96:崩壊都市
死霊使いとの戦いは終わった。
地下神殿は崩落し、巨大な黒水晶は砕け散った。
無数のアンデッドは動きを止め、戦場には静かな風だけが残っている。
それでも。
勝利の空気は薄かった。
兵士たちは座り込み、冒険者たちは無言で武器を磨いていた。
泣いている者もいる。
生き残った。
けれど失ったものが多すぎた。
死体袋が並ぶ。
焦げた鎧。
折れた剣。
焼けた肉の臭い。
レインは吐いた。
何度目か分からない。
胃液しか出ない。
身体が震えている。
頭痛も酷い。
視界が白い。
魔力を使いすぎた代償だった。
「水、飲みなさい」
隣へ座ったセレナが革袋を渡してくる。
レインは震える手で受け取った。
「……すみません」
「謝る元気あるなら平気ね」
セレナの声は少しだけ柔らかい。
彼女も傷だらけだった。
包帯。
裂傷。
焼傷。
それでも背筋は伸びている。
レインはその横顔を見る。
強い。
本当に強い。
でも。
今日は疲れて見えた。
「……セレナさん」
「なに?」
「死霊使い、何者だったんでしょう」
セレナは少し黙った。
「昔からいるのよ」
「え?」
「戦場を餌にする連中」
風が吹く。
火の粉が舞う。
「国同士が戦えば死体が増える。ダンジョン災害が起きれば死体が増える。飢饉でも疫病でも同じ」
セレナの目は遠かった。
「そういう場所に集まるの」
「……最低ですね」
「ええ」
短い返事。
でも。
そこには実感があった。
レインは気づく。
この人は昔から見てきたんだ。
こういう地獄を。
若い冒険者が死ぬところを。
仲間が壊れるところを。
そして。
利用される人間も。
レインは唇を噛む。
「僕……怖かったです」
「知ってる」
「ずっと逃げたかった」
「うん」
「でも」
レインは拳を握る。
「逃げたら、あの子たち死ぬと思ったから」
セレナが少し目を細める。
「そういうところよ」
「え?」
「あなたの厄介なところ」
レインは困った顔をする。
セレナは笑った。
本当に少しだけ。
「怖がりなのに、最後だけ逃げない」
レインは視線を逸らした。
恥ずかしかった。
褒められることに慣れていない。
「……別に」
「そこ、素直に受け取りなさい」
「……はい」
少しだけ空気が軽くなる。
その時だった。
遠くから鐘が鳴る。
避難鐘。
緊急信号。
セレナの顔が変わる。
「……何?」
兵士が駆け込んできた。
「東都市が!」
息が切れている。
「崩壊しています!」
空気が止まる。
「崩壊?」
「はい! 街の一部が消えたと!」
レインとセレナが同時に立ち上がる。
「詳しく」
「転移です!」
兵士が震えていた。
「建物ごと消えてるんです!」
セレナの顔が険しくなる。
「ゲート系……?」
レインも嫌な予感がしていた。
転移。
空間。
最近多い。
偶然じゃない。
「行くわよ」
「はい」
二人はすぐに出発した。
馬車では遅い。
セレナがレインを抱える。
「掴まって」
「え、あの」
「舌噛むわよ」
次の瞬間。
爆発的な加速。
地面が砕ける。
火属性身体強化。
S級冒険者の本気。
景色が飛ぶ。
森。
街道。
河川。
全部が後ろへ流れていく。
レインは必死にしがみついた。
柔らかい感触。
熱。
女性の匂い。
頭が混乱する。
「……レイン」
「は、はい!」
「変なこと考えてる余裕ある?」
「な、ないです!」
「ならいいわ」
少し笑っている。
その空気に、レインの緊張が少しだけ解けた。
だが。
都市へ近づくにつれて空気が変わる。
臭い。
煙。
悲鳴。
そして。
空間の歪み。
レインの鑑定が反応する。
【高密度空間断裂】
【強制転移】
【次元侵食】
レインの顔色が変わる。
「まずい……」
「何が見えてるの?」
「都市そのものが崩れてます」
「……は?」
「空間が噛み合ってない」
セレナの速度が上がる。
そして。
都市が見えた。
誰も言葉を失った。
街が。
消えている。
正確には。
“混ざっていた”。
建物が空中に浮いている。
道が途中で切れている。
家屋が逆さまになっている。
空間がねじ曲がっていた。
兵士たちが混乱している。
「なんだよこれ……」
「子供が消えた!」
「助けて!」
崩壊都市。
そこはもう人間の街ではなかった。
レインの呼吸が浅くなる。
怖い。
意味が分からない。
未知。
理解不能。
でも。
セレナが前へ出る。
「落ち着きなさい!」
声が響く。
一瞬で周囲が静まる。
「まだ生きてる人がいる!」
銀髪が風に揺れる。
「泣くのは後!」
「今は助けるわよ!」
兵士たちの目が戻る。
レインはその姿を見ていた。
この人は。
本当に前線の人間なんだ。
恐怖の中で立つ。
誰より疲れているのに。
誰より先に動く。
レインも息を吸った。
「……索敵します」
「無理するなって言いたいけど」
セレナが苦笑する。
「どうせするんでしょう?」
「……はい」
「なら私が守る」
短い言葉。
でも。
それだけでレインは動けた。
魔力を広げる。
都市全域。
膨大な情報。
脳が軋む。
視界が揺れる。
吐き気。
頭痛。
それでも。
レインは探す。
生存者。
空間核。
敵。
原因。
すると。
見えた。
都市中心部。
巨大な魔法陣。
そして。
“門”。
黒い穴。
空間そのものが裂けている。
レインの全身に悪寒が走る。
「あれ……」
「見つけた?」
「はい」
レインの声が震える。
「でも……」
「でも?」
「向こう側から、何か来ます」
その瞬間。
黒い門が脈動した。
都市全体が揺れる。
空が裂けるような音。
兵士たちが悲鳴を上げる。
そして。
門の奥から。
巨大な“目”が現れた。
人間ではない。
魔物でもない。
理解不能な巨大存在。
それが。
こちらを見ていた。
レインの身体が凍る。
怖い。
本能が叫ぶ。
逃げろ。
関わるな。
無理だ。
勝てない。
その時。
セレナの手がレインの肩へ置かれた。
「レイン」
低い声。
落ち着く声。
「大丈夫」
レインは震えながらセレナを見る。
彼女も恐怖を感じていた。
でも。
立っている。
「私もいる」
その言葉だけで。
レインは、もう一度前を向けた。




