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28歳の最強お姉さん冒険者は、自己肯定感ゼロの俺を放っておけない  作者: 慈架太子


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79:壊れ始める身体

 夜の雨は、朝になっても止まなかった。


 灰色の空。


 湿った石畳。


 宿屋の窓を叩く小さな雨粒。


 王都は静かに冷えていた。


 レインは布団の中で目を開けた。


 全身が熱い。


 喉が焼ける。


 息が重い。


「……っ」


 起き上がろうとして、身体が動かなかった。


 筋肉が軋む。


 骨の奥が痛む。


 内側から何かに押し広げられているみたいだった。


 昨日。


 魔物から奪った力。


 あれがまだ身体の中に残っている。


 胃が捻れる。


 吐き気。


 頭痛。


 耳鳴り。


 レインは唇を噛んだ。


 情けない。


 こんな程度で。


 強くなりたいのに。


 身体がついてこない。


 その時。


 扉が開く音。


「起きてる?」


 セレナだった。


 銀髪を軽く結び、片手に木盆を持っている。


 湯気が立っていた。


 スープの匂い。


 香草。


 焼いたパン。


 卵。


 それだけで少し安心する。


「……おはようございます」


「全然元気じゃない声」


 セレナはベッド横へ腰掛けた。


 長い脚が揺れる。


 革鎧ではなく、今日は薄手のシャツだった。


 珍しく戦闘用じゃない。


 少し柔らかい空気。


 でも表情は険しい。


「顔色最悪」


「すみません」


「だから謝るなって」


 セレナは額へ手を当てる。


「熱ある」


 レインは目を逸らした。


「大丈夫です」


「大丈夫な人間は起き上がれない」


「……」


「あと震えてる」


 言われて初めて気づく。


 指先が細かく揺れていた。


 無意識だった。


 セレナは黙ってスープを差し出す。


「食べなさい」


「……はい」


 レインはゆっくり身体を起こす。


 腕に力が入らない。


 器を持つだけで重い。


 情けない。


 セレナはその様子を黙って見ていた。


「……レイン」


「はい」


「昨日の話、ちゃんと聞かせて」


 レインの手が止まる。


 昨日。


 暴走しかけた時。


 自分は確かに言った。


 奪った、と。


 セレナは静かに待っていた。


 責めない。


 急かさない。


 でも逃がさない。


 レインは小さく息を吐いた。


「……多分」


「魔力吸収だけじゃないんです」


「うん」


「相手の……力の一部が、残る」


 セレナは黙って聞く。


「最初は少しだけでした」


「小型の魔物なら、違和感くらいで」


「でも最近」


 レインは喉を押さえる。


「強い魔物を倒してから、おかしくなって」


「夢を見るんです」


「夢?」


「知らない景色」


「血」


「牙」


「殺意」


 セレナの目が細くなる。


 レインは続ける。


「頭の中で、知らない感情が動く」


「食べたいとか」


「壊したいとか」


「そういうのが、一瞬だけ混ざる」


 気持ち悪い。


 口にするだけで吐きそうだった。


「僕、多分」


 レインは俯く。


「人間じゃなくなってます」


 静寂。


 雨音だけが響く。


 セレナはしばらく何も言わなかった。


 やがて。


「違う」


 短く言った。


 レインは顔を上げる。


「でも」


「違う」


 セレナの声は真っ直ぐだった。


「本当に壊れてるなら、自分を怖がらない」


「……」


「止めようともしない」


 レインは黙る。


「あなたは苦しんでる」


「なら、まだ人間」


 レインの胸が少しだけ揺れる。


 でも。


 怖さは消えない。


「でも……そのうち」


「誰か傷つけるかもしれない」


「セレナさんまで」


 セレナは小さく息を吐いた。


「なら、その前に止める」


「……え?」


「私がいる」


 当たり前みたいに言う。


「暴走したら殴って止める」


「逃げたら引きずって戻す」


「一人で抱え込んだら怒る」


 レインは困った顔になる。


「……怖いです」


