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番外編 テオドア=ルーベルトは決戦に赴く


『ねえ、カルサ抜きで出かけたりなんかして?』

「本当は良くないんだろうけどね……」


 僕がそう言うと、馬が進む速さに合わせて空中を移動している半透明の女性――アルフォニカさんがあからさまな溜息を吐いた。

 それを聞きながら肩を竦めて、周囲を見回す。

 王都を出て数刻。太陽がそろそろ高い位置に差し掛かろうとする時間帯。

 出発したのはまだ薄暗い時間帯だったのに、今では遠く――空と大地が交わる場所まで見渡せるくらいに明るい。

 人の手が入っていない草原はどこまでも続いていて、時折吹く風が緑の香りを運んでくれる。

 その香りを胸いっぱいに吸いながら、馬の手綱を操って前に進む。


「テオドア様。お疲れではありませんか?」

「いえ、大丈夫ですよ。カリーナ姫こそ、お疲れになったらお教えください」

「いいえ、いいえ。わたくしの事など、お気遣いなく。――ふふ」


 隣に並んで馬に乗っているカリーナ姫は会話の途中で顔を逸らすと、手で口元を隠しながら小さく肩を震わせた。

 笑っているようだ。

 なにか可笑しなことを言っただろうか?

 どうして笑われているのかわからなくて首を傾げると、反対側に浮いているアルフォニカさんがまたため息を吐く。


『暢気なものねえ……まあ、石みたいに緊張して固まるよりは何倍もマシなんでしょうけど』

「そうですね。心強い事です」

「うーん……褒められている気がしない」

『あら。褒めているのよ、神経が図太いって』


 やっぱり褒められている気がしない言葉に苦笑して、顔だけを肩越しに後ろへ向ける。

 僕とカリーナ姫から馬一頭分を離れた距離に、もう一人。

 黒の法衣に身を包んだ小柄な女性、アーリシャ様だ。

 今は、この三人。

 本当ならここに、カルサさんが居るはずだったんだけど――色々な理由で王都に置いてきた。

 まあ、半日くらいの距離は稼いだから、追ってきたとしてもそう簡単に追いつかれることはないだろう。

 その理由は簡単だ。

 彼が部外者だから。

 ドラゴンを倒せる力を持つ僕と、ずっと昔に大精霊スラヴァの命を犠牲にしてドラゴンを封じた王族。

 そして、大精霊スラヴァの娘で――本来ならテツマではなく僕と契約するはずだったと告白してくれたアルフォニカさん。

 父上から、これはずっと昔から続いていたというドラゴンと精霊、そして人間の争いなのだと聞いたのは、昨晩の事。

 何百年もの昔から保管されていた書類をずっと読み続けていた父上は目元に深い隈を作りながら、そう教えてくれた。

 僕が魔法を使えなかったのも、アルフォニカさんと田舎の村で出会ったのも、そして――ドラゴンの封印が解かれたのも。

 全部が必然だったのだと。

 そのどれもが運命的に絡み合い、必然としてあらゆる事象が重なったと言っていた。

 戦うために。

 ドラゴンと。

 精霊と人間がまた、手を取り合って。


「アーリシャ様は良かったのですか?」

「何がでしょうか、テオドア様」

「いえ――僕は精霊の器として。カリーナ姫は王族の義務で。そしてアルフォニカさんは……えっと、精霊の代表として」

『大精霊スラヴァの娘として、よ。変な気は使わなくていいの、テッド』

「あ、はい」


 僕たち三人には、戦う理由がある。

 戦わなければならない理由がある。

 けれど、アーリシャ様には……と。言い淀んでいると、アーリシャさんが馬を寄せてきた。


「わたくしにも付き添う理由はあるのですよ、テオドア様」

「そうなのでございますか?」


 カリーナ姫が素直な疑問を口にすると、アーリシャさんが頷いて答える。


「テオドア様が心配ですから――これでも、貴方様の事を気に入っているですよ? 初めて見た時から」

『まあ、ダイタン』

