第十三話 鬼龍寺鉄馬の初仕事
「やっと町についた……」
歩くよりずっと早いとはいえ、昼間の間はずっと馬の鞍に座っているとなるとかなりの負担が尻に来る。
ぶっちゃけると、物凄く尾てい骨の辺りが痛くなってきていたので、次の町に到着した時の感動は相当なものだった。どれくらい嬉しいかと言うと、大きく息を吐いて肩を落とし、安堵で口元がにやけてしまうくらい。
そして、そんな表情を見たアルフォニカが少し俺から距離を置いてしまうくらいの安堵だ。
……失礼過ぎるだろ、この相棒。
「なんで離れるのさ?」
『いやだって、その顔が凄くだらしなくて……』
「失礼なヤツ」
『テツマだって、いつも私をおばさん臭いとか言うじゃない!? そっちが失礼だからね、凄く!』
「……あー。痴話喧嘩もいいが、天下の往来で一人ぶつぶつと言っているのはどうかと思うぞ」
「あ」
そうだった。
精霊であるアルフォニカは普通の人には見えず、そんな彼女と話していると……まあ、田舎の村でも実感していたが、それはもう冷たい視線を向けられる。
ほら――。
「あれ?」
しかし、向けられる視線は意外にも……なんというか、変人を見るような感じではなく、驚きと温かみ――みたいな。
俺が知っている、田舎の村で向けられていた『冷たい視線』とは全然違うように感じて、むしろ俺の方が面食らって周囲を見回してしまった。
木造の建物が並ぶ大通りには人が多く、その建物の軒先にはいくつかの小さな看板が掛けられ、風に揺れている。
看板には様々な模様が描かれており、模様でその建物が何のお店なのかを示しているようだ。
その大通りには目が届く範囲だけで数えるのも億劫になりそうな……百人近い人が歩いており、先日滞在した実家の村に一番近いアーリヴィンの町より人口は多いように思う。
この町に辿り着くまでに遠目で見た限りだと、アーリヴィンよりも一回り大きな街のようには思っていたが……そのうちの数十人が俺の方を見ているようだった。
「え、っと」
「それが魔法使いを見る目だ。ここは比較的、精霊信仰も盛んな町だから」
「それじゃあ、ここの皆はアルフォニカが見えるのかな?」
「そうじゃない。独り言を話しているお前を見て、魔法使いだと感じたのだろう。見えないが存在を感じる事が出来る……くらいじゃないか? 全員ではないだろうが」
はー……と。
今までとは全然違う対応に戸惑っていると、馬上の俺へ向けて一礼をして町の人達は離れていった。
『あらあら。他人から冷たい視線以外を向けられて、動揺しちゃって』
どうしていいか分からないでいると、アルフォニカからいつものように揶揄われた。
まったく。こっちはいつも通りだなあ、と。ため息を吐きながら、アルフォニカの方を見る。
「なんだよ。お前だって……ああ、いや。お前はいつも通りか」
『なんでそこで、ちょっと馬鹿にしたみたいな言い方になったの? ねえ?』
「話すのも良いが、宿へ行って休んでからにしないか?」
「そうだな」
『あ、ひどい。そうやってあからさまに無視するぅ』
先導してくれるコールの後を馬に乗ったまま追い、そんな俺の後ろをぶつぶつと文句を言いながらアルフォニカがついてくる。
けれど、精霊信仰が盛んだという町でも、やっぱりアルフォニカが見える人は居ないみたいだ。
時々すれ違う町の人達も、俺やコールに挨拶はしても、アルフォニカの方は見ようともしない。
「それにしても、結構気さくな人が多いんだな」
「気さく?」
「ああ、いや。普通、見ず知らずの……今日町に来たばかりの人間に向かって、律義に挨拶なんてしないだろ」
「そうか? まあ、そうかもしれないな。ただ、挨拶をしてくるのは何らかの商売をしている人間だと思うが」
『商売?』
「挨拶をして顔を覚えてもらえれば、店を訪ねてきた時の話題にできる。そこから話を広げて買い物をしてもらえるかも――という考えだ」
