第十二話 鬼龍寺鉄馬は純粋である
『昨日の夜はよく眠れた?』
「ん? んー……まあ、普通かなあ」
カポカポと馬の蹄が地面をける音を聞きながら、アルフォニカの問いに答える。
相変わらず空中に浮く彼女は馬が進む速さに合わせて浮きながら、俺から憑かず離れずという位置。
すぐ真横に女性の顔があるというのは中々にホラーな光景なのかもしれないが、子供の頃からなので慣れたものである。
ただ、そんな俺の言葉が気に入らなかったのだろう。その整った表情、柔らかそうな頬を膨らませて軽く睨まれてしまった。
「なにさ?」
『別にー』
……どうやら本当に怒らせてしまったようだ。
アルフォニカはそう言うと姿を消してしまった。俺の目でも見えなくなってしまう。
ただ、気配のようなものは感じるので、すぐ傍には居るようなので何も言わないでおく。こういう時は時間が経つのを待った方が良いというのは、これまでの人生経験と言えるのか。
「怒らせてしまったな」
「半日もしないうちに出てくるよ。あいつ、黙って居るのは苦手だし」
「そう、なのか」
姿は見えないけど、さっき以上に頬を膨らませているような気がしたが、見えないという事で気付かなかったことにする。
あと、俺達がどういう関係なのか少し理解したらしいコールが口元を引きつらせながら、俺の隣に並んだ。
もちろんこっちも馬に乗っている。
この二頭は昨晩襲ってきた夜盗が使っていたらしい馬だ。乗り手が……まあ、死んでしまったので、俺達が使わせてもらっている。
どちらも栗毛の――俺の方は額に白い点のような模様がある馬で、中々に人懐っこいのか、初心者の俺が乗っても暴れる様子はない。
そんな馬の手綱を握りながら、のんびりと道沿いに草原を進む。
見るべきものは何もない……どこまでも続く、緑一色の草原。
左側には深い森、頭上には青い空。白い雲に輝く太陽。
……多少景色の変化はあれど、村で見慣れた長閑な風景である。これで気持ちが晴れやかなら、少しはこの旅も楽しめるのだけど――残念ながら、今は少し気分が悪い。
それも当然だ。
昨晩、俺はこの手で人間を殺したのだから。
「はあ」
今日、何度目のため息だろう。
朝起きてからはずっとこの調子で、アルフォニカからすら心配されてしまう始末。
自分でもこの調子じゃだめだと分かっていても――どうしても気にしてしまうのだ。人間を、殺したと。
「初めてだったのだな」
「ん?」
「人を殺したことがだ」
「……ああ。初めてだったよ」
こう、なんというか。
“こういうこと”が当たり前なんだというのは、コールの反応を見ればわかる。
彼は俺が一人と戦っている間に三人の夜盗を斬り、殺している。けれどそれを気にしている様子はなく――『殺さなければ殺される』のだと教えてくれた。
アルフォニカも同じように俺を慰めてくれて、昨日の夜は……一睡もできなかった。
当たり前だろう。
初めて人を殺した。この手で。
感触も覚えていないし、どうやって殺したのかも曖昧だ。
ただ、気付いたら俺の両手は真っ赤になっていて、手には持っていた覚えのない短剣を握っていた。
後から聞けば、追い詰められた俺が相手の武器を奪って、それで相手をめった刺しにしたんだと。
……子供の頃からずっと練習していた魔法すら上手に使えず、せっかく買った鉄のロングソードは早々に手放した。
今日までの日々は何だったのか……それを嘆く余裕もない。
昨日の夜のようなことが世界の日常で、村から出た俺はその日常の中で過ごしていかなければいけないのだと自分に言い聞かせる。
「田舎の村で生活していたと言っていたな」
「ん――ああ」
「もう経験していると思っていたよ。てっきり、農業は手伝いで、魔法使いとしての仕事をしているのだと勘違いしていた」
「……魔法使いとしての仕事?」
「村の用心棒さ。お前くらいの年齢で仕事をしている魔法使いも珍しくない――中には精霊が見えないことを良い事に、村の人間を騙している魔法使いを自称する悪人も居るが」
