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28歳の最強お姉さん冒険者は、自己肯定感ゼロの俺を放っておけない  作者: 慈架太子


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71:単独依頼

 朝は早かった。


 まだ空が薄青く、王都の石畳が夜露を残している時間。


 宿屋の厨房では、小さな鍋が静かに湯気を立てていた。


 レインは眠そうな目を擦りながら、木匙でスープを混ぜる。


 玉ねぎ。


 干し肉。


 少量の豆。


 昨日の残り野菜。


 安い材料ばかりだったが、丁寧に火を入れていた。


 セレナは椅子へ座り、その様子を眺めている。


 銀髪はまだ少し乱れていて、寝起きらしい気怠さが残っていた。


 それでも絵になる。


 長い脚。


 白い首筋。


 火に照らされた横顔。


 宿屋の女将がちらちら見てしまうくらいには、美しかった。


「……眠そう」


 セレナが言う。


 レインは少し肩を揺らした。


「昨日、あまり寝れなくて」


「考え事?」


「はい」


 小さな返事。


 セレナは黙って紅茶を飲む。


 昨夜、ぶつかった。


 逃げるな。


 逃げたくない。


 そんな話をした。


 まだ胸の奥が熱い。


 気まずいわけではない。


 でも、少しだけ意識してしまう。


 レインは鍋へ視線を落とした。


「塩、少なめです」


「覚えてるのね」


「……飲みすぎた次の日、薄味の方がいいって」


 セレナは少しだけ笑った。


「優秀」


 その一言だけで、レインはまた耳が熱くなる。


 自分でも単純だと思う。


 朝食を食べ終えた頃。


 宿屋の扉が勢いよく開いた。


「セレナ! いるか!」


 大声。


 レインの肩がびくりと跳ねる。


 反射だった。


 呼吸が乱れる。


 セレナはそれを横目で見て、静かに立ち上がった。


「朝からうるさい」


 入ってきたのは大柄な男だった。


 三十代後半。


 短髪。


 大斧を背負っている。


 鎧には無数の傷。


 歴戦の冒険者だと一目で分かる。


「ギルドから呼び出しだ」


「面倒」


「災害級の調査依頼」


「もっと面倒」


 男は苦笑した。


「お前しか受けられん」


「断る」


「王命だ」


 セレナが露骨に嫌そうな顔をする。


 レインはそのやり取りを静かに見ていた。


 男の視線がこちらへ向く。


「……そいつか」


 レインが身体を強張らせる。


「例の新人」


「そう」


「へぇ」


 値踏みするような目。


 レインは視線を逸らした。


 苦手だった。


 こういう目。


 測られる感じ。


 否定される前の空気。


 男は鼻を鳴らす。


「普通だな」


「普通以下よ」


 セレナが即答した。


「ひどくないですか」


「事実」


 男が笑う。


「でも、お前が連れてるってことは何かあるんだろ」


 セレナは返事をしない。


 ただ椅子へ座り直し、酒瓶を避けながら机へ肘をついた。


「それで?」


「北東区画の旧坑道」


 男の顔が少し真面目になる。


「探索班が二つ消えた」


 空気が変わる。


 レインも顔を上げた。


「魔物は?」


「不明」


「痕跡は?」


「なし」


「生存者」


「ゼロ」


 静かな沈黙。


 セレナは指先で机を叩く。


「嫌な感じね」


「だから来た」


「今日は休みの予定だったんだけど」


「国は待ってくれん」


 男は肩を竦める。


「昼までにギルド来い」


 それだけ言って去っていった。


 扉が閉まる。


 静けさが戻る。


 レインは少し迷ってから口を開いた。


「……行くんですか」


「行くしかない」


 セレナは短く答えた。


 その顔には、もう迷いがない。


 S級冒険者の顔。


 国に呼ばれる人間の顔。


 レインはその横顔を見る。


 遠い。


 やっぱり遠い。


 この人は、世界の最前線にいる。


 自分とは違う。