「はー……なるほど」
『地味な努力ねえ』
まあでも、それが商売と言うものなんだろう。
なんと言うか……少しでもお金を稼ぐためには小さな、目立たない努力も惜しまない。そういうのは、正直に凄いと思う。
「ほらまたそうやって……」
「え?」
「どうせ、今の話を聞いて凄いとか尊敬できるとか思ったのだろう?」
「ぅ」
俺が言葉に詰まると、コールとアルフォニカが聞こえるような大きさでため息を吐いた。
「そうやって共感させるのが目的なんだ。そうすれば、店で買い物をする時にあまり必要ではないものまで買ってくれるからな……お前のような純粋な客は」
「じゅ、純粋純粋って何度も言うなよっ」
『いや、純粋でしょ。私でもへーすごいなー程度にしか思わないのに、テツマったら『頑張ってるな。凄いな。俺も負けないように頑張らないと』くらいは考えていたでしょ?』
「そこまでは……」
ない、と言うより早くコールもアルフォニカも俺から顔を逸らした。
…………ひどい。
「まあ、旅を長く続けるなら路銀は大事なんだ。無駄な買い物は控えるようにな」
「わ、分かってるよ」
『ホントかなあ?』
「……アルフォニカみたいにケバケバしく着飾らないから大丈夫だよ」
『け、ケバケバしい!?』
俺の言葉があまりにショックだったのか、すぐにアルフォニカは黙ってしまった。
まあ、いつも煩いし。偶には良いと思っておく。あとがちょっと怖いけど。
そうしている間に町の宿へ着くと、馬を預けて店内へ。酒場と一体になった店内は昼間だというのに客が多く、建物の外にまで声が届くくらい賑わっていた。
「うわ、酒臭いな……」
「ふむ」
そんな俺の反応とは違い、コールは何に気付いたのかその整った顎に指を重ね、店内をぐるりと見回す。
『昼間から人が多いのね。働いていないのかしら』
ああ、なるほど。
俺が住んでいた村ほどではないけれど、それでも十分まだ田舎と言える規模の町だ。
町へ到着する前に周囲を見たところ、町の中にも小規模の畑がいくつもあって、少し離れた場所には少量だが鉄が取れるという小さな鉱山も有している。
小規模な高山外として栄える町ダルヴェージュというのが町の名前で、昼間は鉱山で働く人が多いとコールから聞いていたのを思い出した。
けれど、宿……酒場の店内には屈強な男の人達が多く、とても鉱山で働いている人が居るようには思えない。
「テツマ、私は少し聞き込みをしてくる。お前とアルフォニカは部屋を借りて休んでいろ」
「あ、うん」
言われるまま、酒盛りで賑わっている一団を避けて、宿の受付をしている人の方へ。
遠目では分からなかったが、年のころは十代前半。俺よりもずっと小さい、まだ少女と言うべき年齢の女の子。
髪の色も容姿も全然違うけど、まだ子供だったカルサのおっさんをなんとなく幻視したのは、あの頃の俺達と同年代くらいだからだろう。
栗色の髪にどこか牧歌的な印象を受ける、良く言えば温かみのある、悪く言えば垢抜けていない素朴な少女は、長い前髪で目元を隠しながら、上目遣いに俺を見た。
目元のそばかすが愛らしく、よくよく見るとカルサのおっさんには全然似ていない。
いやまあ、当然なんだけど。
中身が男と言っていたとはいえ、あんな美少女が何人も居るはずがないのか。
「一部屋借りたいんだが、空いてるかな?」
「はい。一晩ですか? 三日以上借りていただけますと、少しお値段が安くなりますが」
「あー……」
『だーかーらー。ちょっと安くしてもらえるって言葉に揺らがないの。一晩よ、一晩』
一瞬言葉に詰まった俺にすかさずアルフォニカが反応し、頭の上で注意されてしまう。
いやね。
だってほら、オマケとか安くなるとか言われると、ついつい迷ってしまう事ってあるだろう?
