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「負ける」ということ

 

 オークを相手にしたときは何も恐れなどなかった。

 というより、色が見えなくなってからは危険を感じても恐怖を感じることはなかった。


 だが、ミノタウロスは違った。

 あいつを前にすると、勇者シンのあの悪魔の力の威圧感、オーラを思い出し、足がすくんでしまった。


 折れた剣を構える俺に、勇者シンが向かってくる光景がフラッシュバックした。


 動けなくなったんだ。

 俺の身体はミノタウロスを相手にしていたが、心はその場にいなかった。


 一瞬の反応の差が、迷いが、命取りになる。


「ファウスト君!」

「ファウスト!!!」

 2人の声が聞こえたとき、俺はもう意識を失っていた。




「目が覚めたかの? どうじゃ、身体の具合は?」

「俺は……、いったい……」


 まだ頭が回っていない。少し寒気がするが、体に異常はなさそうだ。


「バンシーが命の泉の水を急いで持ってきてくれなければ、危うい状態じゃったな。ミノタウロスはワシが追っ払った」


 そうだ、ミノタウロス……!


「俺は、失敗したんですね」

「そうじゃな、お前さんは負けた」


 俺はベッドから降りた。


「やはり悪魔憑きの身体になってきておる。回復がはやい。命の水の効力があるとはいえ、1日寝ただけでここまで良くなるとはな」


 先生は深刻そうに言う。


「まあ、それは一旦置いておこうかの。ファウストよ、なぜ動かなかった?」


 先生は稽古モードだ。


「俺は……、動けなかったんです。あの勇者との戦いを思い出してしまって……」


「最近の言葉で言うとトラウマ、というヤツだな」

「そうかもしれません。負けが決まった、その瞬間が、俺には何か……」


 どう表現すればいいのかわからない。

「無力感に包まれたというか……もう何をしても変わらないんじゃないか、って思ってしまいました……」


 でも本当によかった。前回は目が覚めると最悪の状況で、目の前で魔女を殺された。前は心まで殴殺されたような気分だった。

「いかんな。お前さん、目が死にかけとるぞ」

 目が、死にかけてる……俺の目はもう灰色で、死にかけてますよ。


「死ぬより、まだ復讐心があった方がマシだ。お前さんはそれでいいのか?」

「……嫌です」

「何が嫌なんだ? 死ぬことか?」

「いえ……死ぬのも嫌ですが、何もできないのが嫌です。俺は、もう理不尽な力に翻弄されたくありません。弱いのは嫌です」

「そうか、なら甘えるな。顔を上げろ、ファウスト」


 先生はより真剣に厳しく、でも優しい響きでこう言った。


「お前さんは決闘で負けた。あやつとの心の勝負でも1度は敗北した。だから己自身には負けてはならん。決して負けを認めるな。戦え。殴られ、蹴られ、切り飛ばされようとも、戦い続けろ。これは何も外的からのものに限らん。己の中にあるものとも戦うんだ。時には強敵に立ち向かわなければいけない時も来るだろう。勝てない相手からは逃げろ。逃げてもいい。だが、諦めるな。勝てなくても、負けない限り、負けじゃない」


「俺は1度負けた……」

「そうじゃな。さぁ、どうする? もう稽古は終い(しまい)にするか?」

「……いえ。俺はまだやれます。教えてください!」

「ホッホッホ、よかろう!」



 また修行が始まった。

 稽古が終わっても先生の口調はずっと稽古中のままだ。途中から46時中ずっと同じ言葉、態度だった。


 俺は弛んでいた。座学で寝るなんて、本当に弛みすぎていた。

 これからは今までの分を取り戻さないといけない。

 負けたくない。もう負けたくないんだ。

 だったら、強くならないといけない。誰よりもだ。


 血を吐いた時だった。

「ちょっとファウストくん、頑張り過ぎじゃない……?」

 バンシーが気を使ってくれる。

 先生までもが少しやりすぎだと諫める。

 でも俺の倒すべき相手は強いんだ。世界だ。

 その前にも倒す相手は多い。

 今こんなところで、自分になんて負けてる暇はないはずだ。


 勇者シンは天才だ。

 アイツには才能がある。純粋な強さという、この世界の真理に直結する才能だ。

 だったら能無しの俺は努力するより他ない。

 天才と張り合うには、別の分野で補い、戦わないといけない。


「効率的に程よく休むことも、また1つの技術じゃ。あまり気張りすぎるな。時には弛緩させよ。筋肉と同じじゃ。剛柔一体を忘れるな」


「はい……」

「その様子じゃと、聞く耳を持っとらんのぉ」

 ホッホッホとヒゲをしごく。

「わからんこともないが、程々にな」

「はい」


 こうして、また修行の日々が続いた。

_________________________________________

 そして、ミノタウロスとの決闘の日を迎えた。

 俺は木剣を使わないことにした。



「モオォォォォォォォォォ!!!」


 牛だな。闘牛だ。レベルは35か。


 大丈夫だ、俺ならやれる。

 こいつは勇者シンじゃないし、俺はアイツにも負けない。



 集中しろ。

 そして周りもよく見ろ。

 何か使えるものはあるか?

