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28歳の最強お姉さん冒険者は、自己肯定感ゼロの俺を放っておけない  作者: 慈架太子


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75:小さな誇り

 朝の空気は少し冷えていた。


 王都の秋は早い。


 窓を開ければ、白い息がわずかに見える。


 宿屋の裏路地では、パン屋が窯へ火を入れていた。香ばしい匂いが風に混ざり、眠りきらない街をゆっくり起こしていく。


 レインは台所に立っていた。


 まだ外は薄暗い。


 宿の客も起きていない時間。


 鍋から湯気が上がる。


 小さく刻んだ野菜。


 塩漬け肉。


 昨日市場で安く買った根菜。


 弱火でじっくり煮込む。


 包丁を握る手は、以前より少しだけ安定していた。


 火加減を見る。


 水を足す。


 味を確認する。


 そういう細かな作業が、レインは嫌いじゃなかった。


 静かだからだ。


 誰も怒鳴らない。


 失敗しても、すぐ殴られたりしない。


 鍋は黙って応えてくれる。


 だから落ち着く。


「朝から働き者ねぇ」


 女将が欠伸をしながら降りてくる。


「あ、おはようございます」


「おはよう。今日はシチュー?」


「はい」


「セレナちゃん用?」


 レインは手を止める。


「……みんな用です」


「ふふ」


 完全に信じていない笑い方だった。


 レインは耳が赤くなる。


 女将は面白そうに見ながら、水を飲む。


「最近、あんた変わったね」


「え」


「前はずっと下向いてた」


 レインは少し黙った。


「……今も下向いてます」


「前よりマシ」


 女将は笑う。


「ちゃんと人の顔見るようになったよ」


 レインは返事に困る。


 そんなつもりはない。


 でも。


 少しだけ心当たりがあった。


 セレナといる時。


 前より言葉を出せる。


 前より逃げなくなった。


 怖いのは変わらない。


 人混みも苦手。


 視線も苦手。


 怒鳴り声なんて今でも身体が固まる。


 でも。


 それでも。


 少しずつ立てるようになっていた。


 鍋が煮える。


 優しい匂いが広がる。


 その時。


 階段を降りる音がした。


 セレナだった。


 黒いシャツに細身のズボン。


 寝起きなのに妙に整っている。


 長い銀髪は少しだけ乱れていて、それが逆に色気を強くしていた。


「……いい匂い」


 低い声。


 レインの肩が少し揺れる。


「お、おはようございます」


「おはよう」


 セレナはそのまま椅子へ座る。


 眠そうに頬杖をつく姿すら綺麗だった。


「また無理して早起きした?」


「してないです」


「嘘」


「……少しだけ」


 セレナは小さく息を吐く。


「寝不足は判断鈍る」


「すみません」


「怒ってない」


 レインは皿を用意する。


 シチューを注ぐ。


 焼いた黒パンを添える。


 セレナは黙って見ていた。


 手際がいい。


 前より自然だ。


 最初の頃は包丁すら危なかったのに。


「できました」


 セレナはスプーンを取る。


 一口。


 飲み込む。


 数秒。


「美味しい」


 レインの胸が少し軽くなる。


「ほんと?」


「ほんと」


 セレナはもう一口食べる。


「前より味まとまってる」


「……練習しました」


「知ってる」


 知っている。


 その言葉が妙に嬉しい。


 セレナは見ている。


 小さな努力。


 誰も気づかないような変化。


 それを、この人だけは見落とさない。


 だから。


 レインは少しだけ救われる。


 朝食を食べ終えた後。


 セレナは机へ肘をつきながらレインを見る。


「今日どうするの」


「依頼、受けます」


「単独?」


「……はい」


 少しの沈黙。


 セレナは真っ直ぐレインを見る。


「怖い?」


「怖いです」


「逃げたい?」


「少し」


「でも行く?」


 レインは頷いた。


「行きます」


 セレナは少しだけ笑う。


「なら大丈夫」


 その言葉には根拠がない。


 強さの保証もない。


 でも。


 妙に安心する。


 ギルドへ向かう道。


 王都は今日も賑やかだった。


 露店。


 商人。


 馬車。


 鍛冶屋の音。


 子供の笑い声。


 その中を歩きながら、レインは少しだけ胸を張っていた。


 ほんの少しだけ。


 本当に少し。


 でも。


 前より背中が丸くない。


 昨日、初めて勝った。


 それが身体のどこかに残っている。