「知ってる」


「嫌われるのも」


「うん」


「化け物みたいで」


 セレナは静かにレインを見る。


「それでも」


「今のあなたは、ちゃんとレインよ」


 その言葉が。


 胸に深く落ちる。


 レインは少しだけ俯いた。


 泣きそうになる。


 でも泣けない。


 泣き方を忘れている。


「……食べる」


「ん」


 スープを飲む。


 温かい。


 胃へ落ちる熱が少しだけ身体を落ち着かせる。


 セレナはそれを見て、小さく息を吐いた。


「今日は休み」


「でも」


「禁止」


「……」


「ギルドも行かない」


「訓練も無し」


「素振りも無し」


「……全部ですか」


「全部」


 レインは露骨に落ち込む。


 セレナは少し笑った。


「子供みたいな顔」


「子供じゃないです」


「そうね」


 セレナは頬杖をつく。


「子供なら、そこまで無茶しない」


 レインは言い返せなかった。


 実際。


 最近ずっと無茶している。


 眠れない。


 身体は重い。


 でも止まれない。


 止まったら置いていかれる気がする。


 セレナの隣に立てなくなる気がする。


「……なんでそんな焦るの」


 不意に問われる。


 レインは固まった。


 セレナは静かだった。


「誰かと比べてる?」


「……」


「昔の自分?」


「違います」


「じゃあ何」


 レインは答えられない。


 本当は分かっている。


 怖いのだ。


 置いていかれるのが。


 セレナは強い。


 綺麗で。


 大人で。


 戦えて。


 人に頼られて。


 前へ進んでいく人。


 自分は違う。


 弱くて。


 気持ち悪くて。


 すぐ震えて。


 すぐ吐いて。


 役に立たない。


 だから。


 追いつかなければ。


 何かを証明しなければ。


 隣にいてはいけない気がしていた。


「……セレナさんは」


 レインが小さく言う。


「強いから」


「ん?」


「僕が遅かったら」


「いつか、いなくなる気がして」


 セレナが目を瞬かせた。


 レインは視線を逸らす。


「だから焦るんです」


「……」


「置いていかれたくない」


 小さい声だった。


 でも本音だった。


 セレナはしばらく黙る。


 そして。


「馬鹿」


 優しく言った。


「私はそんな簡単にいなくならない」


「でも」


「あと、あなたは勘違いしてる」


「……え?」


 セレナは少し笑う。


「私は別に、“強い男”が欲しいわけじゃない」


 レインの心臓が止まりそうになる。


「そ、そういう話じゃ」


「そういう話してる」


 セレナは普通に返す。


 レインは顔が赤くなった。


「あなた、すぐ逃げる」


「……」


「でも最後は逃げない」


「ちゃんと怖がる」


「ちゃんと苦しむ」


「ちゃんと考える」


 セレナは静かに言う。


「それ、強さよ」


 レインは言葉を失った。


 そんな風に言われたこと、一度もなかった。


「だから」


 セレナは立ち上がる。


「今は壊れる前に休め」


「それも戦い」


 レインは小さく頷いた。


「……はい」


 セレナは満足そうに笑う。


「よし」


「今日は洗濯して、飯食べて、寝る」


「あと薬飲む」


「苦いです」


「我慢」


「……はい」


 完全に子供扱いだった。


 でも。


 少しだけ安心する。


 セレナは窓を開けた。


 雨の匂いが入る。


 冷たい風。


 遠くで市場の声が響く。


 世界は動いている。


 止まらない。


 でも。


 今だけは。


 少し休んでもいい気がした。


 セレナは窓辺へ寄りかかりながら、小さくレインを見る。


 細い身体。


 青い顔。


 震える指。


 壊れかけている。


 それでも。


 この子は立とうとする。


 怖がりながら。


 吐きながら。


 震えながら。


 前へ進もうとする。


 だから放っておけない。


「……ほんと、不器用」


 セレナは小さく笑った。


 そして。


 その笑みは少しだけ。


 昔より柔らかかった。







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