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28歳の最強お姉さん冒険者は、自己肯定感ゼロの俺を放っておけない  作者: 慈架太子


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73:初めての勝利

 夕暮れの王都は、昼とは違う顔をしていた。


 石畳は赤く染まり、屋台からは焼いた肉の匂いが漂う。


 酒場は賑わい始め、仕事を終えた人々が笑いながら肩を組んで歩いている。


 そんな喧騒の中を。


 レインは静かに歩いていた。


 肩には採取袋。


 服は泥まみれ。


 腕には応急処置の痕。


 歩くたび痛みが走る。


 疲労も酷い。


 でも。


 心の奥に、妙な感覚が残っていた。


 怖かった。


 本当に怖かった。


 グレイファング一匹相手に、身体は震え続けた。


 剣を握る手はまともに動かなかった。


 格好悪かった。


 情けなかった。


 それでも。


 一人で勝った。


 その事実だけが、胸の奥で小さく熱を持っていた。


 王都の門を抜ける。


 衛兵がレインを見る。


「お、新人」


 声をかけられ、レインはびくりと肩を跳ねさせた。


「ずいぶん汚れてるな」


「あ……」


「初単独か?」


 レインは小さく頷く。


 衛兵は少し笑った。


「生きて帰れたなら上等だ」


 その言葉が、意外と嬉しかった。


 レインは小さく頭を下げる。


「……ありがとうございます」


 王都の空気は暖かかった。


 帰ってきた。


 その実感が、ゆっくり身体へ染み込んでいく。


 宿屋の扉を開ける。


 暖炉の熱。


 肉の匂い。


 笑い声。


 いつもの空気。


 その瞬間。


 レインの肩から力が抜けた。


「あら」


 女将が気づく。


「帰ってきたのね」


「……はい」


「怪我してるじゃない」


「少しだけです」


「少しって顔じゃないわよ」


 レインは曖昧に笑う。


 その時。


 二階から足音が響いた。


 ゆっくり。


 でも迷いのない足音。


 レインは反射的に顔を上げる。


 セレナだった。


 銀髪。


 黒いシャツ。


 長い脚。


 少し疲れた顔。


 でも。


 ちゃんと生きていた。


 レインの胸が熱くなる。


 セレナは階段を下りながら、真っ先にレインの怪我を見た。


「……怪我してる」


「はい」


「どこ」


「腕だけです」


「見せて」


 レインは素直に腕を出す。


 裂傷。


 浅いが広い。


 セレナの眉が寄る。


「魔物は」


「グレイファングです」


「一人で?」


「……はい」


「倒したの」


 レインは少しだけ迷って。


 小さく頷いた。


 その瞬間。


 セレナの目が少しだけ変わった。


 驚き。


 安堵。


 それから。


 ほんの少しの誇らしさ。


「そう」


 短い言葉。


 でも。


 レインには十分だった。


 セレナは椅子へ座る。


「こっち来なさい」


「はい」


 レインが近づく。


 セレナは慣れた手つきで包帯を外した。


 傷を見る。


「噛まれてない」


「爪です」


「避けたのね」


「ギリギリでした」


「十分」


 セレナは薬草を塗る。


 痛みが走る。


 レインが少し顔をしかめた。


「痛い?」


「……少し」


「我慢」


「はい」


 女将が笑う。


「本当に夫婦みたいねぇ」


 レインの顔が真っ赤になる。


「ち、違っ……」


 セレナは平然としていた。


「黙ってなさい、おばさん」


「照れてる照れてる」


「照れてません」


 レインだけが完全に動揺していた。


 セレナはその反応を見ると、少しだけ口元を緩める。


 最近、こういう顔をするようになった。


 柔らかい顔。


 昔よりずっと。


 レインが帰ってくるまで。


 本当は落ち着かなかった。


 旧坑道の調査。


 嫌な依頼だった。


 実際、危険だった。


 魔物の群れ。


 崩落。


 血の匂い。


 死体。


 慣れた景色。


 それでも。


