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28歳の最強お姉さん冒険者は、自己肯定感ゼロの俺を放っておけない  作者: 慈架太子


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69:「逃げんな」

 夜だった。


 王都の外れ。


 石畳は昼間の雨をまだ少しだけ残している。


 街灯の魔導灯が淡く光り、湿った空気を照らしていた。


 酒場の喧騒は遠い。


 人通りも少ない。


 レインは一人で歩いていた。


 頭が整理できない。


 胸が苦しい。


 セレナの言葉が、何度も頭の中で響いていた。


『だから私は、隣に置いてる』


 隣。


 その響きが重い。


 嬉しい。


 怖い。


 信じたい。


 でも信じるのが怖い。


 レインは俯いたまま歩く。


 靴音だけが響く。


 視線を上げられない。


 昔からだ。


 期待されるのが怖い。


 優しくされるのが怖い。


 どうせ最後は捨てられる。


 そう思ってしまう。


 レインは拳を握った。


「……駄目だ」


 小さな声。


 頭の奥がぐちゃぐちゃだった。


 今日、ギルドでセレナは怒った。


 本気で。


 自分のために。


 そんなこと、人生で一度もなかった。


 だから分からない。


 どう受け止めればいいのか。


 怖い。


 嬉しい。


 苦しい。


 逃げたい。


 その時だった。


「よぉ」


 低い声。


 レインの身体が跳ねる。


 反射的に肩が縮む。


 そこに立っていたのは、昼間の男だった。


 グレン。


 A級冒険者。


 大柄な体。


 無精髭。


 重装鎧。


 片手には酒瓶。


 レインは喉を鳴らした。


「……すみません」


 条件反射だった。


 グレンは眉をひそめる。


「なんで謝る」


「え……」


「癖か?」


 レインは答えられない。


 グレンは少し黙り。


 やがて鼻を鳴らした。


「面倒くせぇな」


 怖い。


 怒鳴られる。


 そう思った。


 レインの呼吸が浅くなる。


 だが。


 グレンは酒を一口飲んで、壁へ寄りかかった。


「昼は悪かった」


 レインは目を瞬かせる。


「……いえ」


「謝ったろ」


「……はい」


「なら終わりだ」


 不器用な言い方だった。


 レインは戸惑う。


 グレンはレインを見る。


 観察するように。


「お前、本当に変な奴だな」


「……すみません」


「だから謝るなって」


 少し呆れた声。


 グレンは空を見上げる。


「セレナがあんな怒り方したの、初めて見た」


 レインの胸が少し痛む。


「……」


「あいつ、昔から何でも一人で抱える女だった」


 グレンの声は静かだった。


「強すぎるからな」


「誰も隣に立てなかった」


 レインは黙って聞く。


「仲間もいた」


「男もいた」


「でも全部駄目になった」


 グレンは酒瓶を揺らす。


「置いていかれた奴もいる」


「潰れた奴もいる」


「利用した馬鹿もいる」


 レインは少し俯いた。


 セレナの傷。


 その理由。


 少しだけ見えた気がした。


「だから驚いた」


 グレンが言う。


「あいつがお前を隣に置いてるの」


「……僕なんかを」


「そこだよ」


 グレンが眉を寄せる。


「その“僕なんか”」


 レインの肩が震える。


「……事実です」


「違う」


「弱いのは事実です」


「誰も弱いこと責めてねぇ」


 グレンの声が低くなる。


「問題はそこじゃない」


 レインは言葉を失う。


「お前、自分を諦めすぎだ」


 胸へ刺さる。


 痛い。


「セレナが見てんのは、強さじゃねぇよ」


「……」


「逃げながらでも立つとこだ」


 レインは呼吸が止まりそうになる。


 グレンは酒瓶を置いた。


「正直、俺はお前みたいなの嫌いだ」


 レインの身体が強張る。


「見ててイラつく」


「う……」


「暗ぇし」


