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28歳の最強お姉さん冒険者は、自己肯定感ゼロの俺を放っておけない  作者: 慈架太子


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63:届かない

 朝の空気は冷たかった。


 昨夜の雨が石畳へ残り、王都の通りには白い靄が薄く漂っている。


 宿屋の裏庭。


 まだ人も少ない時間。


 レインは木剣を握っていた。


 呼吸が白い。


 腕が重い。


 肩が痛い。


 それでも振る。


 一回。


 また一回。


 足運び。


 踏み込み。


 振り下ろし。


 戻す。


 繰り返し。


 地味だった。


 華やかさなんてない。


 S級冒険者のような迫力もない。


 速さもない。


 強さもない。


 あるのは、必死さだけだった。


 セレナは少し離れた場所から見ている。


 壁に背を預け、腕を組んでいた。


 銀髪が朝靄に溶ける。


 静かな視線。


 レインは気づいていた。


 見られている。


 だから余計に手を抜けなかった。


 昨日の言葉が頭に残っている。


『嫉妬するくらいには、ちゃんと男』


 思い出すだけで顔が熱くなる。


 セレナは時々、妙に距離が近い。


 自然に言う。


 自然に触れる。


 自然に隣へ来る。


 それがレインには危険だった。


 心臓が持たない。


 木剣を振る。


 呼吸が乱れる。


 身体はまだ追いついていない。


 討伐。


 連携。


 無限魔力。


 急激な成長。


 それらに筋肉も骨も対応しきれていない。


 痛む。


 軋む。


 それでも止まれない。


 止まったら、置いていかれる気がした。


「レイン」


 セレナが呼ぶ。


 レインが振り返る。


「はい」


「肩」


「……え?」


「上がってる」


 セレナは近づいてくる。


 レインの身体が少し強張る。


 でも逃げない。


 最近は少しだけ慣れた。


 セレナはレインの後ろへ回る。


「力入りすぎ」


 肩へ手を置く。


 大きな手。


 温かい。


「剣ってね」


 セレナは静かに言う。


「力だけじゃ振れないの」


 レインは黙って聞く。


「速く振ろうとするほど、身体は固くなる」


「固くなると遅れる」


「遅れると死ぬ」


 セレナはレインの腕を軽く動かした。


「もっと脱力」


「……難しいです」


「知ってる」


 少し笑う。


「あなた、ずっと緊張してるから」


 レインは何も言えなかった。


 本当だった。


 昔からだ。


 家でも。


 外でも。


 人の前でも。


 常に身体へ力が入っていた。


 怒鳴られるかもしれない。


 殴られるかもしれない。


 否定されるかもしれない。


 そういう恐怖が抜けない。


 セレナはそれを理解している。


 無理に治そうとしない。


 ただ少しずつ教える。


「ほら」


 セレナが木剣を取る。


 軽く構える。


 その瞬間。


 空気が変わった。


 静かな圧。


 洗練された重み。


 何もしていないのに強い。


 レインは思わず息を呑む。


 セレナは木剣を振った。


 速い。


 でも力んでいない。


 流れるようだった。


 無駄がない。


 剣が空気へ溶けるみたいに自然だった。


「……すごい」


 レインが呟く。


 セレナは木剣を戻す。


「まだまだ」


「いや、でも」


「私から見れば遅い」


 そう言って笑う。


 レインは黙る。


 届かない。


 本当に。


 目の前の人が遠すぎる。


 強い。


 綺麗。


 完成されている。


 自分とは違う。


 セレナは木剣を返した。


「やってみて」


「……はい」


 レインは構える。


 深呼吸。


 肩の力を抜く。


 振る。


 さっきより少しだけ軽い。


 でも。


 まだ違う。


 セレナには届かない。


 何もかも。


 剣も。


 経験も。


 人としても。


 レインの胸が少し苦しくなる。


 木剣を握る手に力が入る。


 その時だった。


「また考え込んでる」


 セレナが言う。


 レインが顔を上げる。


「顔に出てる」


「……すみません」


「謝らなくていい」


 セレナはレインを見る。


 真っ直ぐ。


「何考えてた?」


 レインは少し迷った。


 でも、最近は前より話せる。


「……届かないなって」


「何に?」


「全部です」


 声が小さい。


「セレナさんに」


 セレナが少し目を細める。


 レインは俯いた。


「強さも」


「経験も」


「余裕も」


「僕、全然で」


 木剣を握る。


「子供みたいで」


 静かな朝。


 遠くで鐘が鳴る。


 セレナはしばらく黙っていた。


 それから、小さく息を吐く。


「レイン」


「……はい」


「あなた、勘違いしてる」


 レインが顔を上げる。


「私、別に完成してない」


「え……」


「今でも怖いし」


「失敗するし」


「夜眠れない時もある」


 セレナは空を見る。


「仲間を失った夢、まだ見る」


 レインは黙る。


「強い人ってね」


 セレナは静かに言う。


「怖がらない人じゃない」


「怖くても立つ人」


 レインの胸が少し熱くなる。


 セレナは続ける。


「それに」


 少し笑う。


「私は二十八歳」


「……はい」


「十年近く戦ってる」


「あなたは二十歳」


「……」


「比べる方がおかしい」


 レインは言葉に詰まる。


 セレナは木剣の先を軽く叩いた。


「届かなくて当然」


「今はね」


 その声は優しかった。


「でも」


 セレナの目が細くなる。


「あなた、伸び方が異常なのよ」


「……え?」


「普通の新人なら、《大喰らい》の時点で死んでる」


「……」


「連携もできない」


「核も見抜けない」


「恐怖で動けなくなる」


 セレナは真っ直ぐレインを見る。


「あなたは震えながら前へ出た」


 レインの喉が詰まる。


 褒められるのは苦手だった。


 信じられないから。


「だから」


 セレナは少し笑う。


「そのうち届くかもね」


「……」


「私にも」


 レインの心臓が強く鳴る。


 朝の冷たい空気なのに、顔が熱い。


 セレナはそれを見て笑った。


「また赤い」


「……セレナさんのせいです」


「私?」


「普通にそういうこと言うから」


「本音だから」


 レインは完全に黙った。


 弱い。


 こういうのに本当に弱い。


 セレナは楽しそうだった。


 その時だった。


 宿屋の表から騒ぎ声が聞こえた。


「おい!」


「誰か来てくれ!」


「怪我人だ!」


 セレナの顔が変わる。


 一瞬で戦場の顔になる。


 レインも反応した。


 二人は走る。


 宿屋の前。


 そこには血だらけの男がいた。


 冒険者だ。


 腕が裂けている。


 呼吸も荒い。


「ダンジョンで……!」


「仲間がまだ中に……!」


 周囲がざわつく。


 セレナが即座に膝をつく。


「階層は?」


「第七……!」


「魔物は?」


「影狼……群れだ……!」


 セレナの目が鋭くなる。


 危険な魔物だった。


 素早い。


 連携する。


 新人ではまず勝てない。


 セレナが立ち上がる。


「レイン」


「はい」


「準備」


 迷いがない。


 レインの心臓が鳴る。


 怖い。


 また死地だ。


 また危険だ。


 でも。


 レインは頷いた。


「行きます」


 セレナが一瞬だけ目を細める。


 そして小さく笑った。


「うん」


 短い返事。


 それだけだった。


 でも。


 その「うん」が、レインには少し嬉しかった。


 届かない。


 まだ遠い。


 でも。


 少しずつ。


 ほんの少しずつ。


 隣へ近づいている気がした。












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