77:暴走の兆候
夜明け前の空は、まだ青黒かった。
宿屋の窓から差し込む光は弱く、部屋の中には静かな冷気が残っている。
レインは目を覚ました瞬間、自分の異変に気づいた。
「……っ」
息が苦しい。
胸が熱い。
身体の奥で何かが暴れている。
心臓が速い。
嫌な汗が背中を濡らしていた。
布団を掴む指が震える。
魔力。
いつもより流れが荒い。
いや。
荒いなんてものじゃない。
溢れている。
身体の中で、濁流みたいに暴れていた。
「はぁ……っ、は……」
呼吸が乱れる。
喉が焼ける。
視界が少し揺れた。
レインは慌てて起き上がる。
窓を開ける。
冷たい空気を吸う。
でも落ち着かない。
身体の奥が熱い。
魔力が勝手に循環している。
止まらない。
「なんで……」
昨日。
複合魔法を成功させた。
水と風。
同時制御。
あれ以降だ。
何かが変わった。
レインは自分の手を見る。
指先から微かに水滴が浮かぶ。
意思と関係なく。
次の瞬間。
風が弾けた。
机の紙が吹き飛ぶ。
「っ……!」
レインは慌てて魔力を押さえ込む。
でも止まらない。
水。
風。
光。
闇。
色んな属性が勝手に浮かぶ。
部屋の空気が歪んだ。
怖い。
何これ。
制御できない。
レインは震えながら息を吐く。
昔から魔力は多かった。
異常なくらい。
でも今は違う。
量じゃない。
密度。
圧力。
何かが目覚め始めている感覚だった。
コンコン。
扉が鳴った。
「レイン?」
セレナの声。
レインの肩が跳ねる。
「朝ご飯でき――」
扉が開く。
瞬間。
セレナの表情が変わった。
「……何それ」
部屋の空気が異常だった。
魔力が漏れている。
濃い。
重い。
新人の放出量じゃない。
壁際には氷が張り、床には水が滲み、風が渦を巻いている。
属性干渉。
普通なら暴発事故寸前。
セレナは即座にレインへ近づいた。
「レイン」
「……っ」
「こっち見なさい」
レインは顔を上げる。
目が赤かった。
呼吸も乱れている。
「苦しい、です」
「いつから」
「起きた時から」
セレナはレインの額へ触れる。
熱い。
身体の温度がおかしい。
魔力循環が暴走している。
「魔力切れじゃない……逆流?」
セレナは眉を寄せる。
こんなの見たことがない。
普通の魔導士なら魔力枯渇で倒れる。
でもレインは逆だ。
多すぎる。
身体が耐えられていない。
レインは唇を噛む。
「すみません……」
「謝らない」
「でも」
「今は喋らなくていい」
セレナはすぐに椅子へ座らせる。
「深呼吸」
「……はい」
「吸って」
「吐く」
レインは従う。
でも乱れる。
胸が苦しい。
怖い。
身体の中に知らない何かがいるみたいだった。
「セレナさん」
「ん」
「僕」
震える声。
「壊れてませんか」
セレナの胸が少し痛む。
この子は。
苦しい時すら、自分の心配より周囲を気にする。
壊れていたら迷惑だと思っている。
そういう癖が染みついている。
「壊れてない」
セレナは即答した。
「でも危ない状態ではある」
レインの肩が小さく震える。
「昨日、複合魔法を無理矢理繋げたでしょ」
「……はい」
「多分、魔力経路が刺激されてる」
「魔力、経路……」
「身体の中の流れ道みたいなもの」
セレナは昔聞いた知識を思い出す。
上位魔導士。
特級魔法使い。
稀に、成長段階で魔力が暴走することがある。
器に対して、中身が大きすぎる時。
身体が追いつかない。
でも。
レインは異常だった。
普通の比じゃない。
魔力が深すぎる。
底が見えない。
セレナは理解し始めていた。
この子、本当に化け物級の才能を持っている。
本人だけが気づいていない。
「レイン」
「……はい」
「今日は訓練禁止」
「でも」
「禁止」
セレナは真っ直ぐ言う。
「今の状態で無理したら、本当に身体壊れる」
レインは俯いた。
「……弱いな」