 今日は妙に集中できなかった。


 頭の片隅でずっと考えていた。


 レインは戻ってくるか。


 怖がってないか。


 死んでないか。


 そんなことばかり考えていた。


 気づいてしまう。


 もう。


 この子が死ぬ想像をするだけで、胸が重くなる。


「セレナさん」


「何」


「そっちは……」


「終わった」


「無事ですか」


「無事」


 セレナは短く答える。


 レインはほっと息を吐いた。


 その顔を見て。


 セレナは少し黙る。


「……そんな顔するのね」


「え?」


「安心した顔」


 レインは戸惑う。


「そりゃ……します」


「変な子」


「すみません」


「謝るなって言ってる」


 レインは困ったように黙った。


 セレナは包帯を巻き終える。


「はい、終わり」


「ありがとうございます」


「今日は風呂入って寝なさい」


「でも依頼報告」


「明日」


「……はい」


 素直だった。


 以前よりずっと。


 セレナはその変化を感じる。


 この子は、少しずつ変わっている。


 まだ弱い。


 まだ怖がっている。


 でも。


 逃げなくなってきた。


 それが嬉しかった。


 レインは少し迷ってから、小さく口を開く。


「……あの」


「何」


「勝てました」


 セレナは黙って聞く。


 レインは視線を落とした。


「すごく怖かったです」


「うん」


「本当に怖くて」


「うん」


「逃げたかったです」


 声が震えていた。


 でも。


 止めなかった。


「でも」


 レインはゆっくり続ける。


「勝てました」


 その言葉は、小さかった。


 誇らしげでもない。


 自信満々でもない。


 ただ。


 確認するみたいな声。


 それでも。


 セレナの胸へ深く届いた。


 初めての勝利。


 誰かに守られた勝利じゃない。


 誰かが横にいた勝利じゃない。


 一人で立って。


 一人で怖がって。


 一人で掴んだ勝利。


 それがどれだけ大きいか。


 セレナは知っていた。


「……えらい」


 ぽつりと零れる。


 レインが固まる。


「え?」


「よく帰ってきた」


 その声は優しかった。


 優しすぎて。


 レインの胸が苦しくなる。


「……っ」


 涙が出そうになる。


 情けない。


 狼一匹倒しただけなのに。


 でも。


 嬉しかった。


 セレナは立ち上がる。


「飯、まだでしょ」


「はい」


「食べる」


「……作ります」


「怪我人」


「でも」


「座って」


 有無を言わせない声。


 レインはしょんぼり座る。


 セレナは厨房へ向かった。


 女将が目を丸くする。


「あんた料理するの?」


「少しは」


「火事起こさないでよ」


「失礼ね」


 レインは呆然と見ていた。


 S級冒険者。


 最強。


 災害級を斬る人。


 その人が。


 今、自分のために鍋を握っている。


 妙に胸が温かかった。


 セレナは野菜を切る。


 不器用ではない。


 慣れている。


 ただ雑だった。


「……手伝います」


「怪我人」


「座ってるだけ落ち着かなくて」


「真面目」


「すみません」


「だから謝るなって」


 レインは小さく立ち上がる。


 二人で並ぶ。


 狭い厨房。


 肩が近い。


 セレナは自然に鍋を混ぜながら言った。


「レイン」


「はい」


「今日、一人で勝ったの」


「……はい」


「忘れないで」


 レインは黙る。


「小さい勝ちでも」


「ちゃんと積み重ねなさい」


 火が揺れる。


 暖かい。


 レインは静かに頷いた。


「……はい」


 その返事は。


 以前より少しだけ、強かった。


 夜は静かに更けていく。


 暖炉の火。


 鍋の匂い。


 窓の外の夜風。


 戦場ではない場所。


 帰ってこられる場所。


 その温かさの中で。


 レインは初めて、自分の勝利を少しだけ実感していた。







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