66:嫉妬
昼下がりの王都は騒がしかった。
中央通り。
石畳の両脇には露店が並び、香辛料の匂いと焼き肉の煙が混ざり合っている。
商人の呼び声。
子供の笑い声。
荷馬車の軋む音。
王都はいつも、人で溢れていた。
その喧騒の中を、レインは静かに歩いていた。
隣にはセレナ。
銀髪が陽光を反射し、通り過ぎる人間が何度も振り返る。
目立つ。
本当に。
レインは少しだけ肩を縮めた。
まだ慣れない。
セレナと並ぶこと。
視線を浴びること。
自分が場違いだと思ってしまうこと。
「また猫背」
セレナが横から言った。
「……すみません」
「伸ばす」
レインは慌てて背筋を伸ばした。
すると今度はぎこちなくなる。
セレナが小さく笑う。
「極端」
「難しいです」
「慣れ」
そう言いながら、セレナは露店を眺めていた。
今日は依頼帰りだった。
第五階層の素材回収。
危険度は低め。
それでもレインにとっては十分怖かった。
大型の魔獣は出なかった。
代わりに数が多かった。
群れ。
連携。
判断。
レインは必死だった。
水属性で拘束。
索敵。
補助。
まだ前衛としては弱い。
でも。
以前より動けていた。
セレナもそれを見ていた。
「今日、悪くなかった」
「……本当ですか」
「本当」
レインの胸が少し温かくなる。
その時だった。
「セレナ!」
女の声。
二人が振り向く。
そこにいたのは、赤髪の女冒険者だった。
二十五歳前後。
長身。
槍使いらしい引き締まった身体。
美人。
気の強そうな目。
軽装の鎧。
周囲の男たちがちらちら見ている。
「久しぶりね!」
女は笑いながら近づいてきた。
セレナが少し目を見開く。
「……ミリア」
「生きてた?」
「勝手に殺さないで」
「ははっ、相変わらずだ」
二人の距離感は近かった。
気安い。
長い付き合いなのが分かる。
レインは少し後ろへ下がった。
自然と。
「誰?」
ミリアがレインを見る。
視線が鋭い。
「新しい子?」
「パーティ組んでる」
「へえ」
ミリアはレインを上から下まで見た。
観察。
冒険者特有の視線。
「細い」
「弱そう」
「……」
「でも魔力変ね」
レインの肩が少し揺れる。
見抜かれた。
セレナが口を開く。
「レイン」
「ふーん」
ミリアはニヤリと笑った。
「例の噂の子か」
レインは居心地が悪かった。
こういう人は苦手だ。
距離が近い。
圧が強い。
セレナとは違う意味で怖い。
「今暇?」
ミリアがセレナへ聞く。
「少し」
「じゃあ酒付き合いなさいよ」
「昼」
「昼だから」
ミリアは笑う。
セレナも少しだけ呆れた顔をした。
「昔から変わらない」
「そっちも」
その会話を聞きながら、レインは黙っていた。
知らないセレナだった。
昔の仲間。
同世代。
気軽に話せる相手。
レインはそこへ入れない。
当然だ。
自分は新人。
弱い。
年も離れている。
それでも。
胸の奥が妙にざわついた。
「ん?」
ミリアがレインを見る。
「何その顔」
「え」
「不安そう」
レインが固まる。
見抜かれていた。
ミリアは笑う。
「安心しなさい」
「私はセレナ取らないから」
レインの顔が赤くなる。
「ち、違」
「違わない顔してる」
「ミリア」
セレナの声が少し低くなる。
「からかうな」
「だって分かりやすい」
ミリアは楽しそうだった。
レインは視線を逸らす。
心臓がうるさい。
違う。
いや違わない。
でも違う。
自分でも整理できない。
セレナは溜め息を吐いた。
「レイン」
「……はい」
「気にしなくていい」
その言葉が逆に苦しい。
子供扱いされている気がする。
守られている。
また。
ミリアは面白そうに二人を見ていた。
「へえ」
「珍しいな」
「何が」
「セレナがそんな顔するの」
セレナが眉を寄せる。
「どんな」
「優しい顔」
