第三十四話 鬼龍寺鉄馬の限界
神殿の地下から地上へ出ると、そこは混乱した人達で溢れていた。
緊急時の避難先に指定されていたのか女性や子供、そして戦えない老人たちが身を寄せ合って震えている。
若い男たちは手に武器を握って立っているが、しかしその腕や足と言わず、全身が震えてしまっている。
怖いのだ。
……それも当然だ、と。そう思う。俺はまだドラゴンというものを見たことが無いけれど、移動するだけで自信を起こすような相手なのだ。
兵士でもない、特別に体を鍛えていない人達からすれば、恐怖の対象でしかないはず。
『外に。ドラゴンの姿を確認した後でも、これから何をするかを考えるというのも遅くないでしょうから』
「ああ、分かった」
フィオカの言葉に従って、神殿の広間に集まっている人達を押しのけるようにして外へ通じる出口へ向かう。
また、地震。
いや、ドラゴンが歩いた衝撃に神殿全体が震え、集まっている人達が悲鳴を上げる。
その声を聴きながら外へ出ると――。
「なん、だ。ありゃ」
『名前も無いドラゴンです』
名前が無い――?
フィオカの言葉を聞きながら、全身の力が抜ける。よろめいて神殿の壁に肩を預け、しかしそれでも視線は神殿の外――高い民家の屋根を優に超える位置にある巨大な威容から外せない。
どう、表現すればいいのか。
しばらくは思考が働かなくて、自分が見ているモノが何なのかすら上手に認識できなかった。
ドラゴン。
空想や御伽噺で語られるカイブツ。
全身を強靭な鱗で覆われ、巨大な尻尾と長い首。顔はトカゲに似ている……ように見える。
まだずっと離れた位置に居るはずなのに、そうと分かるくらい――巨大。
ドラゴンが一歩進めば地震が起き、近くの民家が悲鳴を上げるように軋む。支柱は木材、壁は石で作られた建物は自身の振動にすら耐えられず、崩れだす建物も多数。
神殿の入り口上部にあるステンドグラスも、すでに割れていた。
今気付いたが、足元にその破片が散らばっている。
移動する。
たったそれだけで王都の建物にダメージを与えるようなバケモノは、まっすぐこちら……神殿に向かっているようだった。
「こっちに来てないか?」
『ええ。ここにはスラヴァ様の魔力が残っていますから――ドラゴンからすれば、はるか昔に自身を封印した片割れ。神殿も憎悪の対象なのでしょう』
「簡単に言うなよ!?」
その言葉に、つい強い声を向けてしまう。
しかしフィオカは気にした様子もなく、けれど俺がよく知る怠惰な猫精霊の姿ではなくしっかりと胸を張り、背を伸ばした格好で俺の肩に座り直した。
『カルサ様はすでに動いているようです。ドラゴンの狙いはこの神殿と王城、そして古い血筋を継ぐカリーナ姫にカルサ様、自分を傷付ける事が出来るテオドア様にアルフォニカ様』
「……じゃあ、おっさんは」
『テオドア様が不在の今、ご自分を餌にドラゴンを誘導されるはず……』
フィオカが言い終わる頃、少しずつドラゴンがその進路を変えているようだった。
その威容が巨大すぎて最初は分からなかったが、しかしそれは少しずつ顕著になって、しばらくするとこちらに側面を見せるまでに変わる。
「俺に出来る事は?」
『避難できていない民衆の救出かと』
「それは他の兵士達がしているはず」
カルサのおっさんが自分を囮にしているなら、傍には誰も置いていないだろう。傍に誰かいて巻き込まれたら、囮の意味がない。
ならきっと、ドラゴンの襲来を教えに来た兵士達、それに合流した騎士たちに民衆の救出と非難を伝えているだろう。
「そういえば、ドラゴンってのは竜神信仰の信徒が封印を解いたとか、召喚したとか」
『ええ。おそらく今回も――伝令の様子から襲来は突然だったようですし、街中で召喚されたのかと』
「なら、信徒がどこかに居るはずだな」
『なるほど』
やるべきことは決まった。
どこまでやれるかは分からないが――そう考えている間に神殿から飛び出すと、周囲を見渡せる高い建物を探す。
それはすぐに見つかった。
真後ろ――神殿だ。この辺りで一番、屋根が高い。
俺はすぐに神殿に引き返すと難民たちを押しのけて二階へ通じる階段を駆け上った。
「な、何者ですか!?」
「この混乱に乗じて、宝物庫に!?」
『違います』
