11:暴走魔力
夜だった。
レグナードの空には厚い雲がかかり、月明かりはほとんど見えない。
宿屋の窓を叩くように雨が降っていた。
春前の冷たい雨。
石畳を濡らし、街路の魔導灯を滲ませている。
レインは眠れずにいた。
狭い部屋。
小さなベッド。
静かな雨音。
その中で、胸の奥だけが妙に騒がしい。
「……」
身体が熱い。
昼間より悪化していた。
呼吸をするたび、胸の奥で何かが膨らむ感覚がある。
魔力。
自分でも分かる。
身体の中で、異常な量の魔力が渦巻いていた。
怖い。
レインは毛布を握る。
迷宮で黒い霧を吸い込んでから、明らかにおかしい。
意識すると、勝手に魔力が増える。
止まらない。
水が溢れるみたいに、身体の内側から噴き出してくる。
「っ……」
頭が痛い。
熱い。
息苦しい。
レインはベッドから起き上がる。
窓の外では雨。
遠くで市場の片付け音が聞こえる。
レグナードは夜でも完全には止まらない。
保存食工房。
パン窯。
物流倉庫。
迷宮都市は、人が眠っている間も動き続けている。
でも今のレインには、その音すら遠かった。
「はっ……ぁ……」
苦しい。
胸の奥が焼けるみたいだった。
その瞬間。
バチッ。
青白い火花が指先から散る。
「……え」
次の瞬間。
轟音。
部屋の机が吹き飛んだ。
「っ!?」
レインの顔から血の気が引く。
木片が壁へ突き刺さる。
窓ガラスが砕け、冷たい雨風が一気に流れ込んできた。
「な……」
自分でやった。
魔力が勝手に暴発した。
レインの呼吸が乱れる。
「ちが……」
怖い。
また魔力が膨らむ。
身体の中が熱い。
止まらない。
「レイン!!」
扉が勢いよく開く。
セリナだった。
銀髪が雨で少し濡れている。
酒の匂い。
革鎧。
鋭い視線。
部屋の惨状を見るなり、表情が変わった。
「魔力暴走!?」
レインは後退る。
「ご、ごめんなさい……!」
「謝ってる場合じゃない!」
セリナが一気に距離を詰める。
その瞬間。
レインの周囲で魔力が爆ぜた。
風圧。
椅子が吹き飛ぶ。
壁へ亀裂。
「っ……!」
セリナが片腕で顔を庇う。
レインは青ざめた。
「やだ……!」
怖い。
傷つける。
このままだと。
「近づかないでください!」
「落ち着きなさい!」
「無理です……!」
レインの瞳が揺れる。
魔力が暴れる。
身体の奥から、際限なく溢れてくる。
まるで底がない。
「はっ……ぁ……!」
熱い。
苦しい。
怖い。
次の瞬間。
床が弾けた。
土属性魔力。
石片が宙へ舞う。
さらに火花。
風。
水。
複数属性が同時に漏れている。
制御不能。
「……っ」
セリナの目が鋭くなる。
「無限型……?」
普通じゃない。
こんな量の魔力、人間が持てるはずがない。
レイン自身が耐えきれていない。
「レイン、聞いて」
セリナが低い声で言う。
「呼吸を合わせなさい」
「で、でも……!」
「いいから聞きなさい!」
その声には、不思議と逆らえない力があった。
レインの肩が震える。
怖い。
でも。
セリナは逃げていない。
部屋が壊れても。
魔力が暴れても。
ちゃんとここにいる。
「……吸って」
セリナがゆっくり言う。
「吐いて」
レインは必死に呼吸を合わせる。
「もっとゆっくり」
「はっ……ぁ……」
「大丈夫」
セリナが一歩近づく。
「死なない」
レインの目から涙が落ちた。
怖かった。
本当に。
自分が化け物みたいで。
誰かを傷つけそうで。
「……ごめんなさい」
「だから謝らない」
セリナは目の前まで来る。
熱風が吹き荒れる。
普通の人間なら近づけない。
