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28歳の最強お姉さん冒険者は、自己肯定感ゼロの俺を放っておけない  作者: 慈架太子


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89:変わり始めた関係

 前線基地に、久しぶりの静かな夜が訪れていた。


 遠くで見張りの鐘が鳴る。


 風は冷たい。


 けれど、数日前まで漂っていた死臭と焦げ臭さは薄れていた。


 崩れた防衛線は立て直され、補給路も復旧し始めている。


 兵士たちの表情にも、少しだけ余裕が戻っていた。


 食堂では遅い夕食を取る者たちが小さく笑い合い、修理場では鍛冶師たちが鎚を振るっている。


 生き残った者たちが、明日を作っていた。


 レインはその光景を、宿舎の外階段に座って眺めていた。


 木椀の中には、温かいスープ。


 豆と肉を煮込んだ簡素なものだ。


 それでも十分美味しい。


 塩気が身体へ染み込む。


 疲れた身体には、それだけで救いだった。


「そんなところで食べてたの」


 後ろから声がする。


 振り返る前に分かった。


「……セレナさん」


 銀髪を夜風に揺らしながら、セレナが階段を降りてくる。


 今日は鎧ではなく、黒の軽装だった。


 長い脚。


 引き締まった身体。


 無駄のない動き。


 強い。


 本当に強い人だ、とレインは改めて思う。


「隣いい?」


「もちろんです」


 セレナが隣へ座る。


 木階段が小さく軋んだ。


 距離が近い。


 以前なら緊張でまともに息もできなかった。


 今も緊張はする。


 でも、少し違う。


 怖さだけじゃない。


 落ち着く。


 隣にいると、不思議と呼吸が楽だった。


「ちゃんと食べてるわね」


「最近は怒られるので」


「誰に?」


「セレナさんに」


「偉い」


 セレナが少し笑う。


 レインもつられて笑った。


 こういう時間が増えた。


 何をするでもない。


 ただ一緒にいる。


 それだけなのに、前よりずっと近い。


 沈黙も苦じゃなかった。


 風が吹く。


 遠くで鍋をかき混ぜる音。


 誰かの笑い声。


 夜の基地は、不思議と温かい。


「……変わったわね」


 セレナがぽつりと言う。


「え?」


「この基地」


 彼女は前を見る。


「前はもっと酷かった」


「荒れてたんですか」


「余裕がなかったのよ」


 セレナの声は静かだった。


「補給は遅れる。怪我人は増える。食事は減る」


「そうなると、みんな少しずつ壊れる」


 レインは黙って聞く。


「怒鳴る人が増える」


「物が盗まれる」


「小競り合いが起きる」


「眠れなくなる」


「人が死ぬ」


 戦場は魔物だけが敵じゃない。


 疲労。


 空腹。


 恐怖。


 全部が人を削る。


「でも今は違う」


 セレナが食堂を見る。


「炊き出しも回ってる」


「水路も修復できた」


「保存食の管理も安定した」


「怪我人用の食事も分けられてる」


「……全部、レインが始めたことでしょ」


 レインが小さく目を見開く。


「僕は、少し意見を出しただけです」


「その“少し”が難しいの」


 セレナは真っ直ぐ言った。


「前線の人間って、目の前しか見えなくなるから」


「生きるのに必死で、余裕がない」


「だから全体を見れる人は貴重なの」


 レインは視線を落とす。


 褒められるのは、まだ慣れない。


 むず痒い。


 逃げたくなる。


「……でも、戦えないです」


「うん」


「怖いです」


「うん」


「今でも震えるし、吐くし」


「知ってる」


「……情けないですよ」


 レインの声は小さい。


 セレナは少し考える。


 そして、静かに言った。


「私は、そういうところ嫌いじゃない」


 レインが顔を上げる。


「怖いのに逃げないでしょ」


「……」


「それって簡単じゃない」


 セレナは知っている。


 本当に怖い人間を。


 強がって潰れる人間を。


 逃げたくせに偉そうな人間を。


 たくさん見てきた。


 だから分かる。


 レインは弱い。


 本当に弱い。


 でも。


 最後だけは逃げない。


