睡魔と座学
晩ご飯を食べた後は決まって座学だ。
最近だと、俺は最後の方はうたた寝していることが多い。しかも実はまだバレていないのだった。
今日は妖精バンシーも聴講している。
「お前さん、悪魔教を解体することを目指してみんか?」
「悪魔教の解体、ですか?」
「そうじゃ、お前さん、魔王軍の正体について知っておるか?」
老爺は薬草を煎れたお湯を飲みながら、そう言った。
「最果ての地から攻めてくる異形の魔物達、ですよね?」
「まぁそうじゃが、一概には言えんのぉ」
とまた一口飲んで続ける。
「近年各国各地に出現しておる闇のモンスターと呼ばれるもののほとんどは、実は最果ての地から来たものではないという説もある。曰く、自然発生的に出現した。曰く、誰かが新世界から連れてきた。曰く、新世界の魔法石の原石から生まれた。まぁ、いろいろ言われとるが、真相は誰にもわからん」
「わたしは森で空から降ってきたのを見たことあるよー」
なら、俺は一体なんのために召喚されたんだ?
「じゃあ一体、魔王軍つまり闇のモンスターの正体は……」
「まぁ大抵の闇のモンスターは古代ギリシアのモンスターじゃ。今は復活期と呼ばれる、古代ギリシアのあらゆるものが復活している時期なんじゃ。それは思想、学問、芸術、建築などなど、あらゆる分野に及ぶ。モンスターの復活はその悪い面じゃな。どのようなものにも、良い面と悪い面がある」
「でじゃ、」と息をついて続ける。
「その悪い面が強調され、この国では全てをひっくるめて排除されようとしておる」
「でも、モンスターは倒さないといけないんじゃないですか?」
「そうじゃな、確かに倒さないといけない場合もあるじゃろう。じゃが――、」
「じゃが?」
でも、ではなく、俺はじゃがと聞き返してしまった。
「さっきは良い側面と悪い側面と言ったが、実はそんなものはないのじゃ」
え? 全く意味がわからん。
「そんなものは、人間という立場から見たものに過ぎん。妖精や他の種族からしてみると、一部を除いてほとんどのモンスターは害悪にはならんじゃろう。むしろ、人間の方が害になっておるな。人間は自分以外のものの命を奪うだけで、自ら与えることはせん。これは今も昔も変わらん。古代ギリシアで発見された人間性というものがどれ程の変化を呈しておるじゃろうな」
「そうだねー」とバンシーが同意する。
「人間が森を切り拓いていったおかげで、この数100年間でわたしたちの住むところがだいぶなくなっちゃったよー。もう残ってるのは、この森の奥だけになっちゃったしねー」
「人間は殺すだけで、自らの命を与えることはない? つまりは他の種族に殺されることはないということですか? それは言い過ぎでは?」
「本当にそうかの? 人間の方がよっぽど多く、人を含めた生き物を殺しておるぞ?」
不意打ちめいた物言いに、ガツンと頭を殴られたような気がした。
「お前さんも知っておるじゃろ? その目で見てきたじゃろ? 自ら手を下してきたじゃろ? この世界で行われている魔女狩りを」
先生は続ける。
「新・旧神聖教の宗教戦争だってそうじゃ。一晩で虐殺された旧教徒の人数は、今まで異教徒や魔物に殺された数を遥かに上回った」
「宗教戦争、ですか?」
「そうじゃ。神聖教の考え方の違いから生まれた、どちらが本物かを決める争いじゃ。戦争が激しさを増すと、虐殺が起きた。あらゆる国のあらゆる教会で一晩のうちに、新教徒のいわゆる『慈悲深い残虐性』をもって、教会に集まっていた旧教徒が殺されたのじゃ。女、子供も構わずな。その中に、旧教徒じゃったワシの息子もいた。」
あの強面の先生の頬には涙が伝っている。
「その虐殺の裏で暗躍しておったのが、悪魔崇拝の集団、悪魔教じゃ。当時も今も、新教徒の中には悪魔教のスパイが大勢紛れ込んでおるのじゃ。1つはドミー修道会じゃな。あそこは大所帯で一番勢力が強い」
「そんなことがあったなんて……」
「神聖帝国では言ってはならんことになっておるからな」