 ギルドへ入る。


 視線が集まる。


 まだ怖い。


 でも耐えられる。


「あ」


 受付嬢ミリアが気づく。


「レイン君、おはよう」


「お、おはようございます」


「今日は依頼?」


「はい」


 掲示板を見る。


 薬草採取。


 荷運び。


 小型魔物討伐。


 その中で一枚の依頼が目に入った。


《西水路・スライム群除去》


 低級依頼。


 でも件数が多い。


 放置すると水路が詰まる。


 王都の生活に関わる仕事だった。


「これ、受けます」


 ミリアが少し驚く。


「数多いですよ?」


「……やります」


「危険度は低いですけど、地味に大変です」


「大丈夫です」


 ミリアは少し笑った。


「分かりました」


 依頼証を渡す。


「気をつけて」


「はい」


 ギルドを出た後。


 レインは西区へ向かった。


 王都の裏側。


 観光客が来ない場所。


 石造りの水路。


 汚れた水。


 生活臭。


 でも。


 ここが王都を支えている。


 料理人。


 洗濯屋。


 鍛冶屋。


 全部、水を使う。


 水路が死ねば街も死ぬ。


 レインはしゃがみ込む。


 鑑定。


 魔力の流れを見る。


 詰まり。


 汚染。


 スライムの巣。


 少しずつ見えてくる。


「……ここか」


 以前より視える。


 精度が上がっている。


 レインは息を吐く。


 剣を抜く。


 水路の奥でスライムが蠢いた。


 青黒い粘液。


 低級魔物。


 普通なら新人数人でやる仕事。


 でも。


 レインは一人だった。


 怖い。


 今でも怖い。


 でも。


 逃げない。


「……行きます」


 小さく呟く。


 スライムが飛びかかる。


 レインは反射的に身体を動かした。


 剣を振る。


 斬る。


 粘液が飛ぶ。


 次。


 また次。


 数が多い。


 気を抜けば囲まれる。


 でも。


 以前より見える。


 魔力の流れ。


 動き。


 隙。


 そして。


 自分の呼吸。


 レインは水魔法を使う。


 小さな水刃。


 まだ不安定。


 でも発動した。


 スライムの核を裂く。


「……っ」


 成功。


 胸が熱くなる。


 まだ弱い。


 でも。


 ちゃんと戦えている。


 時間はかかった。


 服も汚れた。


 泥だらけ。


 汗だく。


 何度も転んだ。


 何度も怖くなった。


 それでも。


 全部終わらせた。


 水路は流れ始める。


 詰まっていた水が音を立てて進んでいく。


 その時だった。


「兄ちゃん」


 振り返る。


 洗濯屋の老婆がいた。


「水、流れたよ」


「……はい」


「助かった」


 笑っていた。


「最近ひどかったんだ」


 レインは言葉に詰まる。


「ありがとねぇ」


 ただの一言。


 でも。


 胸へ深く落ちた。


 感謝された。


 役に立った。


 その事実が、じわじわ身体へ広がる。


 帰り道。


 夕日が王都を赤く染めていた。


 レインは空を見上げる。


 少し疲れている。


 身体も痛い。


 でも。


 今日は少し違った。


 誰かを助けた。


 ちゃんと役に立てた。


 それは小さい。


 本当に小さい。


 S級みたいな英雄じゃない。


 災害級討伐でもない。


 でも。


 レインにとっては大きかった。


 宿へ戻る。


 扉を開ける。


 セレナがいた。


 本を読んでいた視線が上がる。


「おかえり」


「……ただいまです」


 その瞬間。


 レインは少しだけ笑った。


 本当に少しだけ。


 でも。


 以前より自然な笑顔だった。


 セレナはそれを見て、小さく目を細める。


「何かあった?」


 レインは少し迷った。


 でも。


 今は話せる気がした。


「今日」


 小さく息を吸う。


「ちゃんと、役に立てました」


 セレナは黙って聞く。


 レインは続ける。


「すごいことじゃないです」


「小さい依頼で」


「地味で」


「泥だらけで」


「全然強くないですけど」


 それでも。


「少しだけ」


 レインは胸を押さえる。


「嬉しかったです」


 セレナは静かに笑った。


「そう」


「はい」


「なら、それは立派な誇りよ」


 夕日が部屋を染める。


 暖かな赤。


 その中で。


 レインは初めて、自分の胸に小さな灯りが生まれるのを感じていた。







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