 その異常さを、セレナはちゃんと理解していた。


「普通、無理なら逃げるのよ」


「でもあなたは残る」


「震えながら」


「泣きそうな顔しながら」


「吐きながら」


「それでも立つ」


 セレナは小さく笑う。


「変な子」


「……褒めてます?」


「褒めてる」


 レインは困ったように笑った。


 その顔を見て、セレナの胸が少しだけ熱くなる。


 最初は放っておけなかっただけだ。


 危なっかしかった。


 死にそうだった。


 見ていられなかった。


 だから助けた。


 それだけだった。


 なのに。


 気づけば。


 探してしまう。


 無事かどうか。


 ちゃんと食べてるか。


 眠れてるか。


 傷はないか。


 笑えているか。


 そんなことばかり考えている。


 面倒だと思った。


 自分は、こういうのに向いてない。


 誰かを大切にすると失う。


 それを知っている。


 何度も味わった。


 だから、距離を取って生きてきた。


 なのに。


 レイン相手だと、うまくできない。


「……ねえ」


「はい?」


「最近、私に慣れてきた?」


 レインが固まる。


「え」


「前よりちゃんと目見るようになった」


「そ、それは……」


「前は話すだけで震えてたのに」


「……今も少し震えてます」


「今は違う」


 セレナが少し顔を寄せる。


「前は“怖い”だけだった」


「今は?」


 レインの耳が赤くなる。


「……分かってて聞いてますよね」


「どうかしら」


 完全に楽しんでいる顔だった。


 レインは視線を逸らす。


 勝てない。


 この人、本当に強い。


 剣も。


 魔法も。


 こういう距離感も。


「……セレナさん」


「なに?」


「ずるいです」


「そう?」


「はい」


「じゃあ、もっとずるくしようか」


「やめてください本当に」


 セレナが声を出して笑う。


 珍しいくらい楽しそうだった。


 その笑顔を見て、レインは少し安心する。


 セレナはいつも強い。


 でも。


 強すぎる人は、誰にも寄りかかれない。


 そういう孤独を、最近少しだけ感じるようになっていた。


「……セレナさん」


「ん?」


「疲れてませんか」


 セレナが少し目を瞬く。


「急にどうしたの」


「なんとなく」


「顔に出てた?」


「少しだけ」


 レインは言葉を探す。


「最近、ずっと無理してる気がして」


 セレナは黙る。


 夜風が吹く。


 銀髪が揺れる。


「……情けないわね」


「え?」


「年下に心配されてる」


「年下でも心配くらいします」


「そうね」


 セレナは小さく息を吐く。


「疲れてるわ」


 正直な声だった。


「前線立て直しで寝れてないし」


「怪我人も多いし」


「指揮も面倒だし」


「酒飲んでも疲れ抜けないし」


「甘いもの食べても足りない」


「最後のは普通に好きなだけでは」


「黙りなさい」


 軽く額を小突かれる。


 痛くない。


 むしろ優しい。


「……でも」


 セレナが空を見る。


「最近は少し楽」


「どうしてですか」


「一人じゃないから」


 レインが息を止める。


 セレナは前を見たままだった。


「前は全部、自分で抱えてた」


「強くなきゃって思ってた」


「弱いところ見せたら終わりだって」


「だから誰にも頼れなかった」


 でも今は違う。


 隣にいる。


 弱いくせに逃げない少年が。


 不器用で。


 頼りなくて。


 危なっかしくて。


 それでも。


 一緒に背負おうとしてくれる。


「……変わったわね」


 セレナが呟く。


「私たち」


 レインは答えられなかった。


 でも。


 胸の奥が温かかった。


 恋愛イベントじゃない。


 劇的な告白もない。


 ただ。


 一緒に飯を食べて。


 怪我を治して。


 眠れない夜を越えて。


 少しずつ。


 本当に少しずつ。


 互いの隣が自然になっていく。


 それだけだった。


 けれど。


 きっと、こういう時間の積み重ねが。


 人を変えるのだと。


 二人はまだ、知らなかった。







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