小さな呟き。
セレナは聞き逃さなかった。
「弱くない」
「弱いです」
「違う」
レインは拳を握る。
「みんな普通にできることが、僕にはできない」
「魔力も制御できない」
「すぐ吐く」
「すぐ震える」
「怖がる」
「戦えない」
声が苦しくなる。
「昨日ちょっと成功したくらいで、こんな」
悔しそうだった。
セレナはその顔を見る。
本当に。
不器用だと思う。
誰より頑張っているのに、自分だけは絶対認めない。
セレナはレインの前へしゃがんだ。
「聞きなさい」
低い声。
レインが顔を上げる。
「複合魔法を初めて成功させて、翌日平然としてる方がおかしい」
「……」
「あなたは無茶してる」
「でも」
「ちゃんと前に進んでる」
レインは黙る。
セレナは続けた。
「昨日の魔法」
「普通の新人なら発動すらできない」
「中級でも失敗する」
「あなたは成功した」
レインは目を伏せる。
信じきれていない顔。
セレナは少し困ったように笑う。
「自己評価低すぎ」
「……」
「もう少し、自分を見なさい」
レインは何も返せない。
その時。
バキッ。
椅子の肘掛けが砕けた。
「っ!?」
レインの魔力圧だった。
無意識。
感情に反応している。
セレナの目が細くなる。
危険だ。
想像以上に。
魔力が精神と直結している。
このまま暴走すれば、周囲まで巻き込む。
「レイン」
「は、はい」
「今から外行く」
「外?」
「広い場所で調整する」
王都郊外。
朝霧の残る草原。
人の少ない場所。
セレナはレインを連れて来ていた。
風が冷たい。
草が揺れる。
レインはまだ苦しそうだった。
「立てる?」
「……はい」
「無理なら言いなさい」
「大丈夫です」
その返答に、セレナは少しだけ眉を寄せる。
大丈夫じゃない時ほど、この子はそう言う。
「魔力を外へ逃がす」
「逃がす?」
「抑えるんじゃない」
「流す」
レインは深呼吸する。
セレナは後ろから手を添えた。
背中。
温かい。
「ゆっくり」
「はい」
「怖がらなくていい」
その声は不思議と落ち着く。
レインは目を閉じる。
魔力を見る。
流れ。
暴れる奔流。
怖い。
でも。
逃げない。
少しずつ。
少しずつ外へ流す。
水が浮かぶ。
風が混ざる。
光が揺れる。
闇が滲む。
属性が次々現れる。
セレナは息を飲んだ。
「……全部適性?」
異常だった。
普通ありえない。
複数属性持ちはいる。
でも。
ここまで自然に全属性へ触れる人間なんて聞いたことがない。
レインは震えていた。
制御が難しい。
少し油断すると暴発する。
でも。
逃げない。
必死に押さえる。
セレナはその背中を見る。
怖いだろう。
自分の中に、自分でも分からない力がある。
しかも制御できない。
普通なら壊れる。
でも。
この子はまだ立っている。
「……偉い」
ぽつりと漏れた。
レインが少し目を開く。
「え?」
「ちゃんと向き合ってる」
セレナは微笑む。
「それ、簡単じゃない」
レインの胸が熱くなる。
認められる。
見てもらえる。
その感覚が、まだ慣れない。
怖いくらい温かい。
やがて。
暴れていた魔力が少し落ち着き始めた。
風が静まる。
水が消える。
レインは大きく息を吐いた。
「……終わった」
「まだ完全じゃない」
セレナは真剣な顔になる。
「これから先、もっと危険になる可能性ある」
レインの顔が強張る。
「でも」
セレナはレインの頭を軽く叩いた。
「一人で抱え込むのは禁止」
レインは目を瞬かせる。
「ちゃんと言いなさい」
「苦しい時」
「怖い時」
「無理な時」
「……はい」
「約束」
レインは小さく頷いた。
朝日が昇り始める。
金色の光が草原を照らす。
その中で。
レインは自分の中にある巨大な力を、初めて少しだけ恐れていた。
同時に。
隣に立つセレナの存在へ、深く救われてもいた。




