第十六話 鬼龍寺鉄馬は彼女の事を知らない
初めて依頼を受けて、モンスターと称される怪物を退治して――心身ともに疲れ果てて町に戻る頃には、夕焼けが山の向こうへその姿を隠そうとする時間帯だった。
木造の建物はその色を濃くして黒に近くなり、窓から暖炉の明かりが漏れている。
民家のいたるところから香る夕食の匂いは疲れて居るこっちの胃袋を刺激して、いまにも力が抜けてしまいそうだ。
腹の虫がさっさと夕食を食わせてくれと訴え、一気に疲労と空腹で足が重くなる。
汗を吸って濡れ、そのまま乾いてしまった服の感触は気持ち悪くて、それがこっちの気分を滅入らせた。
「はあ」
『どうしたの、テツマ?』
「初めての依頼で疲れたか?」
ついついため息を吐くと、アルフォニカとコールから心配されてしまった。
いいや違う、と軽く首を横に振る。
ふと、視界にコールが映った。
その背には、鎧を脱いだ状態の騎士――の死体。最初はテッドが背負っていて、町へ着く少し前に疲れたようだったので、今はコールが背負っている。
この死体も、王都へ連れて帰るそうだ。
家族の元へ。
それがテッドの願いだった。
家族が居て、けれど死んでしまって……テッドはこのことをどう説明するつもりだろう。
……いや。
こんなにも身近に『死』を感じて、俺と同い年なのに動揺していないその姿は、俺なんかよりもよっぽどすごくて、大人のように思えた。
「……腹が減って倒れそう」
『ぷっ。なにそれ――テツマにもそんな、可愛い所があるのねえ』
そんな感情を押し隠して、気の無い言葉を口にする。
空腹なのは本当だ。
けれど、子供の頃の友人と自分を比べて惨めな気持ちになっている――そんな自分が情けなくて、忘れたくて出た言葉でもあった。
「ははは。こっちの仕事を手伝わせちまったしな、晩飯は奢ってやるよテツマ、コール」
「おお。太っ腹だな、カルサのおっさん」
「くはははは。騎士団に入って仕事をしているからな。たぶんお前よりも懐は温かいぞ」
「カルサさん、一応僕たちが持っているお金は王都に住んでいる人たちの税金なんだからね……」
ああ、税金っていう概念があるんだ、王都の方だと。
そんなことをぼんやりと考えながら、町の大通りを歩く。昼間に居た元気に走り回る子供達、買い物をする町の人々、忙しなく擦れ違っていた馬車。
それらはほとんど姿を消していて、みんなが家に帰って晩御飯を食べている。
人の気配が薄れ、黄昏時に染まった町の光景は昼間に見た時とは全く違い、活気は無いけれど印象的で、徐々に夜の闇に染まっていくその光景が寒々しくも、どこか神々しい。
昼間から夕方、そして夜へと変わる世界。
その中を四人――宙を浮いているアルフォニカとフィオカを含めるなら五人と一匹、並んで歩く。
そう意識すると、こう。
コールは最近会って一緒に旅をし始めたばかりだけど、なんだか昔に戻れたような気がした。
田舎の村で、一緒に居た頃。
子供らしく遊んだ記憶は無いし、特別な思い出があるわけでもない。
それでも――俺にとっては八年前の大切な記憶だ。
そんな昔に、少しだけ戻ったような感じ。感傷――というには少し違う。
ただ、ちょっとだけ懐かしい。
「なあ、テッド。お前ってこの八年、何していたんだ?」
「僕?」
宿屋へ戻る道すがら、なんとなく聞く。
「カルサのおっさんと、ずっと一緒だったのか?」
「そうだね。住んでいる場所は違うけど、同じ魔法学園に通っていたし」
「魔法学園って言うと、半年前にモンスターに襲われたとか言っていたな」
廃坑の入り口付近でモンスターと戦った時に、なんだか聞いたような気がする。
正直、あの時は凄く慌てていたので、話のほとんどを覚えていないけど。
「うん。突然モンスターが現れてね」
「しかも、ちょうどその時に国のお姫様が学園の視察に来ていてなあ……ありゃあ大変だった。騎士団にも犠牲が出たし」
「お姫様――」
少しだけ、記憶に残っている。たしか、カルサのおっさんと同じ顔をしているっていう……。
でも、あれは昔の話。
成長したら、全然違う顔だったりするのだろうか?
『子供の頃はカルサと瓜二つだったのよね――今もそうなの?』
「怖いくらいにな……こっちとしてはいい迷惑だ」
「ふうん……カルサのおっさんと同じ顔ってことは、かなりの美人なんだろうなあ」
『なあに? テツマったら、カルサの顔が好みなの?』
いや、違うよ、と。
首を横に振ると、コールが驚いた顔をしていた。
「カリーナ姫と同じ顔をしているのか、君は?」
「ん? ああ。嬉しくないがね」
「罰当たりだなあ、カルサさん」
罰当たりとか、そういう問題だろうか?
いやまあ、王族を神聖視している側からすると確かに罰当たりなのかもしれないけど。
「お前は良いよ、テッド? でもな、自分と同じ顔をした女がオレの目の前でお前に毎日抱き着いていたんだぞ? 鏡を見ているみたいで気持ち悪ぃよ……」
『ぷっ』
「笑うなよな。こっちは本当に毎日見せつけられたんだから――」
どうやらそれは、カルサのおっさんからするとかなりのストレスだったようだ。
まあ、中身が男で、そんな自分と瓜二つの存在が居るってだけでも驚きなのに、その人がテッドに抱き着いているとなると……確かにツライものがあるかもしれない。
「っていうか、お姫様に抱き着かれるって何さ? そんなに羨ましい生活をしているのか、お前?」
「……たぶん、テツマが思っているのとは全然違うと思うよ。周りから向けられる視線とか」
『あー、確かに。称賛とかはないかもね』
そういうもんかね?
