第二十七話 鬼龍寺鉄馬の生還
「う、わ、わっ」
それは突然の事だった。
ドラゴンが歩く振動ではないとすぐに理解できるほどの大きな揺れ。それは足元から。
地面が揺れる。
それも、立っていられないほどに。
必死に足で踏ん張りながら倒れないようにして何とか揺れが収まるのを待っている間に、再度の揺れ。
先ほどよりも大きな揺れに立っている事なんてできるはずもなく、オレはそのまましりもちをついてしまった。
あまりの揺れにドラゴンすら倒れるんじゃないかと思うくらいだ。
氷の拘束は健在だったが怖くなって上を見ると、そのドラゴンすら拘束を壊すことを忘れたように四本の足で踏ん張っている。
「な、なんだ!?」
『来ました――テオドア様です』
「テッド!? これ、テッドか!?」
フィオカの言葉に驚きながら、これからどうするか考える。
いや、考えるまでも無かったと思うのは一瞬。
アイツが戻ってきたのなら、時間稼ぎは終わりだ。あとは安全なところへ避難するなり逃げるなりするべきなんだろうが――。
「くっそ、アイツ何してんだ!?」
また揺れる。
テッドが何かをしているのか、それともドラゴンか。
地面の揺れが今までの比じゃない。周囲はどうか分からないが、足元に居る俺は立ち上がるどころか這って移動する事すらできなくなってしまう。
文字通りの災害だ。
これをテッドが起こしているのだとしたら、アイツは……そしてアルフォニカは、どれだけ凄い存在だというのか。
『しかし、いつまでもここに居るわけにもいきません。私達が居ては、テオドア様も本気を出せないでしょう』
「これで本気じゃないのか!?」
『大精霊の娘、アルフォニカ様と正式契約を結んだのです。この世界の根幹であり魔力の支配者とも呼ぶべき存在なのですから』
フィオカの言葉は抽象的過ぎて良く理解できなかった。
世界の根幹?
魔力の支配者?
初めて聞く単語だ。
そして、いまにもドラゴンのデカい尻に押し潰されそうな状況では深く考えることも出来やしない。
俺は這うどころか地面を舐めるように体も顔も地面に押し付けて、なんとか腕の力だけで移動する。
「でっ!? そのなんだか大層な肩書きを持ってる精霊様とテッドと、一緒になればドラゴンは倒せるのか!?」
『あとは、テオドア様がどこまでアルフォニカ様の力を引き出せるか、でしょう』
なんだそりゃ――とも思ったが、そもそも今回の遠出はアルフォニカとテッドがお互いの相性みたいなのを調べるための遠出だったのを思い出した。
そんな事を思い出しているうちに、もう一度の地震。いや、テッドとドラゴンの攻撃の打ち合いだ。
少し動いて分かったが、ドラゴンよりずっと高い位置から炎が雨のように落ちてきている。
一度経験した、ドラゴンが吐きだす炎だ。
それが、上空から撃ち落されている。
たぶんそれがテッドなんだろう。
「ひぃ、ひぃ」
擬音ではなく、本当に自分の口からひぃひぃなんて言葉が出るだなんて思わなかった。
それくらい、匍匐前進というのはキツイ。
腕だけじゃなくて肩、背中、腰、足。その全部を使い、ついでに踏ん張っているから首にも力を込めての移動なのだ。
農作業で鍛えた体はあっという間に息を乱し、汗が噴き出す。
ひぃひぃどころかぜぇぜぇという呼吸すら辛くなって、喉が痛い。
ああ、ったく。
「人生で二番目か三番目に最悪の日だ」
『参考までに。一番は?』
「親父と母さんが死んだ――あれ以上の最悪は無い」
『なるほど』
ようやっと空が見えてきた。
太陽の明かり。空の青、雲の白。
そこまで移動して、一瞬だけ自身が弱まった。ああ、いや。テッドとドラゴンの戦いが、わずかの間だけ弱まったのだろう。
ドラゴンの下から這い出した俺には現状を理解することはできないが、今が好機と必死に立ち上がると全力で走り出した。
……が、すぐに前のめりに倒れてしまった。
「匍匐前進って、マジでキツイ……」
『死ぬよりはマシでしょう』
「そりゃそうだ」
また立ち上がって走り出す。そして、しばらく進んでから振り返った。
そこにあるのは尻尾を氷漬けにされた巨大なトカゲのようなドラゴンの後ろ姿。想像もしたことが無かった――前世の記憶の中にも存在しない、最強の存在。
ソレが四肢を踏ん張らせ、全身に力を漲らせ、長い首を空へ伸ばしていた。
顔は見えない。
表情というものがあるのかもわからない。
だが……その視線の先に、居た。
「……あれがテッド、か?」
『私などとは違う、真に『世界を救う』ための存在と契約したのです』
そこに居たのは、俺の知らない姿をした――たぶん、テッド。
長く綺麗な金髪に、神聖さを感じさせる白の法衣。空の青を透けさせる羽衣と法衣の裾が翼のように広がって、まるで天使のよう……と思うのは、少々乙女的な思考が過ぎるだろうか。
長い髪と法衣はアルフォニカに似ていて、けれど遠くてもよく分かるその顔はテッドの物。
ああ、瞳の色も違う。美しい黄金。
白と黄金の天使――でも、あれはテッドだ。
分かる。
だって、なんというか――根拠が薄いと言われればそれまでだけど、こう、あれだ。
一目見て、雰囲気がテッドだと感じたのだ。
「テツマ、大丈夫か!?」
這い出したことで気持ちが緩み、また尻餅をついた。
そんな俺に向かって声を掛けてくれたのは聞き慣れた声――コール、そしてその後ろには見覚えがあるアーリシャさんの姿。
馬を走らせる二人は俺の方へ駆け寄ってくると、その手を伸ばす。
俺も両手を二人に向けて伸ばすと、コールとアーリシャさんは左右の腕を交互に掴んで、俺を引っ張った。
これはあれだ。
お祭りとかで引っ張られる家畜とか、あれな運ばれ方。
ちょっと乱暴すぎて、肩が痛くなる。仰向けの状態なのでテッドとドラゴンのが何をするかはよく見えるけど、尻が滅茶苦茶地面と擦れる。
「もっと優しくしてくれないっ!?」
「というか、テツマ様も重すぎるのですが」
そうだよねっ。
アーリシャさん、小さいもんねっ。決して、それは肥満からの重さではないと声を大にして叫んでおきたかったが、そんな余裕も無いので黙っておく。
「馬から落ちた時は死んだかと思ったぞ! お前、凄いなっ」
コールの称賛の声にもこたえる余裕がない。
いやいやいや。
引き摺られるのめっちゃ痛い!?
