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第二十六話 鬼龍寺鉄馬の足掻き


「このまま王都の外まで行くぞ!?」

「頼むっ。カルサのおっさん、そっちは――」


 離れた位置を走っているカルサのおっさんに大丈夫かと聞くよりも早く、ちょうど通り過ぎたばかりの建物が背後で倒壊。

 ドラゴンの前足が段々と近づいてくる。頭部は遥か頭上。そのまま首を振り下ろしただけで俺達を潰せそうだけど、それは無い。

 流石に頭を叩き付けてこっちを殺そうとするのには、躊躇いがあるようだ。

 そのおかげで助かっているのだが、それもそろそろ危うくなってくる。ドラゴンの足は馬より少し遅い程度。

 距離は稼げるが、こちらは通りに散乱する荷物やゴミを避けて進まないといけないが、ドラゴンの方はゴミどころか建物すら踏み潰して最短距離を進んでくる。


『私の方で聞いてきましょう』

「ああっ」


 肩に座っていたフィオカが、馬が走る速さに合わせて浮遊しながら移動。そのままカルサのおっさんの肩に座るのが見えた――ところで、また建物が倒壊。

 遠くで土煙が上がり、悲鳴も聞こえる。逃げ遅れた人かもしれないけど、今は確かめている余裕もない。

 そのまま馬を走らせるコールの腰にしっかりとつかまったまま、視線を前へ。


「もう少し――ここを曲がれば、後はまっすぐっ」

「テツマ――、っ、っ!?」


 カルサのおっさんが声を張り上げたが、馬を走らせる音と、建物の倒壊の音で上手く聞こえない。

 だが、その表情が心配しているようで――視線を上に向けると、建物の上から人が落ちてくるところだった。

 少し先。

 ちょうど、コールの馬が真下を通る瞬間を考えての行動。

 その人物は赤いローブを着込んでいるのが分かった。竜神信仰の信徒だ。


「コール、上っ!」

「なんだって!?」


 あ、ダメだ。気づいていないし、今更気付いてももう遅い――なら、やることはたった一つ。

 集中。

 馬の上に居る事も、揺れている事も、ドラゴンに追いかけられている事も一旦思考から消す。

 考えるのはただ一つ。

 障害物を吹き飛ばす。ただそれだけ。

 右腕を伸ばして拳を握る。想像するのは魔力の腕。自分の腕の延長。

 直後、土煙を貫き、道に転がるゴミを吹き飛ばし、それどころか馬が進む速さに合わせて地面を抉りながら魔力の腕が伸びた。


「このまま走り抜けろっ」

「分かったっ」


 赤ローブの人間が落ちてくる。それが俺達に到達するよりも早く、魔力の腕で真横から殴りつけた。

 石で補強された建物の壁に叩き付け、そのまま建物の中に押し込む。ゴリ、と。石が砕けたのか、それとも骨が砕けたのか、慣れない感触だったが後悔している余裕がない。

 そのまま二人目。

 こっちはその胴体を鷲摑みにして地面へ叩き付けた。

 勢いを殺せないまま転がっていく赤ローブの人物が起き上がると、しかし動き出す前にドラゴンの足に潰されてしまった。


「敵味方も無いのか!?」

「怒っている時は、誰だってそんなものだよ」


 俺の言葉にコールが返事をして、突き当りを左に曲がる。

 すると、一度だけ見た王都と外を繋ぐ大きな門が見えた。あれを通れば外だ。

 外に出たからと言って状況が好転するわけじゃないけど、それでもなんだか大きくて武骨な門がまるで天国にでも通じているようなモノに見えてくる。


「あ――おっさんっ!」


 その一瞬。油断というよりも気の緩み。

 俺が門の方へ気を向けている間に、さっきと同じようにして今度はカルサのおっさんを狙った赤ローブの人物が屋根の上から落ちてきたのだ。

 俺の声におっさんが視線を向けてくる。こっちじゃない、上だ――だが、その赤ローブが落ちるよりも早く、白い魔力の矢がその胴体を貫いた。

 その勢いのまま窓を突き破り、死体は建物の陰に消えていく。しばらくして、その建物もドラゴンに踏み潰された。

 さっきの、コールの仲間だという銀騎士の魔法だ。魔力の質というか、なんというか。なんとなく分かった。

 感覚が研ぎ澄まされていく。