また皇帝の情報統制か? 俺をはめたサヴォナローラもドミー修道会だった。しかもかなり位が高いらしい。ふつふつと怒りが湧いてくる。
「悪魔教を解体、か……」
確かに、まずはこいつらを始末しないといけない。サヴォナローラみたいなやつが減れば、もう少しこの世界もマシになるかもしれない。
「何をしては良く、何をしてはいけない、そうした行動規範を決めているのは宗教じゃ。1000年前の魔王の撃退以降、神聖教はそうやって社会をまとめる役割を担っていたんじゃ。じゃが今は――、」
先生はまた薬草のお茶を飲んで続ける。
「今この国には、陰謀が渦巻いておる」
「妖精族の間ではね、人間族は今騙し合いをしてるって言われてるよー」
「騙し合い、ですか……」
俺も騙された側だからな。
「そうじゃな。悪魔教など、悪どい奴らは騙しのプロじゃ。口を開けば常に人を騙しておる。神聖教と同じぐらい古くからずっと人を騙しておる」
「人間族は信じたいものだけを信じるからねー。騙し易いんだよー」
「そうか? 俺は信じられないものだって信じられるぞ?」
「それを人間不信のファウストくんが言うかなー」
ぐさりと刺さる言葉だ。
「で、でも、俺みたいなやつは幸福より、悪い側面だけが鮮明に見えるし、むしろそっちの方が多いと思ってしまうぞ? それはどう説明するんだよ? 信じたくなくてもそこに在るって分かってるぞ」
「それは知ってる人だけ。ほとんどの人はそんなことないよー。みんな頭の中、妖精のお花畑だよー」
そんなセリフを可愛い顔から出てきて、ローランを思い出した。ほらな。
「うむ。人間は信じたくないものがあれば、排除する。そうして見ないようにするんじゃ。例えば、魔女狩りなんていい例じゃろう。もし隣の村や町で恐ろしい流行病で人がバタバタと倒れていったら、その村の人たちは次は自分たちの村かもしれないと不安のあまり、不都合な現実を正当化するような理由を勝手に見つけるじゃろう。そうして噂する。これは魔女の仕業じゃと。『薬師の魔女』というイメージと『恐ろしい魔女』というイメージの間で揺れ動くのじゃ。そして一方を切り捨てる。魔女は魔法や薬草で人を助けているにも関わらず、魔女が村を襲っているのじゃと。流行病なぞ、目に見えんからの。それが在るということを信じられないのじゃ。そうして心が不協和音を奏で始める。じゃから疫病の原因であるとみなした魔女を殺そうとするのじゃ。ここに2つの排除がある」
「信じたくないもの、って例えば何がありますか?」
やばい、かなり眠い……
実を言えば、さっきから眠たい。でも寝るわけにはいかない……
だから俺は眠い頭を叱咤激励しながら、なんとか講義を聞いているフリをして質問する。
「例えば国力の低下などじゃな。聖地奪還の失敗が続き、疫病が蔓延し、異教徒の帝国が南から攻め入ろうとしておる。そこに魔王軍の追い討ちがかかって、民衆の不安は頂点に達しておる。じゃから、そういった諸々の原因は魔女のせいだ、という帝国の意図的な策略で魔女狩りが行われているのは、知っておるじゃろ? そうして裏で魔女の核と戦力を補充しておる」
「ええ、でも、魔女狩りと陰謀論にどんな関係があるんですか?」
「そうじゃな。魔女狩りが蔓延っておる原因の1つはさっき言った人間の『信じたくないものを排除する』という習性じゃ。そしてもう1つは『事実よりも感情に人は動かされる』という習性じゃ。陰謀を企てる輩は民衆の不安な心理に付け込む。それはカルトでも同じじゃ。その2つを掛け合わせて、奴らは扇動する」
「事実よりも感情が人を動かす、ですか……? 考える力を持つ、理性的な人間族には、それはあり得ないのでは?」
「なぜそう言い切れるのじゃ? よく考えてみなさい」
「……」
正直、どう反例を出せばいいのかわからない。
というより、その考える力の根源たる理性が、今まさに睡魔に負けかけている。
まさか、それを見抜いての教えなのか……!?
