10話 殿下、またお茶会に行きたいです!
「ルイス」
目が合った瞬間、殿下の腕が当たり前のように僕の肩を抱き寄せた。
「っ、で、殿下?」
整った横顔がすぐそばにあって、柔らかな金の髪が頬をかすめる。わずかに息が上がっている気がした。
殿下は周囲を一瞥してから、僕をさらに強く抱き寄せて、低い声で言う。
「何かされたか?」
「え?な、何かって……?」
僕はきょとんとして首をかしげた。
「えっと、みんな親切でしたよ。お菓子もすっごく美味しくて、特にアップルパイが最高で……!」
「……そうか」
一瞬、殿下の表情がわずかに緩んだ気がする。
その目は安堵しているけれど、同時に、深いところで何かを押し殺しているようにも見えた。
「だが――」
殿下は僕を軽く離し、サロンを見渡す。その視線を受けた令嬢たちが、ばっと一斉に姿勢を正した。
静まり返る空間に、彼の低い声が響く。
「俺の留守を狙ってルイスを呼び出すとは、随分と軽率な真似をしたな。偶然では済まされぬぞ、レティスリア」
レティスリア様は一瞬で青ざめ、それでも必死に笑顔を保とうとした。
「そ、そんな……私たちはただ、ルイス様とお話したくて……」
「そうか。だが――その『お話』が品位を疑われるものでなければいいがな」
殿下の声は穏やかだったが、サロンの空気がぴたりと凍る。
誰もが息を飲み、レティスリア様は震える指先をティーカップに添えた。
「そ、そのようなことは……ありませんわ……」
「ならばいい」
殿下は静かに言い切ると、僕の肩に手を置き、柔らかく引き寄せた。
「ルイス」
「は、はい?」
殿下が僕を見つめる。その目がやけに優しい。
「……無事でよかった」
小さくそう呟くと、彼はため息をつきながらも、僕の髪を撫でた。
(え、何がそんなに心配だったんだろう……?)
「帰るぞ。こんな空気では、お前の大好きなお菓子の味も落ちる」
「えっ、でも!まだ食べてないお菓子が――」
「同じものを、城のパティシエに作らせよう」
「え!?ほんとに!?」
「もちろんだ」
僕がぱっと笑顔になると、殿下の表情も少し和らいだ。
(うん、やっぱり優しいなあ、殿下)
名残惜しさを胸に、僕は立ち上がる。
「皆さん、今日はありがとうございました!またお茶しましょうね!」
「……」
令嬢たちは一斉に沈黙したまま、微笑とも苦笑ともつかない表情を浮かべていた。
――きっとみんな、急に殿下がやって来て驚いてるんだな。
そんな気がしたので、僕は気にせずに手を振った。殿下に手を取られ、扉の向こうへと歩き出す。
(……お茶会って楽しいなあ。また呼んでもらえるかな)
そんなことを考えていると、繋がれた手に、きゅっと小さく力が込められた。
馬車が王城への道を走り出す。
昼下がりの柔らかな陽が、窓越しに揺れていた。
「……本当に、何もされなかったんだな?」
殿下が隣で低い声を落とす。
その声音にはまだ少し怒気が混じっていて、僕は思わず背筋を伸ばした。
「な、何もされてません!お茶もお菓子もちゃんとおいしくて、紅茶なんて三杯も……」
「紅茶の回数は聞いていない」
「えっ」
殿下が小さく息をつく。
眉間に寄った皺が解けないまま、僕の頭をそっと撫でた。
「本当に、少しでも嫌な思いをしたらすぐ言うんだ。お前は悪意を向けられても気づかないところがあるからな」
「えっ、そうですか?僕、けっこう人の気持ちには敏感な方だと思うんですけど」
「……今日のお茶会で、誰が嫌味を言っていたか分かるか?」
「え?」
「つまり、そういうことだ」
殿下の返しがあまりにも即答で、言葉を失ってしまった。なんだか、すごく納得いかないけど、否定もできない。
「でも、レティスリア様たち、すごく気をつかってくれましたよ。みんな礼儀正しくて、優しい人たちでした」
殿下の肩が、ぴくりと動く。
「……優しい、か」
「はい!それにあんなに美味しいアップルパイを用意してくれるなんて、いい人に決まってます!」
「ルイス」
「はい?」
「お前は……本当に、心が清らかだな」
「へっ?」
殿下は額を押さえ、小さく息を漏らす。呆れたような仕草なのに、その目元だけはどこか優しかった。
「お菓子なら、もうすぐ城でも食べられる。パティシエに命じて、アップルパイを作らせてある」
「えっ、ほんとに!?殿下すごい!」
「お菓子を残してきたのが心残りだ、とか言い出すと思ったからな」
「だって本当に美味しかったんです!殿下にも食べて欲しいって思うくらい……」
その言葉に、殿下がわずかに目を細める。
「……ああ、城で一緒に食べよう」
そう言って、殿下は僕の頭を撫でた。その手が、いつもより少し長く髪の上に留まっていた気がする。胸の奥がくすぐったくなって、自然と笑みがこぼれた。
「ありがとうございます!やっぱり殿下って優しいですよね!」
「そう思うなら、次からは危ない場所に行かないことだ」
「え?お茶会って危ない場所なんですか?」
「お前が行くと、な」
意味が分からず首をかしげる僕を見て、殿下の口元がわずかに愉快そうに緩む。
よく分からないけど、なんだか殿下が楽しそうなので、まあいいかと思った。
馬車は、穏やかな午後の光の中を静かに走っていく。
その空間だけは、外のどんなざわめきからも切り離されたように、やけに心地よかった。




