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28歳の最強お姉さん冒険者は、自己肯定感ゼロの俺を放っておけない  作者: 慈架太子


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64:劣等感

 第七階層へ続く石階段は、湿っていた。


 地下特有の冷たい空気。


 苔の匂い。


 薄暗い壁面を、青白い魔鉱石の灯りがぼんやり照らしている。


 レインは階段を降りながら、無意識に息を浅くしていた。


 怖い。


 やっぱり怖い。


 心臓がうるさい。


 喉が渇く。


 胃が重い。


 吐き気もある。


 慣れない。


 何度ダンジョンへ入っても、恐怖だけは消えなかった。


 前を歩くセレナは静かだった。


 超大型大剣を背負い、迷いなく進む。


 足音すら安定している。


 強い。


 本当に。


 レインはその背中を見るたび、自分との差を思い知る。


「気配、どう?」


 セレナが前を向いたまま聞く。


 レインは集中する。


 鑑定。


 索敵。


 まだ未熟。


 でも以前より広く見える。


 魔力の流れ。


 生体反応。


 空気の乱れ。


「……右奥に三体」


「狼型です」


「速い」


「あと……血の匂い」


 セレナが小さく頷く。


「生きてるわね」


 レインは唇を噛む。


 間に合うかもしれない。


 その希望だけで、少し足が速くなった。


 第七階層。


 広い空洞型のエリア。


 岩柱が並び、視界が悪い。


 その奥。


 血だまり。


 倒れている冒険者。


 そして。


 影狼。


 黒い毛並み。


 赤い目。


 低い唸り声。


 三体。


 まだ食事中だった。


 レインの背筋が冷える。


 セレナが前へ出る。


「レイン」


「はい」


「呼吸」


 短い言葉。


 レインは深く息を吸う。


 吐く。


 震える手を握る。


「行くわよ」


 次の瞬間。


 セレナが踏み込んだ。


 速い。


 空気が爆ぜる。


 火属性強化。


 筋力増幅。


 超大型大剣が横薙ぎに振られる。


 一体目の影狼が真っ二つになった。


 血が散る。


 残り二体が即座に跳ぶ。


 速い。


 レインの視界が追いつかない。


「左!」


 叫ぶ。


 セレナが反転。


 大剣で叩き落とす。


 岩床が砕ける。


 最後の一体。


 レインへ来た。


「っ……!」


 怖い。


 本能が逃げろと叫ぶ。


 でも。


 逃げない。


 水属性。


 発動。


 水鞭。


 影狼の足へ絡める。


 一瞬だけ動きが止まる。


「セレナさん!」


「いい」


 火が走る。


 巨大な斬撃。


 影狼の首が飛んだ。


 静寂。


 血の匂いだけが残る。


 レインは肩で息をした。


 怖かった。


 本当に。


 まだ膝が震えている。


 セレナはすぐ倒れていた冒険者へ向かう。


「生きてる」


 レインも駆け寄る。


 若い男だった。


 二十代半ばくらい。


 腹部に深い裂傷。


 顔色も悪い。


 レインは即座に光属性を使う。


 癒。


 まだ弱い。


 完全には治せない。


 でも止血くらいなら。


 淡い光が傷を包む。


 男の呼吸が少し安定した。


「……すご」


 掠れた声。


 レインは目を逸らした。


「大したことないです」


「十分」


 セレナが言う。


 その声に、少しだけ胸が温かくなる。


 救助を終え、地上へ戻った頃には昼を過ぎていた。


 王都は騒がしい。


 市場。


 露店。


 焼きたてのパンの匂い。


 肉を焼く音。


 スープの湯気。


 冒険者たちの笑い声。


 平和だった。


 ダンジョンの血の匂いとは真逆。


 セレナは露店の前で立ち止まる。


「食べる?」


 串焼きだった。


 香辛料の匂いが強い。


 レインは少し迷う。


「……お金」


「私が出す」


「いや、それは」


「今日は働いた」


 セレナが二本買った。


 片方を押しつけてくる。


「食べなさい」


「……ありがとうございます」


 レインは小さく頭を下げた。


 温かい。


 肉汁が溢れる。


 美味しかった。


 セレナは自然に食べている。


 綺麗だった。


 豪快なのに汚くない。


 長い脚。


 整った横顔。


 強い女。


 周囲の視線も集まる。


 男も女も振り返る。


 当然だった。


 セレナは目立つ。


 S級。


 美女。


 有名人。


 その隣。


 レインは少し縮こまる。


 黒髪。


 陰気。


 細身。


 目つきも暗い。


 周囲の視線が時々刺さる。


「あれ誰?」