先生はすごいな……朝も俺より早く起きてるし、夜もここまで饒舌だ。
ずっと黙っていると先生が口を開く。
「例を挙げてみよう。帝国の端にエルザス地方という魔法石の産地がある。そこは元々戦争の後、隣国から割譲された土地じゃったから、大半の地元の民は帝国外にルーツを持つ。しかし支配するのは帝都から派遣された騎士や貴族じゃ。じゃから住民と支配層の仲は良くなくての。数年前にとうとう事件が起こった」
図書館で見た覚えがある。多分エルザス事件のことだ。
確か大勢の魔女も殺されたって……
「そこの貴族が住民に対し侮蔑的発言をしたとして、騎士と住民で乱闘事件が起きたんじゃ。問題はここからじゃ。幸い死者は出んかったが、魔法鏡で伝えられたのは、住民の死傷者が多数という知らせじゃった。その知らせを魔法鏡で聞いた隣国は大いに怒り、騎士団を派遣し、帝国騎士団と一戦を交えたほどに大事になったんじゃ。事実ではないが、感情が人を動かした良い例じゃの。他にも山ほどあるぞ」
「そ、そうなんですね……」
「まぁ、いずれお前さんも経験する時が来るじゃろう」
話が長すぎて半分くらいわからなかった。
やばい……そろそろ本格的にまぶたが閉じ始めてきた。
だが先生はまだ続ける。
「神聖教1つとってもそうじゃ。人は神を信じ、崇めてきた。そして行動規範になる道徳的教えを人々に伝え広めていった。そうすることで、人を団結させ、社会を発展させることができたからじゃ。でも、どうやって紙が貴重な時代に人々の記憶に残るよう教えを伝播したと思う? 口頭じゃぞ?」
「そこで人の感情を動かす、ですか……?」
「そう、物語を使ったんじゃ。ストーリーテリングというやつじゃな。人の感情を動かす物語を、人間は発明したんじゃ。いや、物語が時代を経ることに勝手にそうなっていったというべきかの」
よし、いい質問ができたぞ。
「なるほど。そこで、元々の事実が変形してしまった可能性があるんですね」
「まぁそれもあるが、今はそれとは論点が異なる。今論ずるべきは、悪意ある人物が大衆を扇動するために、意図して物語を作ったらどうなるのかということじゃ」
むむむ……
なら――、
「意図的に事実をねじ曲げられる、ということですか?」
「その通りじゃ。事実をでっち上げるか、隠蔽し、民衆の不安を煽って感情を動かし、自分たちに都合の良い情報を流す。それは嘘偽りの情報の場合が多い。それにより国を動かす貴族たちも騙され、策略により知識のない者が政治につき、混乱する。これを古代ギリシアでは衆愚政治と呼んだ。デマの語源じゃな。今の領邦国家が乱立しておる状況を見てみなさい」
そう言われて、サヴォナローラと蜜月な関係だった皇帝の姿を思い出した。
「そうだねー。今人間族の間で言われている魔王軍の情報とかって、何が本当なのか、全くわからないよねー」
平然と明るい顔をしているが、バンシーは眠くないのか……?
「それが奴らの狙いじゃ。もっともらしい理由を並べて事実をでっち上げ、真実が何かをわからなくすれば、もう奴らの勝ちなのじゃ」
「感情を動かす物語が、人に人を殺させている……」
「じゃから自分できちんと情報を読み取り、それをできるだけ正確に理解し、編集する。これが必要なはずなのじゃ」
「けど、出来ている人が少ない……ということですね?」
「まぁ、仕方なかろう。最近は魔法鏡など、情報媒体が増えたからの。簡単な情報、かつ感情を動かす物語はすぐに拡散するのじゃ」
「でもこれって自己責任、ですよね?」
「騙される方が悪い、と言いたいのかの?」
「そうです。騙される方が悪い。無闇矢鱈に信じる方が悪いんですよ」
「そうかもしれんな。じゃからと言って、全く信じないと言うのも、それはやりすぎじゃ。何を信じ、何を信じないかは自分が決めることじゃが、初めから全てを疑うのも良くないぞ。まずは自分の目で確かめ、頭を使って考えることじゃ。それでもわからなければ、それは心を使う問題じゃな。そうすれば軽率な行動は取らなくなるじゃろう。きちんと自分の行動に責任を持てる」
