灰色の呪い
どうして生きるのか、そう思ったことはある。
でも、深く考えなくても、うっすらと気付いていた。
なぜ、には目的という形で答えがある。
僕がこの世界で生きる目的は――魂の自由のためにこの世界で足掻くこと、勇者として世界を救うことだ。
でも、新しい勇者も召喚されたことだし、1つ目的は消えた。
だったら、異端でこんなにも弱い勇者がこの世から消え去っても、誰1人として気づきもしないだろう。誰にも迷惑なんてかからないはずだ。
砂を噛むように、虚しい。
結局、闘技場で一晩を過ごした。寒気、発熱、頭痛せいで体の震えが止まらず、何度も嘔吐した。
翌朝、街をふらふらと歩いていると、子供が駆け寄ってきた。
顔は見ていないが、僕の手の傷を指して、綺麗な布を渡してくれた。
そしてすぐに立ち去っていった。
傷に当てろ、ということだろうか。
生きろって言っているのか?
多分、そんな深い意味はない。
だけど、もう少しだけ、生きようと思った。
死にたいと思っても、実際には死にたくない。
尚、生という力に恋々(れんれん)としているんだ。
目的なんて、関係ないんだ。
僕が死んだところでこの状況は変わらない。理不尽な条理は無くならない。
雨が降ったり止んだりしているので道には水溜りがいくつかできていた。
水溜りに映る自分の顔を見て驚く。
――顔つきが変わっている。まるで顔を取り替えて別人になったようだ。
「これが、僕……? いや……俺、だな……これが、俺なんだ」
この数日はまだ身体の傷が癒えきっていないから、慎重にだが、手当たり次第森の入り口付近に生息する弱いモンスターから倒していた。
くそっ。
ディスアキアは女性解放を志す、強い人だった。
俺はそんな彼女を尊敬していた。一緒にいる内に協力したいとも思っていた。
その人に、俺は魔女の命を奪わせてしまったんだ。
そんな選択を彼女に強いた俺の弱さが、情けなさが憎い。
大切な人に頼って、傷つけてしまった。
そして、捨てられた。もういらないと捨てられた。
利用価値がゼロだと言われた。
信頼していたのは、俺だけだったのか?
わからない。
もう、どっちが本音かわからない。
でも、俺が完全に1人になったことは確かだ。
それは破門された時、いや、この世界に召喚された時から決まっていたことだ。復活した時点ですでに1人だったんだ。
もう、何に価値があるのか分からない……
神は俺に自分で問題を見つけて解決しろって言っていたんだろ?
だったら、俺はこの世界自体が問題だと思う。
俺がしたことはいけないことだったのか?
魔女を助けようとしただけだ。理不尽から守ろうとしただけだ。
理不尽が正義のこの世界が、全てが問題なんだ……
考えれば考えるほど怒りが湧いてくる。
力だ、力が欲しい。
強くなりたい。
皇帝もサヴォナローラも、勇者シンもディスアキアもねじ伏せるほどの力。
――男は、この世界では強くないと生き残れない。待つのは死のみだ。男なら強くなるんだ。
ディスアキアはかつてそう言っていた。
そして剣を振る理由も聞いてきた。
その時は何も人生をかけて達成する目的なんて魔王討伐くらいしかなかったし、それも強制されたものだった。だから、そんなのが必要なのかと疑問に思ったほどだった。
けど、今はっきり言える。
殺してやる。
そして、俺が欺瞞に満ちたこの国を、この世界のルールを壊してやる。
そうだ。
ぬるま湯に浸り切ったこの世界と決別しろ。
みんなが避け、忌む道を歩け。
灰色のベールを被った世界、これは呪いだ。
1人で孤独に、死んだように生きろという、俺が救えなかった命にかけられた呪いだ。
1人で、やってやるよ。
1人で強くなってやる。
今は強がりでも、いつか強がりじゃない強さを手に入れる。
そして、俺が正真正銘の本物になってやる。
前方にキュクロプスが2体いる。
勝てるだろうか……
もうどうでもいいや。
あの巨体からは想像できないような俊敏さで走ってきている。
「グォォォォォォ!」
威嚇のつもりか?