「新しい男?」


「似合わなくない?」


 小声。


 でも聞こえる。


 レインは俯いた。


 慣れている。


 昔からだ。


 気持ち悪い。


 暗い。


 不気味。


 役立たず。


 何度も言われた。


 今さら傷つかない。


 ……いや。


 少し傷つく。


 隣がセレナだから余計に。


 セレナは強くて綺麗で。


 自分はみっともない。


 並ぶほど差が見える。


「レイン」


「……はい」


「顔」


 セレナが言う。


「沈んでる」


「別に」


「嘘」


 レインは黙る。


 セレナは串焼きを食べ終え、小さく息を吐いた。


「気にした?」


「……」


「周り」


 レインは答えられなかった。


 図星だった。


 セレナは少し考える。


 それから歩き出した。


「ついてきて」


「え?」


「いい場所ある」


 連れて行かれたのは、王都外れの小さな甘味屋だった。


 木造。


 古い店。


 人も少ない。


 甘い匂いがする。


 セレナは迷わず席へ座った。


「二つ」


 慣れていた。


 店主も笑う。


「また来たのかい」


「悪い?」


「いや、珍しく機嫌良さそうだ」


 セレナは少しだけ目を逸らした。


 数分後。


 運ばれてきたのは焼き菓子だった。


 甘い香り。


 レインは少し驚く。


「……好きなんですね」


「悪い?」


「いや」


 セレナは甘味を口へ運ぶ。


 少しだけ幸せそうだった。


 戦場の顔じゃない。


 年上の女性の顔。


 レインはそれを見るのが好きだった。


「レイン」


「はい」


「さっきの話だけど」


 レインの肩が少し強張る。


 セレナは頬杖をついた。


「自分が釣り合わないとか考えてる?」


 レインが固まる。


 図星すぎた。


 セレナはため息をつく。


「分かりやすい」


「……すみません」


「だから謝らない」


 セレナは静かにレインを見る。


「ねえ」


「はい」


「私、そんな立派に見える?」


 レインは即答した。


「見えます」


「そう」


 セレナは少し笑う。


「でもね」


 焼き菓子を指で割る。


「私は結構、失敗してる」


「……」


「男を見る目もなかったし」


「利用もされた」


「仲間も死なせた」


「弟子も守れなかった」


 静かな声だった。


「綺麗な人間じゃない」


 レインは黙る。


 セレナは続ける。


「強いから幸せってわけでもない」


「むしろ逆」


 窓の外を見る。


「強いと、背負う」


「前に立つ」


「死ぬ役を引き受ける」


 レインはセレナの横顔を見る。


 綺麗だった。


 でも少し寂しそうだった。


「だからね」


 セレナはレインを見る。


「隣にいる人間に、完璧なんて求めてない」


 レインの胸が少し痛む。


「でも僕」


「弱い」


 即答だった。


 レインは言葉を失う。


 セレナは続ける。


「怖がる」


「震える」


「吐きそうになる」


「すぐ顔青くなる」


「……」


「でも逃げない」


 レインが目を見開く。


「そこ、私は結構好き」


 心臓が止まりそうになる。


 セレナは平然としている。


 本当に自然に言う。


 レインだけが勝手に苦しくなる。


「あと」


 セレナは少し笑う。


「ご飯美味しい」


「……そればっかり」


「重要」


 レインは困った顔をした。


 セレナはその顔を見ると少し安心する。


 年下。


 不器用。


 弱い。


 でも。


 一緒にいると、呼吸が楽だった。


 戦場じゃなくなる。


 それが心地よかった。


 レインは小さく口を開く。


「……でも」


「うん?」


「やっぱり、届かないって思います」


 セレナは静かに聞く。


「セレナさん、強すぎるから」


 レインは俯く。


「僕なんかじゃ」


 その瞬間。


 セレナの指が額へ当たった。


 軽く弾く。


「痛っ」


「卑下しすぎ」


 セレナは呆れた顔をした。


「届く届かないって」


「勝手に決めるの、失礼」


「……え?」


「私が決める」


 レインが固まる。


 セレナは少しだけ笑った。


「今、隣に置いてるのは私」


 その言葉が胸へ落ちる。


 温かい。


 苦しい。


 嬉しい。


 全部一緒に来る。


 レインは何も言えなくなった。


 セレナは焼き菓子を食べる。


 少し幸せそうに。


 レインはそんな横顔を見つめる。


 届かない。


 まだ遠い。


 でも。


 この人が隣にいていいと言うなら。


 もう少しだけ。


 頑張ってみたいと思えた。












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