 肌を撫でる風、埃、周囲の荷物、ゴミ――そして自分だけじゃなくて他人、そしてドラゴンが発する魔力の流れ。

 アルフォニカが照れたり怒ったりして姿を消した時にも感じた、『そこに何かある』という感じ。

 それが、いつもより凄く鮮明で――今度は赤ローブの人物が落ちてくるのを先読みして、魔力の腕で引き摺り落とす。


「このまま突っ走れっ」

「分かってるっ」


 コールが、そしてカルサのおっさんが並走しながら王都の外へ通じる大門を駆け抜けた。

 門のところに居た兵士の姿はない。当然、王都に入ろうとする人、出ようとする人もだ。

 俺達が大門を通ると、少し遅れてドラゴンも門を通り――しかし三階建ての建物よりも大きな巨体が門を通れるはずもなく、大門へ体当たりをしてその足が一度止まった。


「あの巨体だと、門を通れないのか!?」

「足を止めるな。そのまま走れっ」


 ドラゴンが泊ったことでコールも馬の足を止めたが、その間にカルサのおっさんはずっと先に行ってしまう。

 直後、もう一度ドラゴンが大門へ体当たり。

 石造りの壁が至る所から埃を噴き上げ、大きく揺れた。それが三度、四度。徐々に鉄製の大門が歪み始め、巨大な魔物の侵攻から耐えるために作られたらしい石壁が内側からの衝撃で崩れ始める。

 崩壊は上から。

 石壁が崩れ落ち、石材に罅が入り――。


「コールっ」

「――あんなの、どうやって倒せるんだ!?」


 すぐさま、また馬を走らせた。直後に背後で何かが壊れる音。

 振り返る。

 白色の石材が雪崩のように崩壊し、鉄製の大門が強靭な顎で噛み砕かれ、牙と爪で引き裂かれる瞬間が視界に映った。

 コールじゃないが、あんなのをどうやって倒せばいいのか。

 想像もできない。

 土煙と外壁の破片を纏って、ドラゴンの巨体が姿を現す。――その頭部が天を向き、まるで憎しみを撒き散らすように咆哮を上げた。

 右目を潰した時よりも大きな憎悪。怒りだけじゃない、もっと別の“何か”を込めた声は鼓膜だけじゃなくて……こう、なんというか。

 喜んでいる、ような……?

 建物という障害物が無くなったことでその巨体を隠すものは何もなくなり、太陽の光の下に巨獣の威容が晒される。

 ……天を向いていた顔がこっちを見て……ドラゴンが、笑ったような気がした。


「狙いはカルサ殿か!」

「え!?」


 コールの言葉に、我に返る。

 カルサのおっさん?

 そう言われると、確かにドラゴンの視線というか、意識は俺達ではなくカルサのおっさんの方を向いているような気がする。

 こっちに向いていないと分かっても、その威圧感に気絶してしまいそうになったが、それでも歯を食いしばって踏ん張った。


「何とかしないとっ」

「何とかするんだよっ」


 コールの声に怒鳴り返し、意識を集中。

 不思議だ。

 力が漲る。体の底から、力が沸いてくる。

 怖いけど、何とかしないといけないという気持ちが沸いて出てくる。


『凄まじいですね』

「フィオカ!? カルサのおっさんは?」

『先に――精霊と魔法使いは一心同体。傍に居た方が何かと都合が良いのですが――』


 そこでフィオカが言葉を切った。

 その視線を追うと、背後。ドラゴンの方を見る。


『わかりますか? アレは周囲の魔力を取り込んで、力を取り戻しています』

「え?」

『あのドラゴンです――あれが、普通の魔法使いと精霊がドラゴンと戦えない理由です』


 フィオカの言葉に目を細めてドラゴンを見る。

 それは崩れた大門の傍から動かず、こちらを見ていた。眺めている――と言った方が正しいかもしれない。逃げる俺達を眺めている。

 ――逃げるカルサのおっさんを眺めている。

 その間に、観察する。

 ああ、確かに。

 ドラゴンの周囲が、歪んで見える。あれが魔力、というものなのか。

 今まで自分で使っていたチカラ。

 目で見る事は出来なかったが、なんとなく感じていた奔流。それが、視認できるまでに濃くなっている……というべきか。

 魔力。

 あれだけの魔力をどこから――と考えて、すぐに思い至る。

 田舎とは違って魔法が普及した王都なら、魔法使いの数も多く、それに比例して精霊もたくさん存在している。

 それ、か?

