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28歳の最強お姉さん冒険者は、自己肯定感ゼロの俺を放っておけない  作者: 慈架太子


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8/10

8:吐いた夜

 レグナードへ戻った頃には、空はすっかり暗くなっていた。


 都市国家を囲む巨大外壁の上では、夜警用の魔導灯が青白く灯っている。門前では行商人たちが荷馬車を整理し、帰還した冒険者たちが疲れた顔でギルドへ流れ込んでいた。


 夜のレグナードは賑やかだ。


 食堂から漂う香草スープの匂い。

 焼き肉の煙。

 パン窯の熱。


 迷宮都市は夜に金が動く。


 生きて帰ってきた人間が、飯を食い、酒を飲み、明日の生存へ金を使うからだ。


 レインはその流れの中を、少しふらつきながら歩いていた。


「……」


 身体が熱い。


 頭も重い。


 迷宮で起きた“あれ”のせいだ。


 ゴブリンを倒した直後、黒い霧のようなものが身体へ流れ込んできた。


 その瞬間、頭の中へ知らない感覚が流れ込んだ。


【棍棒術・初級】


 あれは何だったのか。


 理解できない。


 ただ、今も身体の奥に違和感が残っている。


 まるで自分ではない何かが、内側で呼吸しているみたいだった。


「顔色、本当に悪いわね」


 隣を歩くセリナが言う。


 レインは慌てて背筋を伸ばした。


「だ、大丈夫です」


「大丈夫な人間はそんな歩き方しない」


 即答だった。


 レインは少し黙る。


 セリナはため息を吐いた。


「今日は宿で休みなさい」


「……でも」


「反論する元気あるの?」


「……ありません」


「素直でよろしい」


 少しだけ笑う。


 その表情が、レインは好きだった。


 強い人なのに、時々柔らかい顔をする。


 そのギャップが妙に胸へ残る。


 ギルドへ戻ると、酒場は既に満席に近かった。


 大声。

 笑い声。

 食器の音。


 レインは人混みが苦手だ。


 自然と身体が縮こまる。


 セリナはそんなレインを見て、小さく首を傾げた。


「隅の席行く?」


「……あ」


「そっちの方が楽でしょう」


 レインは少し驚く。


 言っていない。


 でもセリナはちゃんと見ている。


 人混みで肩が強張ることも。

 目線を落としてしまうことも。


「……はい」


 二人は酒場の奥へ座った。


 木製の丸テーブル。


 薄暗いランプ。


 騒がしさが少し遠い。


 レインはほっと息を吐く。


 セリナは慣れた様子で料理を注文した。


「肉とスープ。あとパン」


「酒は?」


 店員が聞く。


「当然」


 即答だった。


 レインは少しだけ笑いそうになる。


 セリナは本当に酒が好きらしい。


 しばらくして料理が運ばれてくる。


 焼き肉。

 豆のスープ。

 黒パン。


 迷宮帰りの冒険者向けらしく、味は濃い。


「食べなさい」


「……いただきます」


 レインはスープを口に運ぶ。


 温かい。


 胃へ落ちる熱が、少しだけ身体を楽にした。


「……美味しい」


「今日は塩加減が良いわね」


 セリナは酒を飲みながら頷く。


「前の料理長が辞めて、新しい人が入ったの」


「そうなんですか」


「食事が良くなると、人は集まるのよ」


 セリナは窓の外を見る。


「宿屋も、商会も、冒険者も」


「……」


「国って、結局は人の集まりだから」


 レインは静かに聞いていた。


 セリナは戦うことだけ考えている人ではない。


 ちゃんと街を見ている。


 人を見ている。


 その視線が、レインには少し眩しかった。


 その時だった。


 ふらり。


 急に視界が揺れる。


「……っ」


 胃がひっくり返る。


 身体の奥が熱い。


「レイン?」


 セリナが眉を寄せる。


 次の瞬間。


「ぅ……っ、おぇ……!」


 レインは席を立ち、そのまま酒場の外へ飛び出した。


 石畳へ膝をつく。


 吐いた。


 胃液。

