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28歳の最強お姉さん冒険者は、自己肯定感ゼロの俺を放っておけない  作者: 慈架太子


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10:不器用な沈黙

 昼過ぎ。


 レグナードの空は薄曇りだった。


 窓から入る光は柔らかく、安宿の小部屋を静かに照らしている。


 レインはベッドへ腰掛けながら、小さく息を吐いた。


 熱はだいぶ下がった。


 身体の重さも、朝よりはましだ。


 それでも完全ではない。


 胸の奥に、まだ妙な違和感が残っている。


 迷宮で起きた“黒い霧”。


 あれが身体へ流れ込んだ瞬間から、何かがおかしい。


 頭の奥に、知らない感覚がある。


 棍棒を握ったこともないのに、振り方だけは知っているような感覚。


 気味が悪い。


「……」


 レインは手を見つめる。


 細い指。


 剣ダコも薄い。


 弱い手だ。


 それでも、最後だけは逃げなかった。


 セリナはそこを見てくれている。


 それが少し嬉しかった。


 部屋の隅では、セリナが窓を開けていた。


 風が入る。


 銀髪が揺れる。


 長い脚。

 白い首筋。

 背中に残る薄い傷跡。


 綺麗だった。


 でも、その綺麗さは“平和”ではない。


 戦場を生き残った人間の美しさだった。


「何」


 セリナが振り返る。


 レインが慌てて目を逸らした。


「ち、違っ……」


「また見てた」


「すみません……」


「だから謝る癖やめなさい」


 セリナは呆れたように笑う。


 レインは耳まで赤くなった。


 自分でも情けないと思う。


 綺麗な人を見るたび、まともに話せなくなる。


 しかも相手はセリナだ。


 最強の冒険者。


 大人の女。


 自分みたいな新人とは住む世界が違う。


「……怖がりなくせに、視線だけは正直ね」


「……っ」


 完全にからかわれている。


 レインは布団へ顔を埋めたくなった。


 セリナは少し肩を揺らして笑う。


 その空気が、レインは嫌いじゃなかった。


 静かだった。


 無理に会話を繋げなくていい。


 沈黙が苦しくない。


 それが不思議だった。


 レインは昔から人と話すのが苦手だ。


 何を返せばいいか分からない。


 沈黙が怖い。


 気まずくなるのが怖い。


 だから人と距離ができる。


 でもセリナとは違った。


 何も話さなくても、空気が壊れない。


 窓の外から市場の声が聞こえる。


 今日もレグナードは賑わっていた。


 パン屋。

 食堂。

 鍛冶屋。

 商会。


 人が生きるための音が街に満ちている。


「……街、好きですか」


 レインがぽつりと聞く。


 セリナは少し考えた。


「嫌いじゃない」


「……」


「迷宮都市って、人が死ぬ場所だけど」


 窓の外を見る。


「それでも、人が生きようとしてるから」


 レインは黙って聞く。


「美味しい店が増えて」

「宿が増えて」

「市場が広がって」


「そういうの見るの、私は好き」


 意外だった。


 セリナはもっと、戦いしか興味がない人だと思っていた。


「昔はね」


 セリナが続ける。


「もっと酷かったの」


「……レグナードが?」


「ええ」


 セリナは椅子へ座った。


「保存食も少なかったし、水も悪かった」


「新人冒険者なんて、栄養不足で死ぬ子もいたわ」


 レインは少し驚く。


「そんなに……」


「迷宮都市は物流が止まると終わるの」


 セリナは酒瓶を軽く振る。


「今は商会も増えたし、食堂も競争してる」


「だから人が集まる」


 レインは窓の外を見る。


 市場には人が溢れている。


 焼き立てパン。

 煮込み料理。

 乾燥肉。

 香辛料。


 人が生きる匂いがする街だった。


「……良い街ですね」


「そうね」


 セリナは静かに頷いた。


「だから皆、死にたくないのよ」


 その言葉が少し胸へ残る。


 死にたくない。


 当たり前の感情。


 でも迷宮では、それを忘れそうになる。


 強い人ほど、“死”へ慣れていくから。


 レインはセリナを見る。


 この人は、どれだけ死を見てきたのだろう。


「……セリナさん」


「何」


「疲れてませんか」


 セリナが少しだけ目を丸くした。


「急にどうしたの」


「その……」


 レインは視線を落とす。


「昨日から、あまり寝てないかなって」


 セリナは少し黙る。


 やがて、小さく笑った。


「よく見てるのね」


「……」


「でも、平気」


 そう言いながら、ほんの少しだけ目元に疲れが残っている。


 レインは分かった。


 この人は、自分を後回しにする。


 昔からずっとそうやって生きてきたのだろう。


「……無理しないでください」


 気づけば口から出ていた。


 セリナが静かにこちらを見る。


 レインは慌てて続けた。


「その……セリナさん、強いですけど……」


「うん」


「ちゃんと休まないと……」


 途中で言葉が止まる。


 偉そうだったかもしれない。


 最強の冒険者相手に何を言っているのだろう。


「……ふふ」


 セリナが小さく笑った。


 柔らかい笑い方だった。


「そういうところ、本当に変わってる」


「え……」


「普通、新人は自分のことで精一杯よ」


 レインは何も言えない。


 自分でもよく分からない。


 でも。


 この人が無理しているのを見ると、少し苦しくなる。


「……昔、いたの」


 セリナがぽつりと呟く。


「あなたみたいな子」


 レインが顔を上げる。


「弟子?」


「ええ」


 窓の外を見る横顔。


「真面目で」

「不器用で」

「無理ばっかりして」


「最後まで、人の心配してた」


 レインは何も言えない。


 その人はもういない。


 聞かなくても分かった。


「助けられなかった」


 静かな声だった。


「私がもっと強ければって、何回も思った」


 部屋が静かになる。


 外の喧騒だけが遠くに聞こえていた。


 レインは胸が痛かった。


 最強でも、助けられないものがある。


 だからこの人は、こんなに疲れた目をする。


「……でも」


 レインは小さく言う。


「セリナさんがいたから、その人は頑張れたと思います」


 セリナがこちらを見る。


 レインは視線を逸らさなかった。


 怖かったけれど。


 今だけは逃げたくなかった。


「……一人だったら、もっと早く壊れてたと思うから」


 沈黙。


 セリナは少しだけ困ったように笑った。


「あなた、時々ずるいわね」


「え?」


「そういうこと、真顔で言うから」


 レインは自分が何か変なことを言ったのか分からず、困ってしまう。


 セリナは立ち上がる。


「……少し外、歩きましょうか」


「え?」


「部屋に籠もってると余計に弱る」


 そう言って、自然にレインの上着を取った。


 レインは慌てて受け取る。


「……ありがとうございます」


「うん」


 二人は宿を出た。


 レグナードの街路。


 石畳。

 市場の声。

 焼き菓子の匂い。


 夕方が近づき、人の流れはさらに増えている。


 セリナは人混みの中でも自然に歩く。


 レインはその少し後ろ。


 でも時々、セリナが歩幅を緩めてくれる。


 それが嬉しかった。


 大きな会話はない。


 沈黙も多い。


 でも。


 その沈黙は、苦しくなかった。


 不器用な二人が、

 少しずつ同じ時間を歩き始めていた。







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