 人間や精霊から、魔力を集めているというのか……あのバケモノは。


「でも、オレは不通に魔法を使えたぞ!? アイツの右目だって……」

『だから、潰せたのでしょう。無力化できるはずだったのに、出来なかった――テオドア様とは違いますが、貴方にもドラゴンに対抗できる才能がある。それが、アルフォニカ様が貴女と契約した理由なのかもしれませんね』


 ドラゴンに対抗できる……?

 あの、巨大な化け物と?


「ど、どうすればいい?」

『普通に――ただ、貴方はドラゴンの影響下にあっても魔法が使えるというだけ。そこから何を成すべきかは、これから考えるべきかと』

「や、役に立たねえっ!?」

『失礼な。まあ、この状況で助言を出せないなら、役立たずも同然でしょうが――それに、考えている時間もありません』


 直後、また咆哮が鼓膜を叩いた。

 それどころか、さっきよりもずっと大きい。

ただの声なのに、まるで大地まで震えているような錯覚――実際にはドラゴンの声に怯えた馬が走り方を忘れたように足を震わせ、そのスピードが著しく落ちたのだ。


「コール、フィオカ――来るぞっ!」

「わか、ってるっ!」

『覚悟を決めましょうか』

「縁起でもないことを!?」


 驚く馬を必死に落ち着かせようとするコールと、こんな状況だというのにいつもと変わらない落ち着いた声のフィオカ。

 その落ち着き具合にイラつき、けれどそのおかげでこっちも少し落ち着けた。


「こんなところで死ねるか。こっちはまだ十五年しか生きていないんだからなっ」

「その通りっ」


 ようやく馬を落ち着かせたコールが、また馬を走らせる。

 だが、さっきよりも明らかに動きが遅い。ドラゴンに怯えているだけじゃない。

 あれだけ走ったのだから、疲れが出てきて当然だ。

 申し訳なく思いながら、それでも走らせる。

 ドラゴンが、動き出した。

 また地面が震える。たった一歩で、その存在感をありありとこちらへ伝えてくる。


「やってやるっ」

『その意気です』


 また耳元から軽口。

 けれど、もしかしたらこの軽口がフィオカなりの『激励の言葉』なのかもしれない――と前向きに考えておくことにした。

 想像するのは氷。

 あんな巨体に対抗できる手段なんて簡単に思いつくはずがない。なら、動きを止める。その一点だけを考える。

 背後で、ドラゴンが走り出した。

 地響きを鳴らし、地震を起こし、ただの一歩で馬の足を鈍らせ。

 建物という障害物が無くなったドラゴンはその巨体からは想像もできないスピードで距離を詰めてきた。

 王都を出てからも馬を走らせたから相当な距離が開いていたはずなのに、たったの十数歩でドラゴンの巨体はすぐ後ろへ。

 王都の通りで俺達を吹き飛ばそうとした炎は無い。

 このまま追いついて殺そうとしているのか――狩りを楽しんでいるのか。


「来い、来い、来い!!」

「恐怖で頭がおかしくなったか!?」

「コール、このまま馬を走らせてくれっ」

「お前はっ!?」


 ドラゴンが迫る。

 コールの腰を掴んでいた腕を外す。

 ドラゴンが大口を開けた。

 馬が一瞬でも早く走るようにその尻を思いっきり叩く。

 すぐ背後にドラゴンの口。牙――そこに滴るヨダレのあとすら目で追えるほど。臭い。

 尻を叩かれた馬が驚いて走るスピードを上げ、その噛みつきを文字通り紙一重で避ける。

 獲物を仕留めそこなったドラゴンが首を上げた。

 直後に馬の背から飛び降りる。勢いを殺せず、全身が痛い。小石にぶつけたのか、頭から血が流れる。

 ドラゴンは俺を見失ってそのまま通り過ぎていく。

 真横を前足が通り過ぎ、すぐ眼前にドラゴンの無防備な腹。

 ――それすら無視して、ドラゴンが通り過ぎるのを待つ。狙いは一つ。


『尻尾が来ますっ』

「それが狙いだっ」


 その一番後ろ。無防備に左右へ揺れる尻尾が最も地面へ近づく瞬間を狙って、その先端を凍らせた。

 そのまま一気に地面へ縫い付け、一瞬だけその動きを止める。