 昼の食事。

 酸っぱい臭い。


「はっ……ぁ……!」


 呼吸が乱れる。


 苦しい。


 頭が痛い。


 胸の奥で何かが暴れている。


「レイン」


 後ろからセリナが来る。


 レインは情けなさで消えたくなった。


「……すみません」


「謝らなくていい」


 セリナはしゃがみ込み、背中へ手を当てた。


 温かい。


「熱があるわね」


「だ、大丈夫です……」


「それ、便利な言葉だと思ってるでしょう」


 少し呆れた声。


 でも怒ってはいない。


 レインは壁へ寄りかかる。


 夜風が冷たい。


「……迷宮で、変な感じがして」


「黒い霧のこと?」


 レインは頷いた。


「何かが、頭に入ってきたみたいで……」


「……」


「知らない動きとか、感覚とか」


 セリナの表情が少し変わる。


 真剣な顔。


「それ、誰かに見せた?」


「いえ……」


「ならまだ黙ってなさい」


 即答だった。


 レインは驚く。


「え……」


「珍しい能力は、それだけで狙われる」


 セリナの声は静かだった。


「商会」

「貴族」

「研究者」


「面倒な人間は多いの」


 レインは小さく頷く。


 少し怖くなる。


 自分の知らないところで、世界はもっと複雑なのかもしれない。


 セリナはそんなレインを見て、小さく息を吐いた。


「歩ける?」


「……はい」


「宿まで送るわ」


「え、でも」


「その状態で一人にできない」


 当然みたいに言う。


 レインは何も言えなくなる。


 優しい。


 本当に。


 でもセリナ自身は、それを特別だと思っていない。


 二人は夜道を歩いた。


 石畳。

 魔導灯。

 夜の市場。


 パン屋の前では、翌朝用の仕込みが始まっている。


 肉屋では塩漬け加工。


 遠くでは鍛冶場の火花。


 都市国家レグナードは、夜でも止まらない。


 人が生きるために、街が動き続けている。


「……綺麗ですね」


 レインがぽつりと言う。


「何が?」


「街です」


 セリナは少し目を細めた。


「そうね」


「私も嫌いじゃない」


 宿へ着く。


 古い木造宿。


 レインが扉を開けようとすると、急に身体が揺れた。


「っ……」


 倒れかける。


 その瞬間。


 セリナが腕を掴んだ。


 近い。


 銀髪の香り。

 酒と香草の匂い。


 レインの心臓が跳ねる。


「本当に限界じゃない」


「……すみません」


「今日はもう黙りなさい」


 セリナは呆れたように笑った。


 そして、そのままレインを支えながら階段を上がる。


 宿の廊下は静かだった。


 部屋へ入る。


 狭い部屋。

 小さな机。

 古いベッド。


 セリナはレインをベッドへ座らせた。


「水飲みなさい」


「……はい」


 レインは震える手でコップを持つ。


 その様子を、セリナは黙って見ていた。


 無理していることも。

 怖がっていることも。

 限界なのに立っていることも。


 全部見えている。


「……レイン」


「はい」


「怖い?」


 レインは少し黙る。


 隠しても無駄だと思った。


「……怖いです」


「何が?」


「全部」


 迷宮も。

 魔物も。

 死ぬことも。

 自分の能力も。


「でも」


 レインは小さく拳を握る。


「逃げたく、ないです」


 セリナはしばらく何も言わなかった。


 やがて。


「そう」


 静かに微笑む。


「それなら大丈夫」


 その声は、不思議と安心できた。


 レインの瞼が重くなる。


 熱。

 疲労。

 安心感。


 全部が混ざって、意識が沈んでいく。


 最後に見えたのは。


 椅子へ座り、静かに酒を飲むセリナの横顔だった。


 最強の冒険者。


 強くて。

 綺麗で。

 少し疲れている人。


 レインはぼんやり思う。


 この人といると、

 少しだけ生きていていい気がする、と。







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