香ばしいパンの香りと、湯気を立てるスープの匂いが漂ってくる。

(あ……美味しそう……)

さっきまでの気まずさが、胃の奥からじわじわと薄れていくのを感じる。誰だって、空腹には勝てない。

「……ここに座れ」

短い指示とともに、殿下が自分の隣の椅子を指していた。

「……はい」

広い食卓なのに、当然のように隣。僕はぎこちなく腰を下ろした。

「いただきます……」

スプーンを持つ手が震える。緊張のせいだ。

けど、ひと口スープを飲んだ瞬間――

(あっ……おいしい……)

野菜の甘みがじんわりと広がって、体の芯に染み渡る。

ああ、なんて幸せなんだろう。さっきまでの気まずさも、不安も、いつの間にか遠くへ追いやられていた。

それに、たくさん歩いたせいか、余計に美味しく感じる気がする。

「……歩いたあとは、味の感じ方が変わるだろう」

殿下の声が、すぐ隣から落ちてくる。

「は、はい!なんというか……全部、二割増しくらいでおいしいです!」

正直な感想を言うと、殿下は一瞬だけこちらを見て、ほんのわずかに息を吐いた。

「……そうか」

それ以上は何も言わず、静かに食事を続ける。僕の皿が空きかけると、殿下が給仕に目配せをして、次の料理が運ばれてきた。

(……え?)

あまりにも、ぴったりすぎる。まるで、僕の食べる速さを見計らっていたみたいな……。

(……いやいや、さすがに考えすぎだよね)

殿下が、僕のペースに合わせて気を遣うなんて。

「午後も動く。しっかり食べておけ」

「えっ、あ、はい!」

僕は素直にフォークを取り、再び料理に向き合った。

(……殿下、怒ってるんだと思ってたけど)

横顔は相変わらず冷静で、感情は読めない。けれど、さっきから妙に世話を焼かれている気がして、首を傾げる。

(……そうでもない、のかな?)

たぶん。うん、そういうことにしておこう。

今は昼食がとてもおいしいし、午後のことは――お腹いっぱいになってから考えればいい。

そう思いながら、僕はもう一口、パンをかじった。


午後は、殿下に連れられて王宮内を少し歩いた。

魔獣討伐の説明を受けたり、訓練場を遠目に眺めたり――色々案内してもらったはずなのに、正直あまり頭に入ってこなかった。

ただ一つ、気になったのは――殿下が、やけに近いこと。

人が多い場所では、自然と前に立ち。少しでも段差があれば、当然のように腕を取られる。

(……もしかして、僕ってそんなに足元おぼつかない?)

不思議に思いつつも、特に深く考えなかった。


夕刻。

高い天窓の向こうで、空がゆっくりと藍色に染まり始めていた。昼よりも静かな食堂には、柔らかな灯りが落とされ、長いテーブルの上にはすでに夕食の準備が整えられている。

(わあ……夜の王宮ごはんも、やっぱりすごい)

昼より灯りが落ちた食堂は、なんだか大人っぽい雰囲気だ。並んだ料理まで昼とは違って見える。思わず目を輝かせていると、すぐ隣で椅子が引かれる気配がした。

「……ここだ」

「は、はい」

返事をしながら腰を下ろす。また殿下の隣だけれど、不思議と昼ほど心臓はうるさくならなかった。さっきまでずっと一緒に歩いていたせいか、距離の近さにも少し慣れてきている。

(……殿下って、基本的に隣に座るんだな)

そう思うことにして、気持ちを落ち着ける。

料理が並び、僕はまずスープに手を伸ばした。湯気と一緒に立ち上る香りに、自然と肩の力が抜ける。

(あ、これ、好きなやつだ)

一口含むと、温かくて優しい味が広がった。食べることに集中すると、周りの空気も穏やかに感じられてくる。

「お前は……酒は飲めるのか」

不意に投げられた問いに、スプーンを止める。

「へ?あ、えっと……嗜む程度には」

正直に答えると、殿下は小さくうなずいた。

「そうか」

殿下はそのまま視線だけで侍従に合図を送る。ほどなくして、淡い琥珀色の液体が入ったグラスが二つ、音もなく置かれた。光を受けてきらめくそのお酒は、見るからに上等そうだ。

「王都近郊で採れる果実を使った酒だ。甘口で飲みやすい」

「へぇ、すごく綺麗な色ですね」

「飲んでみろ」

すすめられるまま口をつけると、まろやかな香りが広がった。ほんの少し酸味があって、後からじんわりと体が温まる。

「……おいしい」

自然と笑みがこぼれる。

すると、殿下が少しだけ眉を動かした気がした。初めて見る表情だ。

(……あれ?今、殿下、ちょっと優しい顔したような?気のせい?)