 ほんの一瞬だ。

 ドラゴンの巨体。走るスピードから生まれる突撃の威力をたかが氷で完全に止める事なんてできるはずがない。

 作り出した氷は凍りつかせた地面ごと引き抜かれてしまう。

 だが、一瞬。

 それだけで、尻尾に異変が起きたことに気付いたドラゴンが全身のスピードを緩めた。

 俺はまだドラゴンの下。後ろ足の間。尻尾の付け根の真下。

 その一瞬。ドラゴンが動きを止めた直後に両腕を前に突き出し、更に凍らせる。

 凍らせる。

 凍らせる。

 凍らせる。

 尻尾の先端だけじゃなく、その半ばまでを地面に凍り付かせたところで、膝をついた。

 尻尾の先っぽだけでも巨木の幹くらいの大きさがあるのだ。それを半ばまで凍らせるとなると、それだけで気絶してしまいそうなくらいの疲労感。

 頭の奥、芯から痛くなる。


『走ってくださいっ』


 頭が痛くて蹲る俺に、フィオカが声を荒げた。

 見れば、ドラゴンが後ろ足を振り上げ――直後に振り下ろす。

 犬が煩わしそうに足を動かす仕草に似ていると思った……がこっちは犬なんて可愛いものじゃない。

 振り下ろされた後ろ足は大地を沈ませ、離れた位置にある尻尾を拘束する氷すら震わせる。


「まだ――もっとだっ」


 頭を押さえる。流れ出る血が右手を濡らす。

 それでもまだ、ドラゴンの尻尾を凍らせた。

 背後なら炎も吐けないし、進歩の先端なら動きが制限される。

 頭痛だけじゃない。

 だんだんと気持ち悪くなってきた。

 吐き気――それこそ、呼吸と一緒に魔力すら吐きだすような感覚。

 全身から力が抜けていく。意識が遠くなる。

 地面が揺れているのか、俺自身が揺れているのか分からなくなってきた。

 揺れる。

 揺れる。

 それでも凍らせる。

 尻尾を。邪魔な後ろ足を――だが、それでも。

 それはただの時間稼ぎ。

 凍らせると同時に氷に罅が入り、その場所を補強するようにまた凍らせる。


「凍れ、凍れ、凍れ――ッ」


 自分が何をしゃべっているのか、自分でも理解できていなかった。

 ただ必死に、動きを止める事だけを考える。前に進ませない事だけを考える。

 ドラゴンが咆哮を上げたような気もしたが、鼓膜がおかしくなったのか、その声もどこか遠い。

 凍らせろ。

 動きを止めろ。

 そうしなければ、このドラゴンはカルサのおっさんを追う――あの人を殺す。

 そんな事、させるもんか。

 歯を食いしばる。

 噛んだ唇から血が流れる。

 口の中に鉄の味――鉄なんて食べたことが無いから分からないが、血と鉄は同じ味とか何とか。

 ……そこで、魔力が切れた。

 それどころか、意識すら途切れそうになる。

 誰かが俺の名前を呼んでいる。

 聞き覚えのある声だけど、いつも聞いていた声じゃない。

 それでも。


「アルフォニカ……?」

『残念ながら』


 違ったか。

 最後に……ああ、最後に。アイツの声が聞きたかったな。

 ………………聞こえたような気がしたんだ。


「テッド、テッド――テェェェエエッド!!」


 お前がドラゴンを倒せる存在だって言うんなら。その力があるんなら。

 アルフォニカの力を俺なんかよりももっと上手に使えるんなら――っ。

 信じてもいない神に縋るような気持ちで、その名前を叫ぶ。


「やれ、テッド!!」


 奇跡は起きない。

 この世界に神様を信仰する概念などなく、あるのは精霊と共に生きる意志。

 神様が奇跡を起こすのなら、神無きこの世界に奇跡などというモノは存在しない。



 だからこれは必然だ。

 鬼龍寺鉄馬が足掻き、時間を稼ぎ、それでも傷一つ追わせる事が出来なかった……その足掻いた時間が起こした必然。

 テツマの背後。ドラゴンの首。その太い首を守る鱗が吹き飛ぶ。

 怒りの咆哮ではなく絶叫が、青空の下に響いた。


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