そういうものだよ、今の……と心の中で言い訳をしたってどうしようもない。
「一晩。二人部屋で」
『三人っ』
「……三人部屋で」
お前、その気になれば宙に浮いて休めるんだから、部屋の外で星を眺めながら寝てもいいだろうに。
そう言いたかったけど、アルフォニカも女性なのだ。その辺りはちゃんとしないといけない。
まだまだ旅は始まったばかり。
こんなところで変に嫌われても、良い事はないだろう。
もしこれでアルフォニカに実体があったら、二部屋取らされていたのかな……と考えると、三人部屋を一つ借りる方がまだマシかと思った。
「かしこまりました。では、三十ゴールドになります」
「……俺の剣よりたけぇ」
『安物だもんね』
いつかもっと良い剣を買おうと変なところで決意しながら、部屋の鍵を借りる。
アーリヴィンの宿だと鍵が無かったけど、ここだと鍵付きの部屋なのか。やっぱり人が多い町は違うな、と思いながら二階へ。
一階が酒場になっているので二階もそれなりに騒がしいが、部屋に入って床に荷物を下ろし、ベッドに座るとその喧噪も丁度良いBGMに変わる。
部屋の中にはベッドが三つに服を掛けるクローゼットが一つ。
今朝方に摘んできたのか、可愛らしい赤い花弁を咲かせた花が花瓶に生けられ、窓から差し込む陽光で瑞々しく輝いている。
カーテンもあるし、かなり良い部屋だ。
それほど広くはないが、一晩休むだけなら十分すぎるだろう。
「あー……疲れた」
『まだ若いのに、おっさんみたいな声を出して……この子は』
「中身はおっさんだからなあ」
それも、肉体が若いからか、それほど年を食っているような感じはしないが。
前世の記憶から得た知識もそれほど深くなく、浅く広くといった感じだし。
合計して四十を超える精神年齢なのかもしれないが、けれど精神は肉体に引っ張られるものなのか。
村を出て旅をして――あれほど村では周囲が気になっていなかった、ともすれば煩わしくすら感じていたというのに、外の世界は刺激に満ち溢れて毎日がそれなりに楽しい。
それなりと言うのは一部……先日、初めて人を殺してしまったことで、まだ気持ちが落ち込んでしまっているという事。
自分でも分かるくらいなのだから、長い付き合いのアルフォニカも気付いているだろう。
現に、あの時以来、この話題を振ってこない。
俺が知るアルフォニカの性格なら、笑い話とは言わなくとも、話のネタくらいにはしてくると思っていたから意外だ。
なんだかんだで、優しい性格なのだ。こいつは。
「なあ、アルフォニカ」
『なに? あ、馬車だ』
「子供か」
馬車ぐらいで何をはしゃいでいるのか。
ため息を吐きながら、ベッドへ横になる。
……装備を外していなかったので、鉄の胸当ての繋ぎ目が服を巻き込んで少し痛くなった。
起き上がって装備を外す。
『ぷっ。痛かったの?』
「……痛くなかったよ」
変なところを強がって、また横になる。
ボスっと頭の後ろに柔らかい枕の感触と、僅かに感じる干した布団の香りは一瞬で俺の気を緩めてしまった。
欠伸をすると、いつの間にか窓際から傍に来ていたアルフォニカに緩んだ顔を覗かれてしまっていた。
『変な顔。大きくなっても変わらないね、テツマは』
「子供っぽくて悪かったな」
『なあに? コールの話を真剣に聞いちゃったことを気にしてるの?』
「うるせえ」
乱暴に言って寝返りを打つと、クスクスと鈴のように涼やかな笑い声が耳をくすぐった。
いつもは馬鹿を言い合う仲だけど、こういうところはやっぱり年上なんだなと感じさせられる。
そして、俺はまだまだ子供なんだとも。
『気にしなくてもいいのに。そういうところが、テツマの良い所だと思うし』
「俺はもっと――やれると思っていたよ。剣も魔法も、冒険も」
格好よく戦って、仲間の先頭に立って冒険をする。
夢想していた鬼龍寺鉄馬の冒険譚。
けれどそれはあっさりと砕け、敵を一人殺すだけで必死になって、冒険では無知を晒して必死になって。
格好良いとは程遠い。
気付いたのは格好悪い自分の姿。
なんというか……情けない。
もうちょっと、こう、なあ。格好良くばっさばっさと敵を薙ぎ倒す……ような格好良さを求めていたのだけど。
現実とはこんなものである。
『初めてなんだし、しょうがないよ』
「しょうがないでも――やっぱりさあ。俺はアルフォニカを見る事が出来るし、前世の記憶もある。魔法なら何でもできるし、剣術だって人並みには使えると思っていたんだ」
『実際は半泣きになりながら追い詰められて、馬に乗ったらお尻が痛くなって、町に着いたら疲れて動けなくなってるもんね』
ぐうの音も出なかった。
