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第十一話 鬼龍寺鉄馬と初めての戦闘


 それは突然の事だった。

 いや、予想していなかったわけではない。

 頭の片隅にこの可能性は常に浮かんでいたし、こうなるだろうとはどこか確信めいた予感もあった。

 こちらは三人――熟練の魔法使いでなければ存在を気付けない精霊アルフォニカの存在を抜けば二人での旅。

 しかも片方は素人感丸出しの凡人で、熟練の剣士は一人だけ。それも町を出て一日が過ぎた夜という、疲労を覚える時間帯。

 枯れ枝を集めて焚火を囲んでいた時に、それは突然訪れた。


『――あら』


 真っ先に異変に気付いたのはアルフォニカ。その時はまだ俺もコールも何が起こったのか気付かず、夕食の為に仕留めた狼の肉を木の串にさしていた所。

 次に感じたのは、焚火の暖色の明かりを反射して鈍く光る飛来物――矢だ。

 それがコールの後ろからこっちに向かってくるのが分かった。

 周囲は見通しが良い拓けた草原。葦の低い草が周囲に広がっていて、空には真円の白い月。

 人の気配なんか無く、人の姿も見当たらない。


「…………」


 矢が飛んできていることに気付いても、声が出ない。ただ情けなく昼間に買ったロングソードの刃で削った木の串と瑞々しい油で湿る獣肉を手に持ったまま、茫然と飛んで来る矢を見ている事しか出来ず――。

 次の瞬間、コールは振り返ることなく、飛んできた矢を流れる動作で抜いた剣を使って叩き落した。

 カツン、と。鉄製の鏃が地面にあった小石に当たって乾いた音を立てた。


「夜盗か」


 コールがぼそりと呟くと、焚火の前から腰を上げた。


『夜盗だって、テツマ』

「あ、ああ」


 その反応に緊張感も恐怖も無く、まるで当たり前のような立ち振る舞いで腰の鞘から剣を抜くと、コールは何もない真円の月が照らす草原へと向き直った。

 白い月に照らされた夜の闇は蒼色に染まり、けれど聞こえてくるのは枯れ枝が焚火の炎で燃える音と、小さな虫の声。

 焚火の明かりに慣れた目では蒼い草原の世界がうっすらとしか見えず、本当に野党が居るのだろうかと疑い始めたころ――また、矢が飛んできた。

 コールが見ていた先だ。

 足首より少し高い位置にまでしか伸びていない草の中に人が隠れていたのだ。

 矢が放たれたことで、ようやくその存在を知る事が出来た。


「自分の身は自分で守れ」

『貴方は?』

「夜盗退治でも」


 軽く言うと、コールが駆けだした。

 夜盗の数は分からない。数人なのか、十数人なのか。それとももっと多いのか。

 けれどもコールに迷いはなく、蒼い世界の中で黒いマントを翻してどんどん前へ進んでいった。


「援護を――」

『しない方が良いかも。それより、こっちも気を付けて』


 アルフォニカの視界の先。先ほど放たれた矢が、遅れて俺の方へ届くところだった。


『動かないで』


 言われたようにその場から動かないと、数歩分離れた位置に矢が落ちた。

 最初は焦ったが、夜の闇で視界が悪いのは向こうも同じなのだ。

 焚火が目印になるとはいえ、昼間よりもずっと弓矢の命中精度が落ちるのは当然か。

 その事に安堵して息を吐くと、存在を気付かれた夜盗たちが草原から立ち上がった。数は多くない。現れたのは四人。こちらの倍。

 コールが近づいたので隠れている意味が無いと感じた為だろう。そのうちの三人がコールに向かい、一人が俺の方へ向かってくる。


『あらら。テツマが動けないから、こっちが弱いって気づかれちゃったかもね』

「動けないって――」


 自分の身は自分で守れって言われたし、援護もしない方が良いって言われたからなんですけど!?