「はい……」


「すぐ謝るし」


「……」


「でも」


 グレンは視線を向けた。


「逃げない奴は嫌いじゃねぇ」


 レインの目が揺れる。


「お前、《大喰らい》で逃げなかったんだろ」


「……はい」


「普通の新人なら腰抜かして終わりだ」


 レインはあの時を思い出す。


 腐臭。


 絶望。


 巨大な肉塊。


 本当は逃げたかった。


 今でも怖い。


「でも最後まで残った」


 グレンが言う。


「それは才能だ」


「……そんな立派なものじゃ」


「ある」


 強い口調だった。


 レインは黙る。


 グレンは小さく息を吐く。


「セレナはな」


「弱い奴を嫌う」


 レインの胸が冷える。


 でも。


 次の言葉は違った。


「でも、“弱いまま逃げる奴”をもっと嫌う」


 静かな夜だった。


 遠くで鐘が鳴る。


 レインは俯いた。


 怖い。


 やっぱり怖い。


 セレナの隣なんて。


 自分が立っていい場所じゃない。


 そう思ってしまう。


 でも。


 それでも。


 あの人の隣へ行きたい。


 その気持ちだけは、本物だった。


「……僕」


 声が掠れる。


「怖いんです」


「知ってる」


「期待されるの」


「うん」


「隣って言われるのも」


 グレンは黙って聞いている。


「そのうち、失望される気がして」


 レインは拳を握る。


「気持ち悪がられて」


「捨てられて」


「邪魔って言われて」


 呼吸が乱れる。


「そうなるくらいなら」


 そこで止まる。


 グレンは目を細めた。


「逃げるか?」


 レインは黙る。


 グレンは壁から身体を起こした。


 そして。


 真正面へ立つ。


 大きい。


 威圧感がある。


 レインは少し後ずさった。


 その瞬間。


 グレンが低い声で言った。


「逃げんな」


 短い言葉だった。


 でも。


 妙に重かった。


「……」


「怖ぇのは分かる」


「でもな」


 グレンはレインを見る。


「逃げたら、あの女また一人になるぞ」


 レインの胸が止まる。


「セレナは強い」


「一人でも生きる」


「でも、一人で生きてきたから今みたいになってる」


 傷だらけ。


 幸せになれないと思ってる女。


 それがセレナだった。


「お前、あいつの顔見ただろ」


「……はい」


「笑ってるくせに、全然安心してねぇ」


 レインは思い出す。


 焚き火。


 雨の日。


 静かな朝。


 眠れない夜。


 セレナはいつも、どこか気を張っていた。


 休んでいない。


 生き残るために。


 ずっと。


「だから」


 グレンが言う。


「お前が逃げんな」


 レインの喉が震える。


「弱くてもいい」


「格好悪くてもいい」


「震えててもいい」


「でも」


 グレンは真っ直ぐ言った。


「隣に立ちたいなら、逃げんな」


 静寂。


 夜風が吹く。


 レインは俯いたまま震えていた。


 怖い。


 本当に怖い。


 でも。


 逃げたくなかった。


 セレナが、自分を見てくれたから。


 初めて。


 ちゃんと。


 人として。


 必要だと言われた気がしたから。


 レインはゆっくり顔を上げる。


 目はまだ弱い。


 でも。


 逃げていなかった。


「……はい」


 小さな返事。


 グレンは鼻を鳴らす。


「よし」


 それだけ言って酒瓶を拾う。


「帰れ」


「セレナ待ってるぞ」


「え」


「お前がいねぇと、あいつ普通に探しに来る」


 レインの胸が熱くなる。


 グレンは背を向けたまま手を振る。


「次会う時までには、もう少し胸張れ新人」


 そう言って去っていく。


 レインは一人残された。


 夜風が冷たい。


 でも。


 少しだけ。


 胸の奥が温かかった。


 逃げるな。


 その言葉が、まだ胸に残っていた。







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