あと、話に出てお尻の痛みがぶり返してきたので身動ぎをする。尾てい骨が軋むように痛んだ。
……この町を出る時に馬を売って、また歩こうかな。そんな考えが頭を過る。
『テツマのそういうところが私は好きなんだし』
クスクスと、また明るく笑いながら、アルフォニカが耳元で囁いた。
寝返りを打って顔を背けていたから不意打ちになって、自分でも驚くくらい方が震えてしまう。
『ぷっ。テツマったら敏感ねえ』
「揶揄うなよ。まったく」
疲れているのだからと、更に寝返りを打つ。木造の壁が視界一面に広がると、旅の疲れがどっと出た。
一瞬で眠くなりながら、まだ窓の外が明るいことを思い出して目を覚ますように深呼吸を数回する。
『大丈夫? 村に帰る?』
それをどう思ったのか――ああ、いや。もしかしたら俺が意識しないようにして、それでも先日の夜に初めて人を殺したことを忘れようと体の中に溜まった膿のように淀んだ気持ちをため息と一緒に吐き出した事をアルフォニカに気付かれたからか。
まあ、どっちでもいいか、と。
自分でもよく分かっていないが、アルフォニカのその言葉は――不思議なくらいゆっくりと俺の胸の奥に沈んでいった。
「帰らないよ」
『うん』
ずっと、村を出る事を考えていた。
それがどんな形であれ――俺はきっと、いつか村を出る。確信に似た感情が胸にあった。
だから、それがたった一度の戦闘で……たとえその戦闘で何者かの命を奪う結果になっても……それでも揺らぐことはない。
そしてきっと、これから先も――俺は村に戻ろうとは思わないだろう。
もう、あの村に残してきたものは何もない。
親父も母さんも、ジミーとしての人生も。何もかもを置いてきた。
村を出る時に決めたのだ。
俺はこれから鬼龍寺鉄馬として生きていくと。それがどんな結末を迎え、どのような奇跡を成そうとも。
それは鬼龍寺鉄馬の物語であり、ジミーの物語ではない。
それでいい。
それがいい。
「テツマ、アルフォニカ殿。仕事を受けてきたから私はこれから出かけるが、二人はどうする?」
そう考えていると、部屋のドアがノックされた。
ドアの向こうから聞こえてきたのはコールの声だ。
『仕事?』
「町が見えてきた時に話しただろう。近くに鉄が取れる鉱山があると」
『ああ、そういえば』
「どうやらそこに危険な獣が現れたらしい。だから今は、日中だというのに耕夫が酒場に集まっているそうだ」
「んん? どういうこと?」
コールの声をドア越しに聞きながら、ベッドから起き上がる。
俺の代わりに会話していたアルフォニカは……ドアから上半身だけを廊下側に出していた。ちょっとしたホラーである。
あと、こっち側からはアルフォニカの大きなお尻が丸見えで、スカート越しだけどちょっと目のやり場に困ってしまう。
こいつ、本当にこういうところは無防備だよなあ……一緒に居るこっちが困ってしまう。
「鉱山の入り口に危険な獣が現れて仕事どころではないそうだ。一応騎士団が依頼を受けたそうだが、数日前から音沙汰が無いらしい」
『つまり、騎士も手こずるような相手ってことかしら?』
「いや、鉱山までの道が複雑だから迷ったのだろうという話だ――それで、テツマ。もしお前が冒険者や傭兵として生計を立てていくつもりなら、依頼の受け方を教えておくが?」
「それは助かる。凄く」
なにせ、その辺りの知識は何一つ持っていないのだ。
俺はベッドから降りると先ほど外した防具を再度身に着け、安物のロングソードを手に部屋を出た。
「今から?」
「ああ。まあ、獣の方はもう騎士が倒しているかもしれないが、数日前から遭難しているとなると食糧もそろそろ底を尽くだろうからな」
「なるほど」
獣退治と言うよりも、遭難した騎士の救助が受けた依頼という事か。
それなら安全そうだ。
安堵の息を吐いてしまったのは、いくら獣とはいえ『殺し、殺される』仕事ではなかったから……まあ、確定ではないのだけど。
「もしかしたら問題の獣と戦闘になるかもしれないから、準備は万全にして向かおう」
「あ、うん。分かった」
傷薬に夜遅くなるかもしれないから松明、日持ちする食糧に飲み水。
寝具などは荷物になるので必要ないし、着替えのようなものも邪魔になる。
一階へ降りるまでにコールから必要なものが何なのか教えてもらいながら、僅かに高揚している気持ちを落ち着けるようにゆっくりと呼吸を繰り返す。
村を出て、初めての仕事。
これからの、鬼龍寺鉄馬の人生の始まり――と言うには、言い過ぎか。
大丈夫。今度こそやれる。
そう考えながら、コールとアルフォニカから一歩遅れる形で、宿を出た。