「ええ!?」


 アルフォニカさんの物凄く分かりやすい棒読みと、カリーナ姫の驚いた声。

 それが揶揄いの言葉なのだと理解していても、あまりに真剣な声音だったから少しドキリとしてしまった。


「テオドア様っ。まさか、アーリシャ様のような御方が――その、お好みなのでございますか?」

「ええっ!? いえ、そんな……」

「それは残念でございます。わたくし、これから先もこの体型から成長する事が出来ませんので……はあ」

「そんなっ!? アーリシャ様は今のままでも十分魅力的で」

「まあ!? わたくしがどれだけ愛を囁いても受け入れてもらえなかったのは、やはり……」

『ぷっ』


 カリーナ姫とアーリシャ様。

 二人に囲まれて四苦八苦していると、アルフォニカさんが心からおかしそうに笑った。


『これから死ぬかもしれないのに、楽しそうね』

「死にませんもの――わたくし、まだテオドア様から愛の言葉を囁いてもらっていませんし」

『なにそれ……随分とたくましく成長したのね、カリーナ』

「はいっ」


 ずっと子供の頃。カルサさんと出会ったばかりの時――アルフォニカさんはカルサさんの顔……カリーナ姫の顔を知っていた。

 それは、王都の守護精霊として、アルフォニカさんが十数年前までは王都に滞在していたからだそうだ。

 それよりずっと昔からアーリシャ様とは知り合いだったらしく――一時期は、アーリシャ様と契約していた時期もあったのだとは教えてもらっている。

 そして、ドラゴンを封印した大精霊スラヴァとの契約者が、アーリシャさんのお父様だという事も。

 ただ、アーリシャ様にはアルフォニカ様と契約できても、その力を十全に使う事が出来なかった。

 だから十数年前にアルフォニカ様との契約を破棄し、そして正しい契約者――僕と出会う前に、テツマと出逢ったのだと。

 いや、最後の方は僕の勝手な想像だけど。

 たぶん、本当はずっと昔からアルフォニカさんはドラゴンの復活を予知していて、でも世界の命運と同じくらい大切な人を見つけたんだ。

 そう思うと、僕はとても悪い事をしてしまったんじゃないかと思ってしまう。

だって、テツマとの契約を解除させて、僕が契約してしまった。

 なんだか奪った……っていうのも変な話だけど。とても『間男』的な立場になってしまったような気がして。


「僕も、死ぬつもりはないです。アルフォニカさん」

『まあ、まあ。若いって凄い。怖いもの知らずねえ』

「いえ――ドラゴンと戦うのは怖いです。対峙していなくても、腕が震えます」


 それは本当だ。

 戦うのは怖い。

 ドラゴン――一度相対した、退けたことが奇跡にしか思えない巨躯の魔物。

 その威容を思い出すと、腕だけじゃなくて体の芯が震えてしまう。

 でも、戦わなきゃいけない。

 戦えるのが僕一人だから。

 そして、勝たないといけない。

 死にたくないから……あと。


「でも、負けられません。アルフォニカさんを、テツマのところにちゃんと連れて帰らないといけないですから」

『…………どうしてそこでテツマが出てくるのよ?』

「おや。照れているのですか、アルフォニカ様?」

『照れてない。呆れているの――あんな、世界の危機だからってあっさりと契約を破棄するような男』


 ただ、そのことを一番気にしている……というか、怒っているのはアルフォニカさんだ。

 さっきまで笑っていたのに、今はこう――なんというか、うん。

 凄く怒っている。

 理由は簡単だ。

 ドラゴンを倒すためと説得してテツマはアルフォニカさんとの契約を切ったけど、アルフォニカさんからすると『たかがドラゴンと戦うってだけなのに、あっさり契約を切った』って事らしい。

 いや、出現しただけで王都の一部を破壊し、半分近くに傷跡を残したような怪物なんだけどと思うけど、カリーナ姫とアーリシャ様曰く『乙女心』的にはそんな理由なんてどうでもいいらしい。