 文句を言いたくなりながら、旅が始まって初めて、腰から抜いたロングソードを両手で構える。


「ああ、くそ。やばい」


 自分でも両腕が強張っていることに気付いてしまう。

 無様に切っ先が震えていた。


『ほら、深呼吸をして。気持ちを落ち着けなさいな』

「すー……はー……」


 アルフォニカに言われるまま、深呼吸を一回。

 そうしている間に、俺が知っている弓よりもずっと短い短弓を構えながら野党が向かってくる。

 弓には矢が番えられている。その鏃はこっちを狙っていて、確実に当てられる距離まで詰めてくるつもりなのだと簡単に予想できた。


『来るわよ、テツマ』

「分かってる!」


 声を張り上げて言い返し、両手に持った剣を力強く握る。

 剣なんて飾りだ。

 剣術の訓練なんて子供の遊び程度の事しか知らないし、そもそも俺は人間相手に真剣を向けた経験すらない。

 それでも――この世界で旅をするなら、やらなければならない。慣れなければならない。

 そう自分に言い聞かせて剣を握り直す頃には、相手の顔がうすぼんやりと見えるくらいの距離まで詰められていた。


『避けてっ』


 言われるまま横っ飛びになりながら必死に飛び退くと、少しの間をおいて放たれた矢が先ほどまで俺が経って居た場所を通り過ぎていく。

 焚火の弱い明りでもなんとか矢の軌道は読める自分に少し驚き、もう一度深呼吸。

 体が硬いままなのを自覚する。

 アルフォニカの声が無かったら、さっきので終わっていたかもしれない。

 そう思うと、背筋に冷たい汗が流れた。

 終わっていた。それはすなわち、死ぬという事だ。

 村を出て――親父は夜盗に襲われて死んだ。母さんも病気で死んだ。

 死ぬとは、そういう事。

 終わるという事。

 それを知っているはずなのに、だからこそ体は固くなって余計に動かなくなってしまう。


『テツマ、村で訓練していた通りに動けば大丈夫よ』


 アルフォニカが俺の背後に控えるように移動して、そう呟く。

 今度は返事をする余裕もない。

 視界の先で――さっきより近い場所で、夜盗の男が弓に矢を番えているのが見えたからだ。


「ふぅ……はぁ……」


 今度は浅く深呼吸。

 まだ一合も打ち合っていないのに、手の平には自分でもそうと分かるくらい大量の汗を掻いているのが分かった。

 これじゃあ駄目だ。

 自分でも分かる。緊張しすぎて全然体が動かない。動かせない、と言った方が正しいかもしれない。

 頭と体。思考と動きが全然合致しないのだ。


「ひっ」


 自分でも情けない悲鳴を上げながら大きく体を動かして第三射を避け、距離を開けて息を吐く。

 腰を落とす。長剣を右手に持ち、左手は握ったり開いたりを繰り返す。

 体の強張りが消えない。

 旅をするんだ。親父がどうなったか知っているから、こうなることも予想していたはずだ。

 ――怖がるな。


「行くぞ、アルフォニカ」

『存分に――』


 自分でも強がりだと分かる言葉に、アルフォニカの返事は簡潔。

 この世界において、魔法が万能だと理解している。始めてアルフォニカを見た時から理解していた自分の体の中を流れる魔力の動作、効果、結果。

 自分がどう臨めば、どのような奇跡を起こせるのか――テッド達と過ごした子供時代からずっと考え、この体に染み込ませてきたはずだ。

 ならそれを信じるだけ。今の、混乱している俺に出来る事は、たったそれだけだ。

 夜盗が当たらない弓を捨てて、短剣を抜いた。

 ――直後、その捨てた弓を浮かせ、それを思いっきり夜盗の顔にぶつけてやった。

 自分が手放した武器がいきなり動き出すだなんて予想外にもほどがあったのだろう。何が起こったのか理解できないように夜盗は顔にぶつかった勢いで離れた場所へ飛んでいく弓と、俺の方を交互に見て……。