アーリシャさんとは少し装飾が違う法衣を纏った神官二人が階段の上で槍をこちらに向けてきたが、それが突き出される前にフィオカが止めてくれた。
流石、テッドの精霊。俺なんかよりもよっぽど神殿の人達にその姿を知られている。
『失礼します。窓を使わせてもらうだけです』
「神殿は何階建てだ?」
『六階――最上階は神官長アーリシャ様の私室だけですが』
「……死にそ」
まだ何か言っている神官を振り切って三階へ。ここでもまたフィオカに口利きをしてもらって、四階、五階、そして六階へ。
流石に神官長の私室へ入るのは問題だろうと、まずは六階の廊下にある窓を開けて外を確認。
――目当ての存在はすぐに見つかった。
「ぜぇ、ぜぇ……んぐっ、あの赤い法衣がそうか!?」
『ご明察です、テツマ様。――あと、もう少し体を鍛えられた方が宜しいかと』
「よしっ――あと、お前のご主人様の体力が異常なんだからな。並み程度には鍛えているからな、俺もっ」
その軽口に答えながら東西南北、四方の窓から王都の屋根を確認。
赤い法衣を纏った人間が、民家の屋根の上に立っていた。あれが竜神信仰の信徒。
ドラゴンを召喚した存在。
その場所を記憶して、一息つく。
「どのくらい強い?」
『戦士としては並み以下。魔法使いとしては王都の魔法使いの平均より多少使える程度かと』
「王都の平均っていうのを知らんっ」
こっちは王都に来て二日目なんだからなっ。
っていうか、二日目だっていうのにこんな混乱に巻き込まれて――まったく、俺ってやつは。
自分の不幸にため息を吐いて呼吸を整えると、今度は一気に一回まで駆け降りる。
「結局、どれくらいだ!?」
『子供の頃のテツマ様と同格暗いと考えてもらえれば』
「あっそ」
なら何とかなるか。
階段を駆け下りながらの言葉に、少しだけ安堵する。
これで俺よりも魔法使いとして優秀だとしたら、本当に俺は役立たずになるところだった。
『ですが、向こうはこちらを殺す気で来ます。テツマ様に、その覚悟は?』
「――王都へ来るまでに、出来てるよ」
こっちが意図したわけじゃなかったし、あの時は無我夢中だった。
けど、今度は俺が殺されるっていうのもあるけど、それ以上に王都に住む何百人、何千人という人の命が掛かっているのだ。
――迷いも、躊躇いも無い。
それは、全部が終わった後に、生き残れたら夢に見るくらい感じてやる。
『では、ご存分に』
「行くぞ、フィオカ。力を貸してくれっ」
体の中にある魔力が練りあがる。力の奔流が分かる。
精霊との契約。
魔法を使う一番最初、初歩の初歩。
たった一日にも満たない短い間に失われたその感覚を懐かしく思いながら、神殿の一階へ降りるとその魔力を両足に宿す。
避難民をかき分けて神殿の外へ出て、一番近くに居るはずの竜神信仰の信徒の位置を確認。そっちへ向かって駆け出す。
『なるほど』
「どうした?」
『アロンソ様とは、魔法の体系が根本から違うのですね』
「そうらしいな」
アルフォニカが、俺の魔法の使い方は普通とは違うと言っていたのを思い出す。
カルサのおっさんだったか? アーリシャさんだったかもしれない。
記憶を思い出す余裕がない。
魔力を宿した足はいつも以上の速さで地面を蹴り、民家の壁を蹴り、あっという間に建物の屋根の上へ。
勢いが付き過ぎて屋根を飛び越えて宙まで飛び出したが、しっかりと屋根へ着地。
「まず一人っ!」
発見。
向こうはこちらへ気付いていない。
当然だ。民家、六軒分先の屋根に目立つ赤い法衣の人間。しかも、向こうはこちらへ背を向けている。
その視線の先には、民家を破壊しながら移動するドラゴンの姿。
こちらはその視界外から一気に距離を詰める。
木造の屋根を蹴り抜き、その勢いでさらに加速。
ドラゴンの歩行によって発生する地震の影響を最小限にするため、こっちが屋根を蹴る回数も最小。
走るというよりも跳ねる勢いで背後から肉薄すると、その勢いを殺さないまま後頭部に蹴りを見舞った。
「――――」
悲鳴すら上がらない。
赤い法衣の男は口から唾液を吐き散らしながら地面に落下。
生死を確かめる事もしない。
足に、頭蓋を砕いた感触が残っていた。
『お見事』
「褒めるな」
いい気分じゃないんだ。やっぱり。人を殺すっていうのは。
けれど躊躇わらない。
まずはこいつらを片付ける――カルサのおっさんと合流するのはその後だ。