でもセリナは動じなかった。
火属性身体強化。
圧倒的な耐久。
それでも頬が熱で赤くなっている。
「レイン」
セリナが名前を呼ぶ。
「あなたは化け物じゃない」
レインの呼吸が止まる。
「怖がってる時点で、人間よ」
「……っ」
「本当に壊れた人間は、自分を怖がらない」
その言葉。
レインの胸に深く刺さる。
セリナはそっと手を伸ばした。
レインの頬へ触れる。
冷たい手。
でも不思議と安心した。
「落ち着いて」
「……む、り……」
「できる」
セリナは真っ直ぐ見つめる。
「あなた、逃げないでしょう」
レインは震えながら頷いた。
怖い。
でも。
この人がいる。
「呼吸」
「……すぅ……」
「そう」
少しずつ。
少しずつ魔力が静まっていく。
暴風が弱まる。
火花が消える。
部屋の破壊も止まった。
レインはその場へ崩れ落ちる。
「はっ……ぁ……」
限界だった。
身体に力が入らない。
セリナがすぐ支える。
「無茶しすぎ」
「……ごめん、なさい……」
「また謝った」
呆れた声。
でも優しい。
セリナはレインをベッドへ座らせる。
壊れた部屋。
割れた窓。
雨が吹き込んでいる。
かなり酷い。
普通なら宿主が怒鳴り込んできてもおかしくない。
でもセリナは平然としていた。
「後で弁償するわ」
「……俺が」
「あなた無一文でしょう」
「……」
否定できない。
セリナは小さく笑う。
「あとで働いて返しなさい」
レインは少しだけ安心した。
怒鳴られない。
見捨てられない。
それだけで救われる。
セリナは壊れた窓を見る。
「今日はこっち来なさい」
「……え」
「その部屋、もう無理」
確かにそうだった。
風が入り放題だ。
ベッド以外ほぼ壊れている。
「でも……」
「変な遠慮しない」
セリナはレインを見る。
「倒れたら意味ないでしょう」
レインは小さく頷いた。
そのままセリナの部屋へ移動する。
隣室だった。
こちらは少し広い。
机。
大剣。
酒瓶。
洗濯途中の服。
生活感があった。
最強の冒険者なのに、妙に普通の部屋だった。
「座って」
レインは椅子へ腰掛ける。
緊張する。
女性の部屋。
しかもセリナ。
心臓が落ち着かない。
「……顔赤いわね」
「ち、違います」
「熱?」
「違います!」
セリナが少し笑う。
その笑顔に、レインはさらに困る。
セリナは棚から毛布を取り出した。
「今日はここで寝なさい」
「え」
「暴走したらすぐ止めるから」
レインは何も言えなかった。
安心する。
でも同時に、情けなかった。
守られてばかりだ。
「……セリナさん」
「何」
「怖くないんですか」
「何が?」
「俺」
沈黙。
雨音だけが響く。
セリナはしばらくレインを見ていた。
やがて、小さく息を吐く。
「怖いわよ」
レインの胸が冷える。
でも。
「でも、放っておく方が嫌」
その言葉に、レインは目を見開いた。
セリナは少し視線を逸らす。
「……昔、見捨てたことあるから」
静かな声だった。
「もう、ああいうのは嫌なの」
レインは何も言えない。
この人は、ずっと後悔を抱えて生きている。
だから。
こんな自分にも手を伸ばしてくれる。
「……寝なさい」
セリナがランプを少し暗くする。
レインは毛布を握った。
雨音。
酒の匂い。
静かな部屋。
少し離れた場所で、セリナが椅子へ座っている。
それだけで、不思議と安心できた。
レインはゆっくり目を閉じる。
怖かった。
自分の力が。
でも。
それ以上に。
この人が「怖い」と言いながら、逃げなかったことが胸に残っていた。