 そんな感覚が胸へ広がる。


 セレナはレインの視線に気づいた。


「何」


「いえ……」


「言いなさい」


 レインは少し黙る。


 でも。


 逃げないと決めた。


「……僕も行きます」


 セレナの眉が少し動く。


「今回は危険よ」


「いつも危険です」


「今回は私でも嫌な予感がする」


「でも」


 レインは拳を握る。


「行きたいです」


 セレナはしばらく黙っていた。


 その時だった。


 宿屋の女将が、困った顔で近づいてくる。


「ねぇレイン君」


「は、はい」


「ギルドから伝言」


「え?」


「単独依頼」


 レインが固まる。


「……単独?」


「ええ」


 女将は紙を差し出した。


 簡素な依頼書。


 低級採取依頼。


 薬草回収。


 危険度は低い。


 新人向け。


 つまり。


 セレナとは別行動。


 レインの胸がざわつく。


 セレナは依頼書を見る。


「……誰が回したの」


「ギルド受付のミリアちゃん」


「理由は?」


「“レイン君にも経験を積ませたいから”って」


 セレナは少し考える。


 レインは黙っていた。


 胸が苦しい。


 一緒に行きたい。


 でも。


 これは多分、正しい。


 いつまでも隣で守られるだけじゃ駄目だ。


 単独。


 一人。


 その言葉だけで胃が痛くなる。


 怖い。


 怖い。


 怖い。


 でも。


 セレナは静かに聞いた。


「どうする?」


 試すような声ではない。


 確認する声。


 レインは依頼書を見つめる。


 手が震えていた。


「……一人で」


 喉が詰まる。


「できますかね」


 セレナは少し笑う。


「分からない」


「……」


「でも、やらないと始まらない」


 レインは黙る。


 セレナは続ける。


「単独依頼はね」


「はい」


「怖い」


「……はい」


「最初は皆そう」


 セレナは窓の外を見る。


「私も昔、吐いた」


 レインが目を見開く。


「セレナさんが?」


「三回くらい」


「……意外です」


「今でも嫌いよ」


 セレナは苦笑した。


「一人って、怖いから」


 レインは少しだけ安心する。


 最強でも怖い。


 その事実が、少しだけ呼吸を楽にした。


「レイン」


「はい」


「失敗してもいい」


「……」


「逃げてもいい」


 レインが顔を上げる。


 セレナは真っ直ぐ言った。


「でも」


「戻ってきなさい」


 胸が熱くなる。


 その言葉が嬉しかった。


 戻る場所がある。


 待っている人がいる。


 それだけで。


 怖さが少し減る。


「……はい」


 セレナは立ち上がる。


「準備しなさい」


「セレナさんも?」


「私は王命」


「別行動ですね」


「そうなる」


 少し寂しい。


 その感情に気づいて、レインは慌てて視線を逸らした。


 セレナはその反応を見て、小さく笑う。


「何」


「いえ」


「顔に出てる」


「……出てません」


「出てる」


 セレナは近づいてきた。


 距離が近い。


 レインの呼吸が止まる。


 セレナはそっと、レインの前髪を指で払った。


「ちゃんと帰ってきなさい」


 静かな声。


 でも。


 優しかった。


 レインは小さく頷く。


「セレナさんも」


「うん?」


「死なないでください」


 その瞬間。


 セレナの目が少しだけ揺れた。


 戦場で何度も言われた。


 行ってらっしゃい。


 武運を。


 勝ってこい。


 でも。


 “死なないで”と言われた記憶は、あまりなかった。


 セレナは数秒黙って。


 それから。


 本当に少しだけ柔らかく笑った。


「努力する」


 レインも少し笑う。


 怖い。


 一人は怖い。


 でも。


 帰る場所があるなら。


 待ってくれる人がいるなら。


 少しだけ、前へ進ける気がした。








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