そうなのか、と。
どうやらコールは、てっきり俺は魔法使いとしての仕事で生活していると勘違いしていたらしい。
というか、聞いていると魔法使いが農作業をするというのが変な話なんだとか。
「村だと怖がられていたなあ……アルフォニカが見えない人ばっかりだったし。昔、村に引っ越してきた都会の子が居なかったら、本当に気が降れた子供みたいな扱いだったと思うよ」
「田舎の方では精霊信仰は盛んではないらしいからな」
「信仰……そういうのがあるのか」
「……アルフォニカ殿から聞いていないのか?」
そう言って、コールは空中を見上げた。
たぶんアルフォニカが居るであろう方向を向いたんだと思う。ただ、当のアルフォニカは姿を現さないままだけど。
「それで、その信仰って?」
「私から教えていいのか?」
コールがそこまで言っても、アルフォニカはやはり姿を現さない。
「いいよ。色んな事を聞いている方が、気が紛れるから」
「それもそうだな――と言っても、私もそれほど詳しくないのだが」
そうしてコールが語ってくれたのは、この世界にあるいくつかの信仰だ。
記憶の中にある前世の記憶でもだが、どうやらこの世界でも人間というのは神様や精霊と言った目に見えない者を昔から信仰していたそうだ。
それがアルフォニカのような人と共存する精霊を信仰する『精霊信仰』、人と敵対して悪さをする『邪霊教』。
そして、この世界のどこにでも存在して、世界崩壊を願う『竜神信仰』……この世界にある信仰は、大きく分けてこの三つなのだそうだ。
ただ、田舎の方ではそのどれも支持されておらず、大体は王都を中心として広まっているのだとか。
「精霊信仰はなんとなくわかるけど、その邪霊教っていうのと竜神信仰ってのはどう違うんだ?」
「邪霊教は精霊の中にも人間に悪さをする精霊が居るから気を付けよう、精霊を信頼し過ぎるな、と訴える教義だな。まあ、あれだ。世界は人間が支配しているのだから、人間だけの力で生活するべき……みたいな考え方をしている連中だ」
「ふうん」
「その多くは『精霊が見えない』連中で、それほど数も多くない。まあ、精霊と魔法の存在が身近にあるから、それも当然だろう。頭が固い連中だ」
何か思うところがあるのか、ただ単にコール自身も精霊が見えているからあほらしいと思っているだけなのか。
ただ、どうやらこの邪霊教と言うのはあまり世間からは支持されていないらしい。
精霊が見えない連中で構成されているという話だし、ただ『精霊が見える連中』を妬んでいるだけのような気もしてきた。
「竜神信仰は?」
「こちらは……悪質だな。もし旅先で竜神を信仰している人間を見かけたら、騎士に報告するか、逃げるんだ」
なんだかいきなり物騒な話になったな、と。
馬の手綱を握り直し、鞍の上で居住まいを正してコールの言葉に耳を傾ける。
「ずっと昔――私やテツマが生まれるより前に大きな戦争があったらしい。この大陸を二分する勢力の戦争だ」
「人間同士の?」
「いや……精霊と竜の戦争だったそうが、詳しい資料は残っていないらしい」
それでも大きな戦争が起きて、それに精霊と竜が関わっているという情報が残っている辺り、言い伝えレベルの話なのかな、と。内心で考えておく。
「テツマは知っているかもしれないが、精霊は自然と共に生きる存在だ。だが竜は、あらゆる存在を破壊する存在で――言い伝えによると、この大地どころか自分自身も破壊しようとしていたそうだ」
「……それ、放っておいたら勝手に自滅するんじゃないか?」
「詳しい話は知らないが、私もそう思う――が、この大地と自分達。その全部を無にする存在だと考えると、どうしようもなく不気味だろう?」
所謂『自爆テロ』みたいなものか。規模は全然違うけど。
それに竜って……ドラゴンだろう?
魔法が存在する世界で今更かもしれないけど、ファンタジーすぎる。
モンスターが居ない世界……なんだよな?
