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殿下、いつでも婚約破棄してくださって大丈夫です!  作者: krm


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13/15

13話 殿下、なんで庇ったんですか!

落ちる。

そう理解した瞬間、世界が音を失った。

風の感触だけがやけに鮮明で、体が空に放り出されたまま、時間が止まったような感覚。

(あ、これは――)

もう、だめだと思った、そのとき。

「ルイス!!」

名前を呼ぶ声が、空気を切り裂いた。

同時に、強い力で引き寄せられ、そのまま胸の中へ抱き込まれる。殿下の腕だ、と気づいた時には視界が激しく回転していた。

上下の感覚は失われ、体は何度も斜面に叩きつけられる。土の匂いが鼻を突き、湿った草が肌をかすめた。

何がどうなっているのか分からない。それでも——殿下が僕を抱き込んだまま離さないことだけは分かった。僕に来るはずの衝撃を、殿下が先に受けている。なのに、抱き込む腕は少しも緩まなかった。

やがて、体が前へと投げ出されるように放り出される。次の瞬間、強い衝撃とともに、ようやく動きが止まった。

しばらく、呆然と横たわる。耳鳴りと、自分の荒い呼吸だけが、異様に大きい。

(……生きてる?)

恐る恐る指先を動かすと、腕も、脚も、ちゃんと感覚があった。崖を転がってきたはずなのに、あまりにも痛みが少なすぎる。

「……ルイス」

すぐ近くで、かすれた声がした。

「っ、殿下!」

殿下は地面に片膝をつき、浅く息をしながら、僕の様子を確かめてくる。

「大丈夫か」

「は、はい、僕は全然……」

自分の体を確かめながら答えると、殿下は張り詰めていたものを緩めるように、ゆっくり息を吐いた。

そして、そのまま視線を自分の体へ落とす。

つられるように僕も視線を向けて――息を呑んだ。

――ひどい。

外套はあちこち裂け、泥と血が滲んでいる。

腕も顔も擦り傷だらけで、鎧の縁は歪み、まともな形を保っていなかった。

「殿下、それ……っ」

言いかけた僕に、殿下はいつもの落ち着いた声で答える。

「この程度、問題ない」

そう言って、軽く肩を回してみせる。

けれど、その動きは、どこか引っかかるように鈍かった。

「これくらい、訓練のうちだ」

平然とした調子のまま、立ち上がろうとした、その瞬間。殿下の体が、わずかに揺れた。

「……っ」

短く息を詰める音が、はっきり聞こえる。

「殿下!」

思わず駆け寄ろうとすると、制するように手が上がった。

「大丈夫だ」

即座に返ってきた言葉とは裏腹に、地面についた足を、かばうように重心を逃がしている。視線の先、ブーツの隙間から、赤黒い染みが静かに広がっていた。

「……足!怪我してますよね!?」

一瞬、殿下は目を逸らし、それから観念したように小さく息を吐く。

「落ちる途中で、岩に引っかけた」

「そんな……!」

「動けなくなるほどじゃない。救助が来るまで、持たせればいい」

その言葉が、胸に重く沈む。

――僕を助けるために。

分かっていたはずなのに、今さら現実のように押し寄せてきた。

あの崖の上で、殿下は一瞬も迷わなかった。剣を捨て、躊躇もなく飛び込んできた。

その結果が、目の前の傷だらけの体と、痛みに耐えながら立とうとする姿。

殿下ともあろう人が。国を背負う人が。

ご飯のことばっかり考えてて、何もできない僕なんかのために。喉の奥がきゅっと詰まり、うまく息が吸えなくなる。

「……なんで」

かすれた声が、勝手に喉から漏れた。

「なんで、そこまで……」

何を知りたいのか、自分でもうまく分からない。それでも、聞かずにはいられなかった。

殿下は不思議そうに眉を寄せ、それから当たり前のことのように言う。

「守ると言っただろう」

ただ、それだけだった。

大げさな言葉も、特別な表情もない。それが当然だというような口調なのに、その一言が胸の奥に深く刺さる。

守ると言ったから守る――ただそれだけのことを、殿下は本気で貫いたのだ。

胸の奥が、じわりと熱を持つ。心臓が、さっきの落下よりもずっと激しく鳴っていた。

殿下の手が、そっと僕の肩に触れる。怪我だらけの手なのに、その感触は驚くほど優しい。

「怖かったか」

低い声で問われて、うまく言葉が出ない。

怖かった。今もまだ、心臓は落ち着いてくれない。

なのに胸の奥では、それとは別の熱がどんどん大きくなっていく。

この人は、自分の体より先に、僕を守ろうとしてくれた。その実感が、遅れてじわじわと全身に広がっていく。

ちゃんと何か言いたいのに、声が全然出てこない。ただ、殿下のぼろぼろの外套を、無意識にぎゅっと掴んでいた。

その時。

頭上の森から、低く湿った唸り声が落ちてきた。

背筋がぞわりと粟立つ。殿下の視線が一瞬で鋭くなり、僕を庇うように腕を伸ばした。まともに動くのも辛いはずなのに、それでも僕を庇う腕は少しも揺るがない。

次の瞬間、崖の上で木々が激しく揺れ、ばらばらと土が降ってくる。

魔獣の咆哮が、崖の縁から叩きつけるように響いた。

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