『次です』
「分かってるっ」
まだこっちの存在は気付かれていないはずだ。
竜神信仰の信徒が、なにか行動をする前に仕留める事が出来たのは幸いだった。
さっきと同じように途中までは大通りを走り、近くまで移動したら屋根に上って不意打ち。
二人目も仕留めて、三人目。
ただ、ここで俺の幸運は尽きてしまったようだった。
同じように背後からの不意打ちは赤法衣の男へ届いたが、しかし同時に気付かれてしまった。
人間なんかよりもよっぽど気配に聡い、ケダモノに。
『テツマ様』
「……ああ」
法衣の男の胸を貫いた宝剣を抜きながら、ため息。
同時に、屋根に上ってくる音……それは、人間が出す音じゃない。
鋭利な爪が石壁を削り、唸り声が段々と近づいてくる。しかも、一つじゃなく三つ。
走ったのとは違う理由で息が乱れ、気持ち悪い汗が背中を流れるのが分かった。
『モンスターです』
「冷静だなっ」
屋根の軒先から、黒い――森で見たのはオオカミに近かったが、今回のはもっと人間に近い――サル、というのが一番近いかもしれない。
屋根の縁に手を掛けると、それは一気に飛び上がった。俺の周囲を囲むように着地して、しかし数に任せて一気に襲い掛かってくることもしなかった。
「……ここからが本番だな」
『そのようです。残っていた最後の信徒は、離脱しました』
「あっそ」
残り一人。たった一人で何かが出来るとは思えない。
なにより、逃げた男を追う余裕なんかありはしなかった。
『グゥゥゥ――』
「鳴き声がサルじゃねえ」
『来ます』
こっちの軽口は無視して、フィオカの声。
綺麗な三角形を描くように囲んでいた三匹――そのうちの二匹が左右から襲い掛かってきた。
寸分の狂いも無い同時。ご丁寧に、振り上げた腕も同じ右腕。
「ちっ」
壁を蹴り上った要領で屋根を蹴り、一気にサルの腕が届く範囲外へ跳ぶ。
しかし、そんな俺の反応を予知していたかの如く、三匹目が先読みして俺の着地位置めがけて飛び掛かってきた。
――駄目だ、こっちはまだ空中。
避けきれないことを悟り、迎撃。
抜いていた剣を構えて振り下ろされる爪を受けると、渾身の力で打ち払う。
「重いっ!?」
『腕力は向こうが上ですね』
「冷静にっ」
こっちはたった一合で身体能力の差を思い知らされて焦ったというのに、フィオカの声に焦りは微塵もない。
そのことに苛立つが、同時に自分がどれだけ混乱しているのか理解できて、気持ちを落ち着ける事が出来た。
その一瞬の間に体勢を整えた最初の二匹が同時に突進。今度は正面から。
「フィオカ、どうすればいいか考えてくれっ」
こっちは手を動かすだけで精いっぱいだった。
二匹の猿による攻撃を剣で受けるが、反撃をする余裕がない。
これがテッドやカルサのおっさんだったら、もう少し接近戦でも善戦できるのだろうけど。こっちは魔法が得意な凡人だ。
攻撃を受け、捌き、時間を稼いでフィオカに打開策を考えてもらう。
『テツマ様、このまま屋根伝いに逃げてください』
「逃げていいのかっ!?」
『ええ』
三体目が加わるより早くフィオカが次の行動を考え、俺は躊躇わず後ろへ跳躍。
通路を挟んだ向こう側にある屋根へ移動すると、そんな俺を追って二匹も跳躍――。
『空中戦は得意で?』
「よゆう」
屋根へ足がつくのはこっちが早い。
即座に剣を手放すと、空中に浮いたサルを鷲摑みにするイメージ。
左右の手でサルを掴み、拘束。
その時に至って、ようやくこれからどうなるか悟ったのか、サルが魔力の腕の中で暴れるが――離すものか。
「ふっ!!」
そのまま足場にしている屋根へ叩き付け、まるで潰れたトマトのようにして飛び散るモンスター。
小さくて素早くて強いが、オオカミほど固くないし重くも無いのが幸いした。
オオカミは持ち上げただけで片腕が死んだからな……。
ただ。
「うお!?」
『やり過ぎです、テツマ様!』
フィオカからの叱責は、俺が屋根にサルを叩き付けたことで足場が崩れたことに対するものだった。
民家の二階に落ち、床に足を吐いたのも一瞬。その勢いを支えきれずに階の床も抜けて一回まで落ちてしまった。
「い、ってぇ……」
『怪我はしていません。急いで移動を――っ』
フィオカに言われるまま、体を起こすことも忘れて床の残骸の上を転がって移動。