「ま、まほうつかい!?」


 大きな声を上げて数歩後ずさった。

 ロングソードの切っ先を向ける。まだ腕は緊張に震えていたけど、退いてくれる事を願って――だが、それが悪手だった。


「は、はは……こういうことは初めてかい、魔法使い」

「くっ――」


 その震えからこっちの内心を見透かされ、むしろ向こうの動揺が消えていた。

 手に持った短剣を構え直し、ゆっくりとこっちへ向かってくる。正面からだ。


「腰が引けている。剣の切っ先も震えっぱなしで、声も出せていないじゃないか」


 一歩詰められると、一歩下がる。


『テツマ、落ち着いて。いつも通りにやれば、貴方の方に分があるわ』


 アルフォニカの言葉が、耳から入って頭の中で消えていく。

 何かを言っている事は分かるのに、何を言っているのか理解できない。

 こんなことは初めてだった。

 心臓がバクバクと大きな音を立てていた。まるで、耳元で爆弾が連続して爆発しているような感じだ。

 次第に視界までぼやけてきて、これが現実なのか夢なのかもわからなくなる。

 こんなに“襲われる”というのは恐ろしい事なのか。

 田舎の村で毎日のように木剣を振り、魔法の訓練をして、畑仕事で体を鍛えた。

 その日々を全く思い出せない。

 どうしてこんな状況になったのかも思い出せず、ただただ夜盗の男の動きに合わせてこっちは後ろに下がるだけ。


『危ないっ』


 直後、アルフォニカの声で我に返った。

 振り返ると、すぐ後ろに焚火。町で装備と一緒に買い揃えた革ブーツの踵が焚火にくべていた枯れ枝に触れていた。


「さあさあどうする? もう後ろはないぞ」


 横に逃げるという考えも浮かばなかった。

 逃げ場が無くなったことで余計に混乱し、呼吸が不自然に乱れる。

 息が出来ないような錯覚。

 苦しくて、ぜえ、と息を吐いた瞬間――夜盗の男が動いた。一気に間合いを詰められ、咄嗟に反応できずに焚火を蹴ってさらに後退。

 足の裏に熱を感じながら無我夢中でロングソードを振ると、それが運良く突き出された夜盗の短剣に当たった。

 甲高い音と共に、夜盗が低い呻き声を上げる。同時に、遠くに重いものが落ちる音。

 短剣は手放していない。

 飛んだのは、俺が持っていたロングソードだ。

 汗で握りが甘くなり、手からすっぽ抜けた。それが信じられなくて、こんな状況だというのに自分の右手を見てしまう。

 なんて間抜け――隙だらけの姿を晒してしまった。


「は――ははっ」


 俺が蹴ったことで焚火の明かりが弱まり、視界が暗くなる。

 それでも――夜盗の男が満面の笑みを浮かべたのが分かった。

暗がりの中、今度はさっきよりも勢いよく男が飛び込んできて……突き出された短剣、その手を支える手首を握って受け止めた。


「へへ……死ねよ。魔法使いなら、たんまり金を持ってんだろ……っ」

「はぁ、はぁっ」


 返事もできないまま、徐々に腹部へ迫ってくる短剣の切っ先から視線を外せない。

 死ぬ。

 その恐怖が脳裏をかすめた直後――自分でも無様と思うくらい、膝から力が抜けた。

 全体重を使って短剣を突き刺そうとしていた夜盗の男を巻き込んで草原へ倒れこんでしまう。


「ちっ」


 運が良かった。

 そのおかげで短剣の狙いが外れ、夜盗の男が一瞬だが俺を見失った。

 何か武器になる物は無いかと男から視線を外さず手探りで周囲を探し、何か硬いものが手に当たった。迷わずそれを握りこむ。

 結構太い、さっきまで握っていた剣の柄より一回り小さい程度。


「このっ!」


 それを力いっぱい振ると、夜盗の頭に直撃――けど。


「つぅっ」


 一瞬だけ怯んだだけ。見ると、手に持っていたのはただの枯れ枝だ。

 こんなのじゃ人間を倒す事なんかできないし、燃えやすい枯れ枝を選んで集めていたからさっきの一撃で半ばから砕けてしまっていた。


「このガキがっ」


 むしろ、わずかな痛みで激昂させてしまった。

 夜盗の男は右手に短剣を持つと、それを振り上げながらこっちに向かってくる。

 けれど完全には立ち上がれていない。足元はフラフラで、こっちも倒れたままなので中腰よりも少し低い状態。

 動きは遅くて、そのまま倒れこむように俺に馬乗りになった。


「死ねっ」


 短剣が振り下ろされる。

 それを両手で受け止め、腰を浮かせる。記憶の中にある前世の記憶――その中で見た、マウントを取られた状態からひっくり返す技。

 思いっきり腰を浮かせて馬乗りになっている男のバランスを無理矢理崩し、そのまま転がるようにして逆にこっちがマウントを取る。


「な――っ!?」


 その際に、男の手から短剣を奪い取っていた。

 一瞬にして立場は逆転し、体を押さえつけ、武器も手の中――躊躇う余裕はなかった。


「お前が――っ!!」


 そのまま短剣を振り下ろす。一撃目は男の胸の中央に。二撃目も同じ。三撃目も。


『テツマ』

「はぁっ、はぁっ――はぁ、はぁ……」


 最初、その息遣いが自分のものだと分からなかった。

 いつの間にか自分の下に居た男は動かなくなっていて、そして……手に持っている短剣も――凄く握りづらい。

 理由は簡単だ。

 柄が血で濡れているから。

 それが自分の手だと気付くのに、しばらくの時間が必要だった。


『お疲れ様。もう終わったよ』


 アルフォニカの声が、遠い。

 けれど――いつものような明るさは無くて、けれど自分を気遣ってくれている事は……理解できた。


「私が分かるか?」

「え……ぁ、コー……ル。コール」

「よし。落ち着いたな……もう少し我慢してくれ」


 その手が俺の手に触れた。

 短剣を握ったまま固まってしまっている指をゆっくり剥がすと、自分の手から短剣が落ちる。


「そうだったな。田舎から出てきたばかりだと言っていたものな――よしよし。もう大丈夫だ」


 優しい言葉と、血に濡れて冷たくなった手から感じるコールの手の温かさに、ようやく自分が何をしたのか理解した。

 下を見る。

 そこには、すでに絶命している夜盗の男。夜の暗闇の中でも、その胸が悲惨な状態――何度も短剣で突き刺され、傷だらけのまま死んだ状態が見えた。


「人を殺したのは初めてなんだな」


 コールが震える俺の手を握るのと、アルフォニカが無言のまま……実体の無い体で俺を抱きしめたのは同時。

 ……人を殺した。

 殺されそうになったのだから当然だと、アルフォニカが耳元で囁く。

 それでも――初めての人殺しは、胸にクるものがあった。


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