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28歳の最強お姉さん冒険者は、自己肯定感ゼロの俺を放っておけない  作者: 慈架太子


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85:絶対に死なせない

 雨は止まなかった。


 崩れた前線基地の石畳を、黒い水が流れていく。


 血。


 泥。


 焼け焦げた木片。


 砕けた武器。


 死体を運ぶ兵士たちの顔には、疲労と恐怖が張りついていた。


 災害級討伐。


 本来なら歓声が上がってもおかしくない戦果だった。


 だが、誰も笑っていない。


 被害が大きすぎた。


 そして何より。


 倒した張本人が、今にも死にそうだった。


「治癒師を呼べ!! 上級だ!!」


「もう来てる!!」


「魔力反応が乱れてる!」


「内側から壊れてるぞ……!」


 怒号が飛び交う。


 その中心。


 レインは担架の上で浅い呼吸を繰り返していた。


 全身が熱い。


 なのに寒い。


 指先が痺れている。


 耳鳴りが止まらない。


 視界もぼやけていた。


 身体の中を何かが暴れている。


 無理やり詰め込んだ魔力。


 暴走した複合魔法。


 吸収しすぎた魔力。


 全部が、身体を壊していた。


「レイン!」


 セレナが膝をつく。


 彼女の鎧も砕けていた。


 肩から血が流れている。


 包帯は真っ赤だった。


 それでも彼女は、自分の傷など見ていない。


 レインだけを見ていた。


「しっかりしなさい」


「……セレナ、さん……」


 掠れた声。


 セレナの胸が痛む。


 弱々しい。


 今にも消えそうだ。


 いつも震えていた少年。


 怖がりで、すぐ吐いて、目も合わせられなくて。


 それでも。


 最後だけは逃げなかった。


 その結果がこれだった。


「喋るな」


 セレナがレインの頭を支える。


 熱い。


 異常な熱だった。


 肌の下で魔力が暴れている。


「……ごめんなさい」


「謝るな」


「でも……」


「謝るなって言ってる」


 珍しく強い口調だった。


 周囲の兵士たちが息を呑む。


 S級冒険者セレナ。


 いつも冷静で、現実的で、感情を押し殺す女。


 その彼女が、今は明らかに余裕を失っていた。


 レインが苦しそうに咳き込む。


 血。


 赤黒い血が口元から零れた。


「っ……!」


 セレナの顔色が変わる。


「治癒は!?」


「効きません!」


 治癒師が叫ぶ。


「魔力回路が崩壊しかけています! 普通の回復魔法じゃ追いつかない!」


「なら高位神官を呼べ!!」


「前線にはいません!!」


 沈黙。


 空気が冷える。


 セレナはレインを見る。


 少年は苦しそうに呼吸していた。


 それでも。


 自分より周囲を気にしている目だった。


「……みんな、生きてますか」


「生きてる」


「本当に?」


「本当よ」


 セレナは即答した。


 嘘だった。


 死者は多い。


 前線は壊滅寸前だ。


 でも今、それを言う必要はなかった。


 レインは少しだけ安心したように目を閉じる。


「よかった……」


 その姿に、セレナは胸を締め付けられる。


 どうして。


 どうしてこの子は、自分より他人の心配をするのだろう。


 もっと selfish でもいい。


 もっと逃げてもいい。


 もっと泣いてもいい。


 なのに。


 この子は最後まで前へ出る。


 死にそうになっても。


 怖がりながら。


 震えながら。


 それでも。


 逃げない。


「……馬鹿」


 セレナが呟く。


 レインがうっすら笑う。


「よく、言われます」


「笑うな」


「……すみません」


 セレナは唇を噛む。


 感情が乱れていた。


 嫌だった。


 怖かった。


 失うのが。


 もう二度と見たくなかった。


 仲間を失う瞬間を。


 手の中から零れていく感覚を。


 あの絶望を。


 思い出したくもないのに、脳裏に浮かぶ。


 血だらけの弟子。


 崩れた前線。


 助けられなかった背中。


 冷たくなった手。


「……嫌」


 小さな声。


 誰にも聞こえないほど小さい。


 でもレインは聞いた。


「セレナさん?」


 セレナが俯く。


 銀髪が揺れる。


「嫌なの」


 震える声だった。


「もう、見たくない」


 レインが目を見開く。


「私は……もう、誰かが死ぬのを見たくない」


 セレナは強い。


 圧倒的に強い。


 誰より前に立つ。


 誰より敵を殺す。


 誰より生き残る。


 でも。


 その強さは、幸せではなかった。


 積み重ねた死の上にある。


 置いてきた人間の上にある。


 だから彼女は恋愛を諦めた。


 幸せを諦めた。


 自分は戦場の人間だと思い込んでいた。


 でも。


 今。


 レインが死にかけているだけで。


 こんなにも怖かった。


「……セレナ、さん」


「喋らないで」


 セレナがレインの頬へ触れる。


 その手が少し震えている。


「絶対に死なせない」


 低い声。


 強い声。


 決意の声。


「あなたは、絶対に死なせない」


 レインの瞳が揺れる。


「……なんで」


「え?」


「なんで、そこまで……」


 セレナは答えられなかった。


 理由なんて、もう分かっていた。


 見てしまったからだ。


 小さな努力を。


 怖がりながら前へ出る姿を。


 吐きながら立ち上がる姿を。


 誰かを助けようとする姿を。


 そして。


 自分を庇って壊れた姿を。


 そんなものを見せられて。


 放っておけるわけがなかった。


「……あなたが」


 セレナが静かに言う。


「あなたが、ちゃんと生きようとしてるから」


 レインの目が揺れる。


「だから、私は……」


 続きを飲み込む。


 まだ言えなかった。


 怖かった。


 口にしてしまえば、失った時に壊れるから。


 セレナは視線を逸らし、立ち上がる。


「担架を運ぶ」


「セレナ様、傷が……!」


「黙って」


 兵士が口を閉じる。


 セレナはレインを抱き上げた。


 軽い。


 驚くほど軽かった。


 細い身体。


 傷だらけ。


 血だらけ。


 それでもまだ、生きている。


 レインが薄く目を開ける。


「……重く、ないですか」


「軽すぎるくらい」


「男として、それ褒め言葉じゃないです」


 セレナは思わず笑った。


 本当に少しだけ。


「そんなこと言えるなら、まだ平気ね」


「……怖いです」


 レインが小さく言う。


「うん」


「死ぬかもって、思うと」


「うん」


「でも……」


 レインがセレナを見る。


 雨に濡れた銀髪。


 傷だらけの横顔。


 強い人。


 ずっと前を歩いていた人。


「セレナさんがいると、少しだけ安心します」


 セレナの足が止まりそうになる。


 胸が痛む。


 どうしようもなく。


 温かかった。


「……そう」


 短く返す。


 それ以上喋ると、何かが崩れそうだった。


 雨の中。


 セレナはレインを抱えたまま歩く。


 一歩ずつ。


 確かめるように。


 絶対に落とさないように。


 前線は崩れていた。


 国も揺れていた。


 ダンジョンはまだ牙を剥いている。


 それでも。


 今この瞬間。


 セレナの世界は、腕の中の少年だけだった。







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