直後に三匹目のサルが、さっきまで俺が倒れて居た場所に爪を突き立てた。
地面を貫くだけの硬さは無いのか、サルの腕は歪に歪み、骨が砕けたのだと分かる――しかし、その傷は俺が見ている間に修復されていく。
……なんて、出鱈目。
一度見ているはずだが、それでもモンスターの耐久性、そして治癒能力に驚き――。
『しまった!?』
フィオカの焦った声へ反応するのが一瞬遅れた。
直後に感じたのは、腹部への衝撃。先ほど、屋根に叩き付けて潰したはずのサルがその傷を癒し、死角から襲い掛かってきたのだ。
「ぐぅ!?」
『踏ん張らずに倒れて!』
駄目だ、体が勝手に踏ん張る。
両足に力を込めてサルの突撃を受け止めて顔を上げると、潰したはずの片割れが俺の首めがけてその腕を振り下ろすところだった。
フィオカの声から一瞬の間を置いて反応した体は膝から力を抜いて少しだけ沈む。
結果、サルの爪ではなく手が俺の頬を打ち、その衝撃に耐えきれず真横へ吹っ飛んだ。
首の骨が折れなかったのは、奇跡。
脳が揺らされて指一本どころか首すら動かせず、自由になるのは眼球だけ。
その目が、今にも俺を殺そうとする三匹のサルではなく……砕けた天井の破片に隠れているこの家の住人を見つけた。見つけてしまった。
「……ぅ、そ……だろ」
『くっ』
俺の肩から離れたフィオカがサルの注意を惹くように前に立った。
モンスターにも精霊の姿は見えているのか、動けない俺ではなく、注意がフィオカに逸れる。
『動けますか?』
無理。返事をすることも出来ない。
きっと、フィオカならここで俺に逃げろというのだろう。
なんとなく、そう思った。
けど。
視界の先には震えている子供が二人と、大人が二人。この家の住人である四人が、怯えていた。
……ああ、ちくしょう。
…………見逃せないよなあ。くそったれっ。
「はあ、はぁ――」
ようやくマトモに呼吸をする事が出来るようになった。
その間にフィオカはサルの正面を行ったり来たり。
姿が猫だからか、それとも精霊単体では自分たちの脅威ではないと理解しているからか。サル達はすぐにフィオカへ襲い掛かろうとはしない。
もしかしたら、罠か何かがあると警戒しているのかもしれない。
だったら、もう少し時間を稼いでくれ――と思ったのも束の間、あっさりとフィオカはサルに蹴り飛ばされてしまった。
……精霊に干渉できるのか、モンスターというのは。
アルフォニカに障ろうとしてもすり抜けていたことを思い出すと、こいつらはどんな存在なのか……そんな事を考えたが、すぐにやめる。
そんな事を考えている余裕もない。
「ぁぁ……くそっ。ちくしょう」
何とか起き上がる。
体が重い。眩暈がする。吐き気もだ。
今にも倒れこんで膝をついてしまいそう。
分かってるさ。分かっているとも。
……俺は特別なんかじゃなくて、ただの凡人。ここが限界で、行き止まりなんだって。
「ぉい! にゲロ――はしれっ!」
殴られた時に喉を痛めたのか、まともに喋れない。声が変だ。
それでもちゃんと伝わったのか、崩れた天井の破片に隠れていた住民たちは突撃してきたサルがあけた穴から脱出。
しかしその後を追おうと二匹のサルが背を向け――そこから先はもう何も考えていない。
その背に抱き着くように体当たりをして動きを止め、もう一匹には手を伸ばすが……しかし、その手は空を切った。
サルが逃げた住民を追いかける。追いかけていく。
同時に、抵抗した俺の背にサルの拳が打ち下ろされた。
「がふっ」
肺に残っていた酸素を全部吐きだし、地面に叩き付けられる。
あ、ダメだ。いった。
骨が折れたと分かった。背中を殴られたのに痛みが無い。
痛すぎて、脳みそが痛覚を認識していない。
頭を踏まれた。腕を、足を、背中を。
踏まれて、踏まれて、踏まれて――ああ、ちくしょう。
テッドなら、もっとうまく立ち回ったんだろうなあ、って。
人助けを完璧にして、ドラゴンも倒すんだろうなあ……アイツ、って。
そう思う。
踏まれる痛みよりも、テッドやカルサのおっさん――そしてアルフォニカの事を考えてしまう。
悔しいとは、少し違う。
羨ましい。
たぶん、そう。
だって俺は……何か出来ただろうか。何もできなかったような気がして――それが悲しい……。




