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28歳の最強お姉さん冒険者は、自己肯定感ゼロの俺を放っておけない  作者: 慈架太子


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9/9

9:食え

 目を覚ました時、レインは自分がどこにいるのか分からなかった。


 薄暗い木の天井。


 古いランプ。


 小さな机。


 そして、鼻をくすぐる香草の匂い。


「……」


 ぼんやりした頭で周囲を見る。


 宿の部屋だった。


 昨日、自分の部屋へ戻ったところまでは覚えている。


 迷宮。

 血の匂い。

 吐き気。

 身体へ流れ込んだ黒い霧。


 その後、熱が上がって。


 そこで記憶が曖昧になっていた。


「起きた?」


 声。


 レインの肩が跳ねる。


 部屋の隅。


 椅子へ座っていたセリナが、こちらを見ていた。


 銀髪が朝の光に照らされている。


 片手には酒瓶。


 机には空になった瓶が二本。


「……え」


 レインは慌てて起き上がろうとして、頭を押さえた。


「痛っ……」


「急に起きるからよ」


 セリナは呆れたように言う。


「熱、かなり上がってたわ」


「……すみません」


「本当に謝るの好きね」


 レインは反射的に口を閉じた。


 セリナは小さく笑う。


 怒ってはいない。


 少しだけ、安心する。


「……あの」


「何」


「ずっと、いたんですか」


「途中で寝たけど」


 セリナは酒瓶を軽く揺らした。


「高熱で死なれたら面倒でしょう」


 そう言いながらも、ちゃんと部屋に残っていた。


 レインは胸の奥が少し熱くなる。


 こんな風に誰かが傍にいてくれたことなんて、ほとんどなかった。


 家族ですら忙しかった。


 弱い自分に構う余裕なんて、誰にもなかった。


「水飲みなさい」


 セリナがコップを差し出す。


 レインは受け取った。


 冷たい水が喉を通る。


 身体へ染み込む感じがした。


「……ありがとうございます」


「うん」


 短い返事。


 静かな空気。


 窓の外では朝のレグナードが動き始めている。


 荷馬車の音。

 パン屋の鐘。

 市場の声。


 都市国家は今日も止まらない。


「……良い匂い」


 レインが呟く。


 その瞬間、セリナが少し視線を逸らした。


「……下で買ってきた」


 机の上を見る。


 布をかけられた鍋。


 パン。


 焼いた肉。


 湯気が立っている。


 レインは驚いた。


「俺の、ですか」


「他に誰がいるの」


 セリナは少しだけ不機嫌そうに言う。


 でも耳がほんの少し赤い。


 レインは気づかない。


「食え」


 短い一言。


 でも、その言葉は妙に温かかった。


 レインはベッドから降り、机へ座る。


 鍋の蓋を開ける。


 香草と豆のスープ。


 刻んだ野菜。

 柔らかく煮込まれた肉。


 安宿の食事にしてはかなり良かった。


「……美味しそう」


「ちゃんとした店で買ったから」


 セリナは何でもない顔で酒を飲む。


 レインはスープを口へ運んだ。


 温かい。


 身体の奥まで熱が落ちていく。


「……美味しい」


「そう」


 セリナは少しだけ安心したように息を吐いた。


 レインはパンをちぎる。


 ふと気づく。


「……セリナさん、食べないんですか」


「私は後で」


「……」


 本当はもう食べたのかもしれない。


 あるいは、ずっと看病していて食べていないのか。


 レインには分からない。


 でも。


 この人は自分より他人を優先する。


 それだけは少し分かってきた。


「……半分、食べますか」


 レインは恐る恐るパンを差し出した。


 セリナが少し目を丸くする。


「……私に?」


「……はい」


「なんで」


「その……まだ食べてないかもって」


 セリナはしばらく黙っていた。


 やがて、小さく笑う。


「優しいのね」


 レインの顔が赤くなる。


「べ、別に……」


「そういうところよ」


「……え?」


「放っておけないの」


 セリナはパンを受け取った。


 指先が少し触れる。


 レインの心臓が跳ねた。


 セリナは気づかないふりをしてパンを口へ運ぶ。


「……美味しい」


「はい」


 小さな会話。


 でも、嫌じゃない。


 むしろ落ち着く。


 二人はしばらく静かに食事を続けた。


 窓から朝日が差し込む。


 銀髪が淡く光る。


 綺麗だ、とレインは思った。


 見惚れるくらい。


 でもそんなことを口に出せるはずもない。


「……何」


「えっ」


「さっきから見てる」


 レインの顔が一気に熱くなる。


「ち、違っ……」


「違わない顔してるけど」


 セリナは少し楽しそうだった。


 レインは完全に視線を逸らした。


 耳まで赤い。


 その反応が面白かったのか、セリナは肩を揺らして笑う。


 綺麗な笑い方だった。


 豪快ではない。


 少し疲れていて。

 でも柔らかい。


「……熱、下がってきたわね」


 セリナがレインの額へ手を当てる。


 冷たい指。


 近い。


 レインの呼吸が止まりそうになる。


「……っ」


「まだ少し高い」


 セリナは自然に言う。


 レインだけが勝手に緊張していた。


「今日は休みなさい」


「でも、迷宮……」


「死ぬ気?」


 真顔だった。


 レインは即座に黙る。


「弱い時は休む」


 セリナは椅子へ深く座った。


「強くなる人間は、自分の限界を知ってる」


「……」


「無理して壊れる子、何人も見てきたから」


 その声は静かだった。


 レインは聞けなかった。


 誰を失ったのか。

 どんな後悔を抱えているのか。


 でも、きっと重いのだと思った。


「……セリナさん」


「何」


「どうして、そこまでしてくれるんですか」


 小さな声。


 セリナは少しだけ考える。


 窓の外を見る。


 朝日。

 動き始める街。

 人の流れ。


「……昔ね」


 セリナがぽつりと呟く。


「誰にも拾われなかった子を見たことがあるの」


 レインは黙って聞く。


「強くなれなかった」

「助けてもらえなかった」

「誰にも必要とされなかった」


 セリナは酒を一口飲む。


「そういう子は、静かに消える」


 レインの胸が痛くなる。


 それは少しだけ、自分の未来みたいだった。


「だから」


 セリナがレインを見る。


「目の前で死にそうな子くらいは、拾うことにしてる」


 その言葉。


 レインは何も返せなかった。


 優しい。


 本当に。


 でも、この人はその優しさで傷ついてきたのだと思う。


 人を見捨てられなくて。

 全部背負おうとして。


 それでも助けきれなくて。


 だから時々、こんなに疲れた顔をする。


「……食べ終わった?」


「は、はい」


「よし」


 セリナは立ち上がった。


 長い脚。

 揺れる銀髪。


「洗い物するから、あなたは寝てなさい」


「え、俺やります」


「熱ある人間にさせるわけないでしょう」


 そう言って鍋を持っていく。


 レインは呆然とその背中を見ていた。


 最強の冒険者。


 戦えば圧倒的。


 迷宮の最前線に立つ存在。


 なのに今、安宿の小さな流しで皿を洗っている。


 その光景が妙に現実的で。


 妙に温かかった。


 レインはぼんやり思う。


 もっと強くなりたい、と。


 この人に守られるだけじゃなく。


 いつか。


 少しでも支えられるくらいに。







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