グラスをもう一口。

食事も、驚くほど美味しい。肉の旨味も、スープの香りも、酔いのせいかどこか夢の中みたいにふわふわしていた。

「……顔が赤いな」

「そ、そうですか?ちょっとぽかぽかしてきたなーって」

「飲み過ぎるな。夜、倒れられても困る」

「……よ、夜?」

殿下はナイフとフォークを静かに置き、こちらへ視線を向けた。深い青の瞳が、揺れる蝋燭の灯を映して、ひどく澄んでいる。

「夕食のあと、お前の部屋に行く。話がある」

「……へっ?」

一瞬、酔いがすっと引いた。

でもすぐにまた、胸の奥がどくんと跳ねて、熱がぶり返す。

(……話?話って、何の……?)

ぼんやりした頭で考えかけて――そこで、はっとした。

(……あ、そういえば……)

僕、昼間に……婚約破棄、とか……言ったような。

遅れて思い出した事実に、背中を冷たいものが走る。

しかも殿下、あのとき——確か、怒っていた。

(もしかして……その話……?いや、絶対そうだよね……!?)

そう思った瞬間、心臓が一気にうるさくなる。

怖いのに、なぜか視線を逸らせない。殿下の瞳は、感情を読ませないまま、じっと僕を捉えていた。

「……何か、問題があるか?」

低く落とされたその声に、背筋がぴたりと伸びる。

「い、いえ……ありません……」

僕は反射的に首を振り、こくこくとうなずくしかなかった。

――ああ、これ。

絶対、穏やかな話じゃない。

酔いの熱と、不安と、わけのわからない高鳴りが混ざり合って、胸の奥が落ち着く気配は、まるでなかった。


部屋に戻ると、ばあやさんがにこやかに出迎えてくれた。優しい笑顔に、少しだけ肩の力が抜ける。

「お食事もお酒も、お口に合いましたか?」

「あ、はい……すっごく美味しかったです……」

「それはようございました。お風呂も沸いておりますよ」

「ありがとうございます……」

ばあやさんに促されるまま浴室へ向かい、服を脱いで湯船に身を沈める。途端に、全身を包むお湯の熱に、思わず小さく息が漏れた。

「あぁ……気持ちいい……」

肩まで浸かると、昼間からの緊張や、訳の分からないどきどきまで、ゆっくり溶けていく。

(ご飯もおいしかったし……お酒もちょっと飲んじゃったし……)

湯の熱で白く霞んだ視界の向こうを、ぼんやり見上げた。

(今日は……なんかいろいろあったような気がするけど……)

ゆっくりと息を吐き、目を閉じる。心も体も、すっかり緩みきっていた。

お風呂から出ても、湯上がりの肌がまだぽかぽかしていて、髪を拭きながらベッドに潜り込む。

「はぁ……幸せだなぁ……」

柔らかい寝具に包まれて、思わず目を細めた。

(なんか……大事なこと、忘れてる気がするけど……まあいっか……)

ふわりと意識が溶けかけたそのとき――

コン、コン、と扉がノックされた。

「……ルイス」

低く落ち着いた声――殿下だ。

(あ、忘れてたのこれだ……!)

慌てて体を起こす。けれど、湯上がりと酔いのせいで体がほかほかして動きが鈍い。

扉が静かに開く音がして、月明りの中に立つ殿下の姿が見えた。

その瞳が僕を見て、一瞬――ほんの一瞬だけ、息を止めたように見えた。

「……入るぞ」

殿下の声が、いつもより少し低く聞こえる。その音が胸の奥でくすぐったく響いて、僕はわけもわからず息を呑んだ。

(え、えっと……なんか、部屋、急に暑くない……?)

自分の頬が熱いのは、お酒のせいか、それとも――

夜の静寂がゆっくりと部屋を包む。緊張と酔いと、なぜか心臓の鼓動だけが大きく響いていた。

――どうしよう。僕、本当にこのあとどうなるの?

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