地面だけじゃなくて落ちている小石とか枝とか草とかが俺の尻の下を何度も通り過ぎていくのが分かる。
そして、ズボンが守ってくれているという事も。
何とか少しでも衝撃を和らげようと、まるで蜘蛛のように足で体を支えながら馬に乗った二人から引っ張られる。
「う、ぉ、ぉお、お!?」
「もうしばらく我慢を。ここから早く離れなければ、アルフォニカ様とテオドア様が戦えませんので」
「わ、分かってるから、オレの事は無視してもっと速く馬を走らせろっ」
「美人の神官から、尻の世話をしてもらえ」
「嬉しくねえっ!」
凄い勢いでドラゴンの巨体が離れていく。
俺達はさっきまでドラゴンに追いかけられていた道を逆走し、王都に戻っている。
そのドラゴンは空中へ向かって炎を吐き、アルフォニカと契約して姿が変わったテッドはその炎を鳥のように空中を移動して軽々と避けていく。
そして、俺達がちゃんと離れたのを確認してから、テッドは数発目になる炎の塊を右手に持った光の剣で切り払った。
また、火の雨が降る。
――おれが魔力の全部を使って張った防壁をあっさりと突き破った炎が、テッドの剣で簡単に散らされる様子は圧巻の一言。
なんというか――あいつが負ける様子っていうのが、想像できない。
「コール、か、カルサのおっさんは?」
「あっち。ドラゴンの力を封じるとか、何とか」
「カルサ様でしたら、カリーナ様と一緒ですよ。ドラゴンの力を封じる事が出来るのは、カリーナ様とカルサ様のお二方のみですから」
テッドと一緒なのか、と。
そう思うと、全身から力が抜けた。
「はあ……なら安心だ」
「あの美人を心配するより、自分の尻の皮の心配をした方が良いぞ」
「だったら馬を止めてくれないかな!?」
そんな俺の叫びを無視して、二人は馬を走らせる。
――直後、背後……というか、正面から轟音。
見ると、テッドが持っている光の剣が巨大化していた。その長さは天を貫かんばかり。
更に明るい太陽へ伸びるかのように――それが、出鱈目な魔力で編まれた剣だと、今更になって分かった。
アルフォニカの魔力。
あれが、アルフォニカの本当の力なのだと。
「……すげぇ」
「いいえ」
人間が持つにはあまりにも強大な力。魔力量。
それがアルフォニカ本来の姿で、オレと一緒に過ごしていた時間では見る事が無かった強さ。
だから、そんな言葉が、本音として口から出た。
けれど、つい口から出た俺の言葉を、アーリシャさんが即座に否定する。
「大丈夫ですよ、テツマ様。アルフォニカ様は戻ってきます」
「いやいや……俺じゃあ、アイツをあんなには……」
「一緒に居る。それだけでいいのです」
アーリシャさんの言葉は、どこか……こう。寂しそう、だったのかもしれない。
それが何を意味しているのか分からないけど、ただ、この人はアルフォニカの事を俺よりも分かっているようだった。
「そうかな?」
「もちろんです――テツマ様」
テッドが光の剣を天に掲げる。
極大の魔力剣を持つ手に力を籠めるのが分かった。
――振り下ろす。
ただそれだけ。剣を握った者、いや、畑に鍬を突き立てた者でも分かる単純な動作。
たった、それだけ。
たったそれだけで、王都の家屋を歩いただけで破壊し、俺達ではどうしようもなかったドラゴンを両断した。
「強い、力がある――特別というのは、時に辛い事なのです」
アーリシャさんの声は一瞬。
何故なら、その攻撃の余波で生じた衝撃波が瞬く間に迫り、俺達を飲み込んだからだ。
「少しは手加減しやがれ、馬鹿野郎!!」
この声も届いていないんだろうな、ちくしょうめ!!
衝撃波に揉まれて地面を転がりながら、王都を救った英雄へ悪態を吐いた。




