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28歳の最強お姉さん冒険者は、自己肯定感ゼロの俺を放っておけない  作者: 慈架太子


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82/115

82:崩れた前線

 雨は三日続いた。


 王都リグヴァルトの石畳は濡れ続け、空気には湿った冷気が満ちている。


 冒険者ギルドの空気も重かった。


 酒場では誰も大声を出さない。


 笑い声も少ない。


 視線だけが、時折同じ方向へ向く。


 ダンジョン第五層。


 前線崩壊。


 S級冒険者セレナ重傷。


 その話は、もう街中に広がっていた。


「聞いたか」


「新種だろ」


「災害級だって話だ」


「嘘だろ……第五層だぞ?」


 低い声。


 不安。


 恐怖。


 前線が崩れるというのは、街が崩れることに近い。


 ダンジョン都市は、前線があるから成立している。


 素材。


 魔石。


 肉。


 薬草。


 経済。


 食料。


 全部がダンジョンと繋がっている。


 だから。


 強者が倒れると、都市全体が揺れる。


 二階の部屋。


 レインはベッドに横たわっていた。


 身体が動かない。


 熱がある。


 血管の奥が焼けるように痛む。


 呼吸するだけで胸が軋む。


「……っ」


 起き上がろうとして、失敗する。


 腕に力が入らない。


 魔力を流しすぎた反動。


 身体が限界を超えていた。


「馬鹿」


 椅子に座っていたセレナが呟く。


 包帯だらけだった。


 右肩は固定。


 腹部にも厚い包帯。


 それでも彼女は起きている。


 レインは掠れた声を出した。


「セレナさんこそ」


「私は頑丈」


「……無茶苦茶です」


「あなたに言われたくない」


 少しだけ笑う。


 その笑顔に、レインは安心した。


 生きている。


 そこにいる。


 それだけで胸が軽くなる。


「水」


「あ……はい」


 レインは慌てて起きようとした。


 身体が揺れる。


「寝てなさい」


 セレナが立ち上がる。


 傷が痛むのか、一瞬だけ眉を寄せた。


 でも歩く。


 長い脚。


 濡れた銀髪。


 包帯。


 強い女。


 それなのに。


 今は少しだけ弱く見えた。


 レインは胸が苦しくなる。


 セレナが水を渡した。


「飲める?」


「……子供じゃないです」


「知ってる」


 同じやり取り。


 でも。


 今日は少し違う。


 距離が近かった。


 レインが水を飲む。


 指先が震えている。


 セレナはそれを見ていた。


「まだ震える」


「怖いので」


「何が」


 レインは少し黙る。


「……死ぬのが」


 セレナは静かに聞いていた。


「自分も」


「……」


「セレナさんも」


 雨音。


 小さい部屋。


 沈黙。


 セレナは窓を見る。


「普通よ」


「え」


「怖いのは」


 レインは目を瞬かせた。


 セレナが続ける。


「怖くなくなった奴から死ぬ」


「……」


「戦場で、生き残る人間は案外まとも」


 その言葉には重みがあった。


 レインは聞く。


「セレナさんも怖いんですか」


「怖い」


 即答だった。


「毎回」


「でも……」


「慣れてるだけ」


 セレナは椅子へ戻る。


「仲間が死ぬのも」


「裏切られるのも」


「自分が壊れるのも」


「全部」


「何回も見た」


 その声は静かだった。


 怒りも悲しみも、もう沈殿しているような声。


「だから私は、若い冒険者をあまり好きにならない」


「……」


「死ぬから」


 レインは返せなかった。


 セレナは続ける。


「名前を覚える」


「癖を覚える」


「飯の好みを覚える」


「そうやって近づくと、死んだ時きつい」


 レインは俯く。


 その気持ちは分かる気がした。


「でも」


 セレナが小さく笑う。


「あなたは勝手に入り込んできた」


「え」


「静かに飯食べて」


「変なところ真面目で」


「震えながら前に出て」


「私のために死のうとする」


 レインの顔が赤くなる。


「し、死のうとは」


「した」


「……」


「私、見てたから」


 レインは言葉を失った。


 セレナは真っ直ぐ見ていた。


「なんであんなことしたの」


 レインは答えられない。


 理由なんて簡単だった。


 失いたくなかった。


 ただそれだけ。


 でも。


 口にできない。


「……怖かったので」


「何が」


「いなくなるのが」


 セレナの目が少し揺れる。


 レインは慌てて視線を逸らした。


「すみません」


「なんで謝るの」


「変なこと言ったので」


「変じゃない」


 静かな声。


「嬉しかった」


 レインの呼吸が止まりそうになる。


 セレナは目を伏せる。


「怖かったけど」


「……」


「嬉しかった」


 雨音だけが響く。


 その時。


 階下が騒がしくなった。


 怒鳴り声。


 慌ただしい足音。


 レインとセレナが顔を上げる。


 扉が叩かれた。


「セレナ!! いるか!?」


 男の声。


 ギルド職員だ。


「入って」


 扉が開く。


 職員の顔は青ざめていた。


「前線が崩れた」


 空気が凍る。


「何があった」


「第五層から魔物が溢れてる」


「防衛線が持たない」


「A級が二組壊滅」


 レインの背筋が冷える。


「新種か」


「確認された」


「黒い巨体。魔力を喰う」


 レインの心臓が跳ねた。


 魔力を喰う。


「……っ」


 嫌な予感。


 セレナが立ち上がる。


「行く」


「無理だ! その身体で!」


「他に止められるの?」


 職員が黙る。


 答えがない。


 セレナは壁に立てかけていた大剣を見る。


 折れている。


 それでも手を伸ばす。


 レインが言った。


「僕も行きます」


「駄目」


「でも」


「まだ立てないでしょ」


 その通りだった。


 足に力が入らない。


 でも。


 ここで寝ているなんて無理だった。


「……行きます」


 セレナがレインを見る。


 長い沈黙。


「死ぬかもしれない」


「知ってます」


「怖い?」


「怖いです」


 震える声。


 本当に怖い。


 逃げたい。


 吐きそうだった。


 でも。


「それでも」


 レインはゆっくり立ち上がる。


 膝が震える。


 身体が悲鳴を上げる。


「今回は、逃げたくない」


 セレナは黙っていた。


 やがて。


 小さく息を吐く。


「……本当に面倒な男」


 でも。


 その口元は少しだけ柔らかかった。


「離れないで」


「はい」


「勝手に死なないで」


「……努力します」


「そこは約束して」


 レインは少しだけ笑った。


「約束します」


 外では雨が降り続いている。


 王都の前線は崩れた。


 街は不安に揺れている。


 それでも。


 二人は並んで歩き出した。


 壊れた身体のまま。


 不完全なまま。


 怖がりながら。


 それでも前へ。







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