 土、石、転がっている少し太めの木、蔓、枝……


 よし。


 あの方向からなら……


 ミノタウロスの周りを、木の間を縫って走り、石を拾い、蔓を引きちぎり、そのまま走り続ける。


 ここだ!


 方向転換をしてミノタウロスへ直進する。

 石を思い切り顔へ投げつけながら、太めの木を拾い、それも投げつける。

 2つとも避けられたが、狙い通り隙を作れた。


 その場に落ちていた葉のついた枝を顔に投げつけ視界を遮り、膝に横から側頭蹴りをし、体勢を崩す。

 ここで蔓だ。

 ツノに引っかからないようにしながら首に蔓を巻き、全体重を乗せて思い切り背後から締め付ける。


「グモォォォォォォォォォォ!!」

 手足を振り暴れるが、こいつ関節と筋肉はディスアキアみたいに柔らかくないな。

 後ろまで腕は届かない。

 いけそうだ。

 それに……体毛が気持ち悪い……


「うわっ――!」

 いきなりミノタウロスは上下に飛び跳ね、俺を振り払おうとする。

 まるでじゃじゃ馬の上に乗っているようだが、もっと激しい。


 背中を突き合わせていたが、勢いで回転してしまい、俺は鼻をたくましい背中にぶつけてしまった。ツーンとした痛みを覚える。

 鼻血が出てきた。


「このっ――、大人しくしろ!」

「ムォォォォォォォォォォ!!!」

「嫌だよな、そりゃ」


 ミノタウロスが木に向かって突進し始めた。


「おいおいおいおい、ちょ、止まれ!」

 舌を噛みそうになる。


 激しい衝撃と共に、俺はミノタウロスの背中で宙に浮いた。


 なめんなよ、俺の投げ飛ばされた歴は帝国随一だぜ。


 投げ出されてもまだ蔓は離していない。

 なるほど。

 ここで受け身をするときに剣を離さない習慣をつけるかどうかの成果が出るのか……


 状況は刻一刻と変わる。

 そのまま蔓でぶら下がっていても、振り回されるだけだ。

 臨機応変に対応するんだ。


 さぁ、どうする。


 ツノが一瞬光って見えた。

 そうだ、ツノだ。

 俺の灰色の世界でも、鈍く光るツノ。


「おりゃ!」


 と俺は勢いよく蔓を引き寄せて、ミノタウロスの背後からツノを掴み、木を蹴ってミノタウルスごと地面に倒れると同時に、思い切り左右へ捻ってうつ伏せにしてやった。


 右へ捻った反発で左へ抵抗された瞬間、俺は力に逆らわず、ミノタウロスの望み通り、左へ捻る。


 思い切り左へと首が捻り、90度以上は曲がっている。


 いける。

 この太い首でも、このままだったら折れる……!


 こいつ、鼻息荒いな……


 俺を横目で睨むこの目は、決死の覚悟をした目だ。

 俺も負けじと睨み返す。


 その後は持久戦になった。


 ツノを持つ手が汗で滑り、腕もずっと力を込めているから痺れてきている。

 一瞬でも気を緩めれば、持っていかれる。

「早く諦めろ!」

 俺は睨みながら、そう目で訴える。

 ディスアキアのように、どっちが強いかを教えてやる、というように、余裕の目で。


 ミノタウロスの抵抗が徐々に弱まってきた。

 この感覚、知っている。

 まだ絶命していないが、こいつの目は死んだ。

 光が消えていく。

 ミノタウロスの首から力が抜けた。

 そのまま、骨の折れる鈍い音と感覚が伝わってきた。


 ああ――、


 死んだ。

 俺が殺したんだ。



 疲れのあまり、俺は地面に大の字に転がった。


 パチパチパチと、拍手が聞こえる。

 バンシーが俺の上を飛びながら、笑顔で言う。


「すごいよ! ファウストくん! 本当に素手で勝っちゃった!」


 先生が寝転がって動かない俺に向かって歩いてくる。



「よくやったな、ファウスト。だが、まだ終わっていない」

 と俺にのこぎりとシャベルを渡してくる。


「そいつでツノを切り、埋めてやるんだ」


「はい」

 俺は受け取り、言われた通りにした。


 ついに俺は、合格したんだ。


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