モンスターを前にしても、怖いと思わなくなった。
血を見ても、死ぬ間際に向けられる目を見ても、
命の消える瞬間を見ても、奪っても、何も思わなくなった。
全てが灰色の世界。
ゴブリンの遺体から奪った剣を強く握る。
右手の甲の傷に布がべったりと張り付いて、嫌なにおいを放っている。
うずいて、痛い。
勇者の印についた、ニセモノの証。
「来いよ、化け物」
酷く静かだ。
身体を引きずるようにまたしばらく森を探索していると、何かに付けられていることに気がついた。
視線を感じるし、俺の周りだけ異様だ。虫以外に動くものが見当たらない。
おかしい、動物がいなさすぎる。
色が見えないせいで、気づくのに遅れたのかもしれない。
恐らく囲まれている。
後方から聞こえた微かな、ギイとゆっくり引っ張る弦の音。
――弓か!
とっさに飛んで回避する。
間一髪で避けると、さらに前方からも矢が飛んできた。
見えた。
ゴブリンだ。
避けてナイフを投擲する。
「ギギ!」
声から察するに命中したようだ。
ガサガサと辺りの木が揺れ何かが蠢く。
「「「「「ギギギギギギ!」」」」」
おいおいおい、嘘だろ。
俺の四方をゴブリンが埋め尽くしていた。
皆それぞれが獲物を持っている。
20、いや、30匹はいるかもしれない。
色覚障害は、日常生活はともかく剣士にとって重大な身体欠損だ。それを補填するのが聴覚だが、まだ慣れていない。
結果、俺のなけなしの戦闘力が圧倒的に落ちてしまっている。
程なくして、俺はゴブリンに縄で手足を縛られて捕縛された。
そしてゴブリンに担がれ森を移動していたところだった。
奴隷にでもするのか?
女性しか捕まえないと聞いたが。
くそ! どいつもこいつも!
なんで俺ばっかり!
メフィストの言葉を思い出す。確かこんなことを言っていたな。
「あなたは数多の時代、数多の世界を過ごし、先ほどワタシに泣いて嘆願したんですよ。記憶を消してくれって。もう限界だと」
俺は前にいたという世界でも、その前の世界でも、こんな目に遭っていたのかもしれないな。
その時、俺を担ぐ手が、がくんと力を無くし、いきなり地面に落とされた。
いてててて……
1匹、また1匹と何かが飛んできては俺の周りのゴブリンが倒れていく。
あれは、石か?
そう、石だ。
それもその辺に転がっている普通の。
杖を持った老爺が俺の元へゆったりと歩いてきた。
周りのゴブリンたちは驚きのあまり、震えながら立ち尽くしている。
老爺が杖を振り、何匹かをなぎ倒す。
それを境に、ゴブリンは仲間を引きずって、一斉に森へ駆け出し逃げて行った。
「大丈夫か、若いの」
厳しい顔つきだったが、その声は確かな優しさを含んでいた。
硬く結ばれた縄を、慣れた手つきでほどいてくれる。
「は、はい。助かりました。ありがとうございます」
久しぶりに声を発し、かすれる。
「ゴブリンに焼き殺されそうになる人間は久方ぶりに見たわい。しかも勇者とは」
そう聞いて俺は身構えた。
俺が勇者だと知っているのか?
それを知って助けただと?
何か企んでいるのかもしれない。
「そう怖い顔をしなさんな。どれ、傷を見せてみなさい」
と、あちこちについた傷を見られた。
「幾つかは先日の戦いのものじゃろう。鼻も曲がっとるぞ。そのままじゃと将来結婚できんくなるわ。この傷も化膿しておる。切り落とさんといけんくなる前に治療せんとな」
この老爺はイントネーションといい、少し古臭い話し方をする。
というか、何者だこの爺さん。
石と杖だけであの大群を追っ払ってしまった。敵だというのなら、俺は間違いなく負けてしまう。
「……あの戦いを見ていたんですか?」
思い出したくもない。
「ああ、街に出ておった時に、ちょうど魔法鏡で放送されていて、みんな知っとるぞ。残念、じゃったな」
ちっ、それすらも流されていたのかよ。
「まあ良い、ここに長居も危険じゃ。ワシのところへ来なさい。治療してやろう」
殺すつもりなら、もうとっくにやっているだろう。
何か企みがあるのなら、行って確かめるしかない。
「では、お言葉に甘えて」
「そうか、こっちじゃ。立てるか?」
と俺の手を握り、引っ張ってくれた。
握力が強いな。テストステロン濃度も高そうだ。
一体何歳なんだろう。