レインが思わずセレナを見る。
セレナは少し嫌そうな顔をした。
「酒臭い」
「話逸らした」
「うるさい」
ミリアは笑う。
本当に気安い。
レインはまた胸が重くなった。
自分は知らない。
セレナの昔を。
仲間を。
戦場を。
笑っていた頃を。
自分は途中から来た人間だ。
その感覚が、急に苦しくなる。
「レイン?」
セレナが気づく。
「顔色悪い」
「……大丈夫です」
「大丈夫じゃない顔」
ミリアも少し真顔になる。
「人混み苦手?」
「……少し」
「少しじゃないわね」
レインは黙った。
呼吸が浅い。
周囲の音がうるさい。
人が多い。
視線が多い。
胸がざわつく。
セレナはすぐ理解した。
「場所変える」
「え?」
「行くわよ」
自然に手首を掴まれる。
温かい。
大きな手。
レインは少しだけ安心した。
ミリアが後ろから笑う。
「完全に保護者じゃない」
「黙れ」
「はいはい」
三人は大通りから外れ、小さな裏路地の喫茶店へ入った。
静かな店だった。
木の匂い。
落ち着いた空気。
人も少ない。
レインはようやく息を吐いた。
セレナは向かいへ座る。
「水飲む?」
「……はい」
差し出される。
レインは受け取った。
少しずつ落ち着く。
ミリアは頬杖をつきながら見ていた。
「本当に大事にしてるんだ」
「何が」
「その子」
セレナが少し黙る。
レインは視線を落とした。
聞いてはいけない気がした。
でも聞きたい。
セレナは少し考えてから口を開く。
「……放っておけない」
「へえ」
「危なっかしいから」
「それだけ?」
セレナが言葉を止める。
ミリアはニヤニヤしていた。
「昔のセレナなら、弱い男なんて見向きもしなかったのに」
レインの胸が痛む。
弱い男。
事実だ。
セレナはレインを見る。
その顔を見て、小さく眉を寄せた。
「レイン」
「……はい」
「今ので落ち込まない」
「……無理です」
正直だった。
ミリアが吹き出す。
「素直か」
セレナは少し困った顔をする。
「弱いのは事実」
レインが俯く。
「でも」
セレナは続けた。
「弱いまま終わる人じゃない」
レインが顔を上げる。
「見てれば分かる」
静かな声だった。
「毎日積んでる」
「怖くても来る」
「逃げない」
セレナは真っ直ぐ言う。
「それ、簡単じゃない」
ミリアが少し目を細める。
「……本気なんだ」
「何が」
「その子のこと」
セレナは答えない。
代わりに紅茶を飲む。
でも。
耳が少し赤い。
レインはそれを見て、胸が苦しくなる。
嬉しい。
でも苦しい。
ミリアは笑った。
「なるほどね」
「セレナが嫉妬される側じゃなくて、嫉妬する側になりそうなの初めて見た」
セレナが止まる。
「……は?」
「気づいてない?」
「何を」
「その子、さっきからずっと不安そうだった」
レインが固まる。
「私とセレナが仲良さそうで」
「……」
「嫉妬してた」
空気が止まる。
レインの顔が熱くなる。
「ち、違」
「違わない」
ミリアが即答した。
セレナはレインを見る。
レインは完全に視線を逸らした。
逃げたい。
穴があったら入りたい。
セレナは少しだけ黙る。
それから。
本当に少しだけ。
嬉しそうに笑った。
「……そっか」
その声が柔らかかった。
レインの心臓が跳ねる。
セレナは頬杖をつく。
「安心しなさい」
「……え」
「私はレイン置いてどっか行かない」
自然だった。
当たり前みたいに言う。
レインは何も返せなくなる。
ミリアが笑う。
「重症だこれ」
「うるさい」
「はいはい」
窓の外では、王都の喧騒が続いていた。
人が行き交う。
笑い声が響く。
世界はいつも通り騒がしい。
その中で。
レインは初めて知ってしまった。
胸が苦しくなる感覚。
誰かを取られたくないと思う感情。
嫉妬。
その名前を。




