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28歳の最強お姉さん冒険者は、自己肯定感ゼロの俺を放っておけない  作者: 慈架太子


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7:血の匂い

 レグナード地下迷宮。


 第一階層。


 湿った空気が、肌へまとわりつく。


 岩肌には青白い発光苔が広がり、薄暗い通路をぼんやり照らしていた。地上の冷たい風とは違う。地下特有の重い熱気と、生臭い湿気が混ざっている。


 水滴が天井から落ちる音。


 遠くから聞こえる魔物の唸り声。


 鉄の匂い。


 血の匂い。


「……っ」


 レインは無意識に息を止めていた。


 怖い。


 胃が縮む。


 胸の奥が冷える。


 地上とは違う。


 ここは、本当に人が死ぬ場所だった。


 セリナは迷いなく前を歩いている。


 銀髪が薄暗い迷宮の光を反射する。


 巨大な大剣を背負っているのに、足音は驚くほど静かだった。


「呼吸」


 前を向いたままセリナが言う。


「止まってるわよ」


「……え」


「力みすぎ」


 レインは慌てて息を吐いた。


 自分でも気づいていなかった。


「迷宮では視界より音を使いなさい」


 セリナは岩壁へ軽く触れる。


「水音」

「足音」

「息遣い」


「慣れると分かるようになる」


 レインは小さく頷いた。


 だが余裕はない。


 耳の奥では自分の心臓の音ばかり響いている。


 怖い。


 本当に。


 それでも、セリナの背中を見ると少しだけ落ち着いた。


 この人がいる。


 それだけで違う。


「今日は深く潜らないわ」


 セリナが歩きながら言う。


「第一階層の外周だけ」


「……はい」


「目的は戦闘じゃない」


 そこで一度振り返る。


「“慣れる”こと」


 レインは唇を噛む。


 慣れる。


 こんな場所に。


 こんな血の匂いに。


 そんな日が来るのだろうか。


 その時だった。


 セリナの手が軽く上がる。


「止まって」


 レインの身体が硬直する。


 静か。


 水滴の音しか聞こえない。


 でも。


 いた。


 通路の先。


 暗闇の中で赤い目が揺れている。


「ゴブリン二匹」


 セリナの声は落ち着いていた。


「右は短剣」

「左は棍棒」


 レインの喉が鳴る。


 怖い。


 昨日の感覚が蘇る。


 剣を握る手が震える。


 セリナはそれを見ていた。


 何も言わない。


 責めない。


 ただ静かに観察している。


「レイン」


「……は、はい」


「今回は私がやる」


 その言葉に、レインは少しだけ安堵した。


 情けないと思う。


 でも、安心してしまった。


「よく見てなさい」


 セリナが前へ出る。


 次の瞬間。


 空気が変わった。


 熱。


 迷宮の冷えた空気が一瞬で揺らぐ。


 セリナの身体から赤い魔力が立ち上る。


 火属性。


 身体強化。


 岩床が小さく軋む。


「ギッ!?」


 ゴブリンが反応した時には遅かった。


 セリナが消える。


 いや、速すぎて見えない。


 轟音。


 次の瞬間、棍棒持ちのゴブリンが壁へ叩き潰されていた。


 肉と骨が砕ける音。


 血飛沫。


 レインの身体が強張る。


 残った一匹が悲鳴を上げて飛び退く。


 だが。


 セリナは既に背後へ回っていた。


 巨大な大剣。


 普通なら持ち上げるだけでも難しい武器。


 それを片手で振るう。


 赤い軌跡。


 火花。


 ゴブリンの身体が真っ二つになった。


 静寂。


 血が地面を流れる。


「……」


 レインは言葉を失った。


 強い。


 圧倒的だった。


 技術も。

 速度も。

 迷いの無さも。


 何より、“死”への距離感が違う。


 セリナは剣を軽く振って血を払う。


 その動作すら綺麗だった。


「……これが」


 レインの声が震える。


「S級……」


「まだ準備運動よ」


 セリナは平然としていた。


 それが余計に凄かった。


 レインは倒れたゴブリンを見る。


 血。


 肉片。


 鉄臭い匂い。


「っ……」


 吐き気が込み上げる。


 レインは壁へ手をついた。


 胃がひっくり返る。


「おぇっ……」


 吐いた。


 酸っぱい胃液だけ。


 情けない。


 こんなの、自分だけだ。


 セリナはそんなレインの背中へ手を置いた。


「無理に慣れなくていい」


「……すみません」


「だから謝らなくていいの」


 セリナはため息混じりに言った。


「初めて人型を斬った時、吐かなかった冒険者なんてほとんどいないわ」


「……でも」


「平気な顔してる人ほど危ない」


 レインは顔を上げる。


 セリナは倒れたゴブリンを見ていた。


「死に慣れすぎると、人は壊れるから」


 その言葉には重みがあった。


 実際に壊れていった人間を、何人も見てきた声だった。


「……セリナさんは」


 レインは恐る恐る聞く。


「壊れてないんですか」


 少しだけ沈黙が落ちる。


 発光苔の青白い光が、セリナの横顔を照らしていた。


「半分くらいは壊れてるかもしれないわね」


 冗談みたいに笑う。


 でも、その笑顔は少し疲れていた。


 レインは胸が苦しくなる。


 最強。


 皆が憧れる存在。


 でもこの人は、何かを失い続けてきた。


 強くなるほど、人を失って。


 それでも立ち続けている。


「……帰ったら」


 セリナがふと話題を変える。


「甘い物、食べましょうか」


「……え?」


「最近、新しい菓子屋ができたの」


 意外すぎて、レインは固まった。


 セリナは視線を逸らす。


「別に、好きってわけじゃないけど」


 絶対好きだ。


 レインはそう思った。


 でも口には出せない。


「……はい」


 少しだけ笑ってしまう。


 セリナはその顔を見て、小さく息を吐いた。


「そのくらいの顔をしてなさい」


「……え」


「ずっと死にそうな顔されると、こっちまで疲れるわ」


 レインは慌てて真顔に戻る。


 するとセリナが少し笑った。


 迷宮の中なのに。


 血の匂いがする場所なのに。


 不思議と空気が柔らかかった。


 その時だった。


 ピクリ。


 レインの身体に妙な感覚が走る。


 胸の奥。


 熱い。


 魔力が揺れている。


「……っ?」


 次の瞬間。


 ゴブリンの死体から、薄い黒い霧のようなものが浮かび上がった。


 レインの方へ流れてくる。


「な……」


 吸い込まれる。


 身体の奥へ。


 熱い。


 頭が痛い。


「っ……ぁ……!」


 レインが膝をつく。


 セリナの表情が変わった。


「レイン!?」


 身体の内側が暴れている。


 膨大な魔力。


 自分のものではない感覚。


 脳へ直接流れ込むような異物感。


「はっ……ぁ……!」


 息が苦しい。


 視界が揺れる。


 その瞬間。


 レインの脳裏に、意味不明な情報が浮かんだ。


【棍棒術・初級】


「……え」


 セリナがレインの肩を掴む。


「しっかりしなさい!」


 レインは荒い息を吐きながら、呆然としていた。


 今のは何だ。


 身体へ流れ込んだ感覚。


 知らない技術。


 知らない動き。


 まるで、自分の中へ誰かの経験が入り込んだみたいだった。


 セリナは真剣な顔でレインを見る。


「……今、何が起きたの」


 レインは答えられなかった。


 ただ。


 胸の奥で。


 何かが静かに目を覚まし始めていた。







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