「竜が居るなら、魔物みたいなものも存在するのか?」
「まもの? なんだそれは?」
「ああ、いや。居ないならいいや」
俺もあまり世間の事は知らないが、それでも今まで生きてきて『モンスター』が存在するだなんて話は聞いたことが無い。
やっぱりモンスターなんて存在しないなら、そのドラゴンだって本当に存在するのか怪しいものだ。
「それで、竜神信仰だが。信者は竜を復活させるのが目的らしい」
「本当に存在するか分からないのに?」
「信仰と言うのはそう言うものだ。真実がどうであれ、自分自身が信じる事に殉じる――それを正しいと心から思い込んでいる連中だ」
それもそうか。
思い浮かぶのは、前世の記憶。神様なんて誰も見たことが無いのに、色々な宗教が様々な神様を奉っていた。
中には善とはとても言えない悪神も存在していて、それらは大地に降り立つだけで世界を滅ぼすなんて予言されていたほど。
……そして、それを心から信じていた。
「けど、精霊は実在しているんだよなあ」
「だからこそ竜も存在する――連中からすると、それが証明になるらしい」
精霊が存在しているから、その精霊と戦ったと伝承に残る竜も存在している。
だから『竜神信仰』の連中は竜を復活させようとする……か。
「まあ、竜が本当に存在するかどうかはさておいて。どうやって復活させるんだ?」
「それが……」
コールは初めて、そこで口ごもった。
続きをどう説明するべきか迷ったのではなく、俺に言っていいのか……という迷いだ。
一瞬逸らされた視線から、その『復活させる方法』が碌なものではないのだろうという予想が出来てしまった。
ため息を吐く。
「なんとなく分かったから、一応教えてくれ」
「……生贄だ。こう、よく分からない模様――騎士団の発表では独特の魔法陣の中で人を殺して、その魂を捧げるんだとか」
「マジか……」
エグいな、竜神信仰。もう、邪教とか狂信者とか、そんなレベルじゃないか。
「なあ、アルフォニカ。その竜って言うのは本当に存在しているのか?」
これ以上聞いているとまた気持ちが悪くなりそうだったので、さっさと答えを聞くことにする。
すなわち、話に出ていた竜と戦っていたらしい精霊のアルフォニカから言い伝えの真実を聞くこと。
けれど、俺が呼び掛けてもアルフォニカからの返事はない。
ただ、気配はするから傍に居ることは間違いなくて……その反応は単に『話したくない』と伝えているだけで、同時に『竜神信仰』の内容が間違っていないと予感させるには十分な反応だった。
「え……本当に竜なんて存在するのか?」
『――しないわよ』
俺が改めて聞くと、呆れた返事が返ってきた。
アルフォニカが姿を現し、思いっきりため息を吐かれる。
『テツマ……確かに『竜神の信仰』は存在しているけど、そんな与太話を信じる、普通? 王都なんて都会に行ったら騙されて身包み剥がされるわよ?』
「そこまで言う事か!?」
「ああ。真剣な顔をしていたが、こんなのは狂信者の与太話だぞ? 王都の騎士団や魔法学園側だって完全に否定している」
俺に信仰の事を説明していたコールにまで、思いっきり呆れられていた。えぇ……。
「だって、精霊は本当に存在するし……」
『だから? 精霊は確かに存在するけど、だからって竜が実在する証明にはならないでしょ』
「…………なんだろう。馬鹿にされるより悲しい気持になるのは」
たぶん、呆れられているからだと思う。コールの話をいつの間にか完全に信じていた俺を。
「記録に無いと言っただろう? 実際に存在する政令を信仰するのとは違う――『存在しない』竜を信仰するというのは、精霊の加護を得られない人間が世界を妬んだ言い訳だ」
「……それだと、邪霊教と変わらないんじゃないの?」
「そうだ。ただその規模が違う。そして、邪霊教だって世界の崩壊を望むほど馬鹿なじゃい……竜神信仰の連中は、邪霊教以上の馬鹿という事だ」
そう言い切るコールの横顔の口元は、笑っていた。
「心配だ」
『心配ね』
「……」
なんか、一気に疲れたな。
ため息をついて、空を見上げる。どこまでも続く青空は、いったいどこまで続いているのだろう。
そんなおバカな事を考えてしまう。
「気を付けるんだぞ、テツマ。お前みたいな素直……純粋? 人の言葉を信じすぎる人間が、竜神信仰にハマるらしいからな」
「……大丈夫だよ。その辺りは」
『そういう人間が危ないのよねえ』
ああ、これはしばらくこの話題で揶揄われるな。
確信できた。
「はあ」
まあでも、気持ちは楽になった……かな。
大丈夫。
俺はまだ旅を続ける事が出来る。進む事が出来る。
この世界で生きていかなければいけないのだから――殺されるわけにはいけないんだ。




