84:逃げ切れ
轟音が響く。
雨。
炎。
咆哮。
崩れた前線基地の通路で、セレナの大剣が黒い怪物を押し返していた。
火花が散る。
空気が震える。
災害級。
前線を崩壊させた存在。
その巨体を相手に、セレナは真正面から斬り結んでいる。
「退避しろ!!」
「負傷者を下げろ!!」
「通路閉鎖急げ!!」
怒鳴り声が飛び交う。
兵士が走る。
治癒師が泣きながら血まみれの冒険者を引きずっていく。
レインはその光景を見ていた。
怖い。
本当に。
身体が震えて止まらない。
足も重い。
呼吸も浅い。
それでも。
視線はセレナから離れなかった。
「っ……!」
セレナの剣が黒い外殻へ叩き込まれる。
火属性強化。
身体強化。
筋肉強化。
魔力燃焼。
常人なら数秒で肉体が壊れる出力。
それを彼女は無理やり振り回している。
怪物が吠える。
四本の腕が振り下ろされた。
地面が砕ける。
石壁が吹き飛ぶ。
「セレナさん!!」
レインが叫ぶ。
セレナは滑るように回避し、そのまま大剣を振り抜いた。
黒い腕が一本飛ぶ。
血ではなく、黒い魔力が噴き出した。
周囲の魔力が吸われる。
空気が歪む。
後方の魔法使いが崩れ落ちた。
「魔力を吸われた!?」
「回復が追いつかない!!」
混乱が広がる。
レインの鑑定が暴れる。
解析。
情報。
構造。
弱点。
魔力循環。
吸収器官。
心臓部位。
脳への接続。
膨大な情報が頭へ流れ込む。
「うっ……!」
頭痛。
吐き気。
でも止めない。
レインは目を見開いた。
「……首」
セレナが振り返る。
「え?」
「首の後ろ!」
「そこが中核です!!」
セレナの目が細くなる。
一瞬で理解した。
「助かる」
彼女が踏み込む。
爆発的な加速。
火属性魔力が地面を焼いた。
その瞬間。
怪物の口が開く。
黒い奔流。
闇属性の砲撃。
「っ!!」
セレナが無理やり剣で受ける。
轟音。
爆風。
セレナの身体が吹き飛んだ。
「セレナさん!!」
壁へ叩きつけられる。
血。
包帯が裂ける。
まだ治りきっていない傷が開いた。
レインの呼吸が止まりそうになる。
怪物が向きを変えた。
こちらを見る。
赤黒い瞳。
獣ではない。
知性がある。
そして。
弱い者を狙う目だった。
「……っ」
レインの足が竦む。
来る。
死ぬ。
怖い。
本当に怖い。
怪物が突進した。
地面が砕ける。
速い。
避けられない。
その瞬間。
「走れぇぇぇぇ!!」
セレナの怒声。
炎が爆ぜた。
セレナが無理やり割り込む。
大剣で怪物を弾く。
火花。
衝撃。
彼女の膝が沈む。
「セレナさん!!」
「逃げろ!!」
初めてだった。
セレナが本気で叫んだのは。
「でも!!」
「いいから走れ!!」
怪物の腕が振り下ろされる。
セレナが受ける。
骨が軋む音。
口から血。
それでも立つ。
「あなたはまだ前に出るな!!」
レインの胸が締め付けられる。
分かっている。
今の自分は弱い。
足手まといだ。
セレナが庇わなければ、もう死んでいる。
それでも。
逃げたくなかった。
セレナを置いていきたくない。
「逃げ切れ!!」
セレナが再び叫ぶ。
その声には怒りより、焦りがあった。
本気で守ろうとしている声。
レインは震えた。
怖い。
情けない。
悔しい。
涙が出そうになる。
怪物が再びセレナへ襲いかかる。
セレナの動きが鈍い。
傷。
疲労。
限界。
もう長くない。
レインは唇を噛み切った。
血の味。
「……嫌だ」
小さい声。
「え?」
近くの兵士が振り返る。
レインは剣を握る。
震えている。
それでも前を見る。
「もう……」
呼吸が乱れる。
怖い。
怖い。
怖い。
でも。
「置いていかれるの、嫌だ……!」
レインが走った。
「待て!!」
「新人!!」
制止を無視する。
怪物へ向かう。
セレナの目が見開かれる。
「レイン!!」
怪物の腕が振り下ろされる。
死ぬ。
本能が叫ぶ。
逃げろ。
無理だ。
終わる。
でも。
レインは魔力を解放した。
水。
風。
土。
光。
闇。
全部。
制御なんてできない。
それでも。
「止まれぇぇぇ!!」
複合魔法。
暴走寸前の魔力が爆発する。
氷の鎖。
風の拘束。
土壁。
光の楔。
闇の拘束。
無理やり怪物へ叩き込む。
空間が軋む。
怪物の動きが一瞬止まった。
「セレナさん!!」
セレナが反応する。
踏み込む。
最後の一撃。
炎が迸る。
巨大な大剣が、怪物の首の後ろへ叩き込まれた。
轟音。
黒い魔力が爆散する。
怪物が絶叫した。
その直後。
レインの視界が真っ白になる。
「がっ……!」
全身が焼ける。
血が噴き出す。
魔力回路が悲鳴を上げる。
身体が壊れる。
「レイン!!」
セレナが駆ける。
レインは崩れ落ちた。
呼吸ができない。
指が動かない。
寒い。
でも。
怪物は倒れていた。
周囲が静まり返る。
誰も動けない。
災害級。
前線崩壊の原因。
それが。
今。
沈黙している。
レインは薄れる意識の中で笑った。
「……逃げ、切れなかった」
セレナが膝をつく。
濡れた銀髪が落ちる。
彼女は怒っていた。
泣きそうでもあった。
「本当に……」
震える声。
「本当に、馬鹿」
その手がレインの頬へ触れる。
温かかった。
レインは安心したように目を閉じる。
雨はまだ降っている。
前線は崩れかけている。
それでも。
二人はまだ、生きていた。