「でも人は、自分で考えるのは面倒だから、頭を使わずに済めばそうしますよね。認知コストを下げるために、権威の言うことを信じるのが大好きですよね? 神学者1つ取ったってそうですよ。あの学者が言っているのだからそうに違いないと、疑いもせずに信じる」
どこかムキになっている自分がいた。
「悪魔教の神官のことかの?」
「そうです……」
かつての自分もそうだったからだ。この人は善人に違いないと勝手に期待し、信頼を置いていた。だから、騙される方も確かに悪いんだ。
「奴らは虚言を吐いて、流布させ、その虚言が何度も反復されることで、嘘でも真実にすり替えてしまっている。それが真実の幻想じゃ。悪魔教はその道のプロじゃからな。手放しに信じず、参考程度にするのがよかろう。それに最近ではそれを生業にする者も出てきたと聞くのぉ。なんと言ったか……確か名前はケン――」
頭が回らない……眠い。
「でじゃ、魔王軍のモンスターの正体という最初の問題に戻って来る。あらゆる言説が飛び交い、一体何が本当かは誰にもわからないのじゃよ、今は」
「そう、なん……ですか……」
「そもそもじゃ、魔王がまだ生きておるかどうかすらも怪しいわい。まだその目で見た者がおらんからの。この前提が崩れると復活しておる魔物どもが最果ての地から送られてきたという説も破綻する。全ては悪魔教のプロパガンダかもしれんし、そうでないかもしれん。こうなったら、わからなくしている方の勝ちじゃ。これは南にある異教徒の帝国の策略かもしれんし、そうでないかもしれん。神聖教の国々は今、混乱の最中かにおる。」
などなど、先生は俺がうとうとしているにも関わらず講義を続ける。
先生の声が小さくなっていく……俺の頭の中では、だが。現実は相変わらず元気なままだろう。
稽古中も講義中も、先生は人が変わったように、本当に変わる。
虚な思考で睡魔と戦っていると、先生の膝の上で気持ちよさそうにしている猫が目に入った。いいなぁ……俺も早く寝たいなぁ……
それにしても、人は命を奪うだけで、与えることはしていない、か……
そういえば先生は言っていたな。
――食事をする際には、生きとし生けるものには敬意を払って感謝し、その命を頂戴しなければならない。
そうだな。確かに動物だって、もしかすれば先生の飼っている猫だって、「吾輩は猫である」なんて思っているかもしれない。
もしかすると、俺の魂はメフィストに、人間以外のものに宿されたこともあるかもしれない。人間だけが特別扱いされる筋合いなんて、実はないのかもしれないな。
人間でよかった……いや、そうでもないか。
「そうだ、やっと気がついたな、人間」
「え?」
先生の膝の上に座る猫と目が合った。
「猫? 猫が喋った?」
前にも似たようなことがあった気がしたけど……
そうだ、あの馬だ。
「ようやくお前さんも、周りが見えてきたということじゃな」
ホッホッホと、髭をしごく。
「やっとファウストくんも猫さんとお話ができるようになったねー! やったー!」
「吾輩はケットシーという妖精の一種でもあり、場所によっちゃ魔法の猫とも呼ばれている。気づくのが遅いぞ、人間」
「お前さん、普段は人と話さんじゃろ」
「寡黙だもん、猫さん」
「悪魔憑きは珍しいからな。話す機会をうかがっていたんだ。それより人間はいつまで修行するつもりだ?」
「そうじゃな。何か判断基準を設け(もうけ)たいところじゃな」
「ならば、闇のモンスターの始末はどうだ?」
「ミノタウロスのことー?」
「そうだ。最近森の動物達が奴に蹂躙されていると吾輩に言ってくる」
「ふむ……ミノタウロスか。では、お前さん、素手でミノタウロスを倒せたら、基本は合格ということにしよう」
素手で、ミノタウロスだって?
冗談もほどほどにしてほしい。
「では、早速明日、ミノタウロスを探しに行ってみようかの」
「いや、俺は明日急用が……」
「まぁなんじゃ、そんなに怖がらんでも良い。お前さんが十分に戦えると判断するまで、きちんと鍛えてやるわい」
「よかったねー、ファウストくん!」
「え、あ、ああ……」
「ディート、この人間さっき寝ていたぞ」
「なんじゃと! 講義中に寝るのは感心せんな……!」
「す、すいません!」
そうして、合格基準はミノタウロスを素手で倒すことに決まった。