 ……女心って難しい。


『大体、ああいう時は「俺が何とかする」とか「一緒に戦う」とか言えばいいのに。契約を切ってはいさようならなんて、失礼じゃない。私ってそれなりに凄い精霊なのにっ』

「……巻き込まないように遠ざけたのが、裏目に出てしまいましたね」


 アーリシャさんがぼそりと呟いたが、もちろん興奮しているアルフォニカさんの耳には届いていない。

 テツマは、本当の意味で無関係だ。

 ただ、特別な魔法が使えて、強力な魔力を宿していて、そして前世の記憶を持っている。

けれど、本当に、ドラゴンと精霊の戦いには無関係で――だから神殿に一室を用意して、行動を監視して、僕達から遠ざけた。

 力を借りる事が出来たら心強いけど、巻き込みたくもない。

 だって、死ぬかもしれないから。

 いや、死ぬ可能性の方が高いから。

 そういう理由で、僕たちはたった三人だけで王都を出た。護衛の騎士も、兵士も連れず。

 決着をつけるために。

 終わらせるために。

 精霊を宿す器として産まれた僕と。

 ドラゴンを封印する力を持つ王族と。

 大精霊の娘としての責務を果たす精霊と。

 ――その見届け人。

 もう、誰にも死んでほしくないから。だから、最少人数での移動。

 でも、人が少ないことに利点もある。

 隠密行動がとりやすく、不意を突いて一気に敵の懐まで潜り込める。

 王都が破壊されてからずっと調べていた成果で、敵が――竜神信仰の信徒たちがどこに集まっているのかはすでに分かっている。

 精霊信仰ほどではないけれど、それなりの数が居たはずなのに王都から一斉に消えたから、足取りを追うのはひどく簡単だったと騎士団長は言っていた。


「でも、たった数週間の間でここまで長距離を移動できるなんて……」

『……召喚術の応用よ。封印されていたドラゴンを王都の地下へ召喚したのと同じ。集合場所にしている廃城で、ドラゴンではなく人を召喚した。それだけよ』

「なるほど」

『それなら移動距離を気にせず、短時間で信徒を集める事が出来る――難点は、その廃城にドラゴンも一緒だという事。しかも、封印が解かれたばかりで飢えている』


 その言葉の意味が理解できないほど、子供じゃない。

 ただ、ため息を吐いた。

 敵……とは正確には違うのだと思う。

 ただ、この世界に絶望して、崩壊を望んだだけ。

 皆と一緒に滅べば怖くないという、妙な心理。それを、王都を破壊するドラゴンの前で聞いた。

 竜神信仰の信徒――同学年の、友人だった人間から。

 ドラゴンは世界を滅ぼしてくれる。

 全員を平等に。分け隔てなく。一瞬で終わらせてくれる。

 自分で命を絶つことも、人から殺されることも、人を殺すことも怖くて出来なかった人の言葉だ。

 人ではなく、破壊の化身とも言うべきドラゴンなら怖くないという気持ちは理解できなかったけど……きっと、世界崩壊というのはそんなに優しくない。

 アルフォニカさんの言葉で、その考えに確信が持てた。


「ねえ、アルフォニカさん」

『なあに? 今さら、怖くなった?』

「ううん――僕は、世界を助ける事は出来るかな?」


 つい、そんな事を聞いてしまった。

 たかだか十六年生きた程度の子供が、世界を助けるだなんて大それた言葉を口にするのもどうかと思う。

 聞いて、少し恥ずかしくなってしまう。


『人間一人にどうにかできるほど、世界は小さくないわよ』


 当然なのだろうけど、笑われてしまう。

 けど、隣に居るカリーナ姫は――そんな僕の手に、その小さな手を重ねてくれた。


「もちろんです。テオドア様にこそ、世界を助ける事が出来ると思いますっ」

『あらまあ。ずいぶんと好かれているのね――参考までに聞きたいのだけれど、どうやって口説いたの?』

「口説いてないですっ」


 人聞きが悪いっ。

 一国のお姫様なのに……それに、僕なんかがカリーナ姫に釣り合うとはとても思えない。

 精霊を宿す器として特別扱いされているけれど、ドラゴン退治が終われば、またただの『魔法が使えない人間』になるんだから。

 ……特別。

 僕が特別で居られるのは、ドラゴンが存在している間。そして、それもすぐに終わる。

 でも、それでいいんだ。

 特別なんて、どうでもいい。

 僕は――助けたい。守りたい。そして、生きてほしい。

 大切な人に。

 それでいい。

 それだけでいい。


「まだ道は長いですから、お話いたしましょうか? わたくしとテオドア様の馴れ初めを」

『そうねえ。何か参考になるかもしれないし、お聞かせ願えるかしら?』

「参考?」

『ああ、いえ。なんでもないわ。ええ。気にしないで話しなさい、カリーナ』

「そうですか? ではまず、子供の頃に王宮で出逢った時に約束した話から」


 もう十年以上前の話だよね、それ。

 しかも、魔法学園で話した時にも聞かされたし、ちょっと申し訳なく思うけど……その約束、全然覚えてないし。

 本当に申し訳ないとは思うけど。十年以上も前の話だし。

 ……いつか思い出せるといいなあ。

 うん。

 その約束を思い出すためにも、僕たちはまだ死ねない。


「そうだ」

『うん?』

「わたくしとテオドア様の話をするのですから、アルフォニカ様とテツマ様の出逢いもお聞かせくださいね」

『……ええ』


 物凄く嫌そうな声だった。

 そして、その声を聴いたアーリシャ様が小さく噴き出すのを見逃さなかった。


「んんっ――それはとても興味深いですね。この十数年の事、是非お聞かせくださいませ」

『や、話す事なんて何もないわよ? いたって普通の田舎生活。平穏で退屈なだけの時間だったもの。ねえ、テッド?』

「僕はそう思います」


 僕は、だけど。

 同じことを考えたんだと思う。カリーナ姫とアーリシャ様は絶対に聞き出そうとする気迫が感じられた。

 ――学園に居た時と、似た雰囲気。

 平和で、穏やかで。

 これから戦いに行くとは思えない雰囲気。

 でも、平和で穏やかだからこそ、気持ちが落ち着く。

 頑張ろうと。

 勝とうと。

 生きようと、思える。

 ――帰るんだ。みんなで、生きて。

 甘いと言われても、それでも……と。

 馬の手綱を握り直しながら、そう心の中で何度も呟いた。


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