首を傾げると、アルフォニカが触れられない手で俺の肩を叩こうとした。
『だって、相手は王族だからねえ。むしろ、周りの貴族とかが胃を痛くしているんじゃない?』
「俺からすると玉の輿――下っ端騎士と高貴なお姫様の恋物語って感じで、吟遊詩人でも歌っていそうな内容だと思うけどな」
「冗談でも止めてよ、テツマ」
どうやらお姫様のアプローチはテッド的にも色々と辛いものがあるようだ。
その声音が沈んでいて、ちょっと面白い。
他人の色恋沙汰ほど、気持ちを明るくさせてくれるものはないだろうと思う。
「しかし、お姫様に気に入られるなんてなあ……さすがテッドだ。予想もしていなかったことを簡単にしてくれる」
「確かに」
「なんでそこで納得するの、カルサさん!?」
だってテッドだし。
俺と同い年――まだ十五歳なのに大人とあまり変わらない身長に、この八年で前以上に鍛えられた肉体。
女性に聞けば十人が十人『美形』だと答えるだろう容姿も相まって、お姫様と仲が良いと言われても全く驚かない。
むしろ、お前ならそれくらいするだろうよ、とすら思えてくる。
物語で語られる『騎士』そのもの。
それは羨ましくて、眩しくて。
でも、妬ましいのではなくて――ああ、こいつにはどこまでも行ってほしいな。そう思える。
「しっかし、モンスターねえ……いったいどうして、どこから現れたんだ?」
「分からないよ。その辺りは、王城の偉い魔法使いの人達が調べてるんだ。それで、騎士は原因が分かるまでモンスター退治」
「なるほどなあ」
テッドはそう言って、アルフォニカの方を見た。
正確には、テッドとフィオカが、だ。
いつの間にか、テッドの肩に乗るようにして移動していたフィオカがアルフォニカの隣に並んでいる。
「そこで、アルフォニカさんに話を聞きたくて」
『なあに? お姉さんの初恋の話とか?』
「何百年前だよ……」
「ああ?」
――ほんと、美人が低い声を出すと怖いよな。
その一言だけで、あ、謝らないと、って気持ちになったぞ。
「そういやテツマ。お前、精霊信仰って知ってるか?」
「精霊信仰? あれだろ、この辺りで一番人気がある宗教」
「……間違ってないけど、それ、精霊を信仰している連中に聞かれたら火炙りにされるぞ」
魔女裁判かよ。
「確かに一番勢力のある宗教っていうのは間違ってないが、そうだな――魔法使いに力を貸す精霊じゃなくて、この大地を支える精霊を信仰しているって話だ」
「うん。その辺りはコールに教えてもらったよ。あと、邪霊教とか、竜神信仰とかあるんだって?」
「まあ、そっちはどうでもいいけど――その精霊を信仰している連中の間で花、アルフォニカは結構有名なんだよ」
「……この年齢で嘘つきまくってるの自称お姉さんが?」
『さっきから酷くない? テツマだって年齢で嘘ついてるじゃない。中身』
まあそうだけど、と。
テッドもカルサのおっさんもその話には興味が無いようで、無視されていた。
これはこれで悲しい。
「それで、僕たちはアルフォニカさんに会いに行く途中だったんだ」
「こいつに?」
『私に?』
「うん」
なんだろう?
ふとそう思ったけど、こいつってなんとなくだけど色々物知りで、それに……長生きしているんだよな。
精霊だからじゃなくて、長く生きて、世界中を旅して、そして俺がアルフォニカの存在を見る事が出来たからって理由で傍に居てくれた。
俺は、俺が知る以前のアルフォニカを知らない。
ただ、お馬鹿で、優しくて、面倒見のいい精霊――そんなアルフォニカしか知らないのだ。
「そんなに有名なのか、アルフォニカって?」
『そうかなあ? 普通だと思うけど』
「その辺りは、王都に来てくれたら分かるよ。正直、オレもかなり驚いた」
カルサのおっさんがそう言うと、アルフォニカはこれ以上何も言われたくないのかそのまま姿を消してしまった。
ただ、存在だけは傍に感じる。
……たぶん、これ以上姿を見せていたら俺からも話を振られると思ったのだろう。
あんなに聞かれたくなさそうな顔をしていたら、俺がお前に聞くわけないのに。
そのまま一緒にフィオカも姿を消してしまう。
こうなると精霊たちが何を話しているのかは聞こえない。
内緒話……なんだろうな。
「それより、カルサのおっさんの驕りなら何を喰うかな……疲れたし、肉を食いたいな、腹いっぱい」
「お前ってやつは……これだけ話したのに、アルフォニカの事は気にならないのか?」
カルサのおっさんの言葉に、肩をすくめる。
まだちょっと左腕が痛くて、顔を少しだけ顰めてしまった。
「聞いて良い事なら、そのうちアルフォニカが教えてくれるだろうし――アルフォニカじゃない人からとか、あいつが聞かれたくないことを無理矢理聞くとか、そういう趣味は無いよ」
そのまま、少し歩くスピードを上げて宿へ向かう。
……そりゃあ、気になるさ。聞きたいさ。
なんだろうね、この気持ち。
アルフォニカが遠くに行ってしまったような。
そして、これから遠くに行ってしまうような。
そんな気がした。
不安?
ああ、確かにそんな感じだ――。




