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28歳の最強お姉さん冒険者は、自己肯定感ゼロの俺を放っておけない  作者: 慈架太子


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60:守られるだけじゃない

 雨だった。


 灰色の雲が王都の空を覆い、細かな雨粒が石畳を静かに濡らしていく。


 討伐から三日。


 《大喰らい》を倒した功績で、王都の空気は騒がしかった。


 酒場では噂が飛び交う。


「S級の《紅蓮》セレナがまた災害級を落とした」


「いや、今回は新人がいたらしいぞ」


「新人?」


「黒髪の気味悪い男だって話だ」


「でも、セレナと並んで戦ったとか」


 誰も信じていない。


 信じられるわけがない。


 新人がS級の横で生き残るだけでも異常だ。


 しかも連携した。


 核を見抜いた。


 勝利に貢献した。


 そんな話、普通なら笑い話だった。


 けれど。


 現実に起きた。


 その本人であるレインは、今も宿屋の一室で剣を握っていた。


 窓際。


 雨音。


 濡れた空気。


 木剣を振る。


 一回。


 また一回。


 汗が落ちる。


 腕が痛い。


 肩が軋む。


 それでも止まらない。


 もう何百回目かも分からない。


 討伐から戻ってから、毎日続けている。


 セレナは椅子に座り、その様子を黙って見ていた。


 銀髪を後ろで軽くまとめ、湯気の立つ紅茶を飲んでいる。


 珍しく酒ではない。


 昨日、レインが淹れた甘い茶を気に入ったからだ。


「……無理しすぎ」


 セレナが言う。


 レインは木剣を止めない。


「まだです」


「腕、震えてる」


「足りないんです」


「十分やってる」


「全然です」


 声は小さい。


 でも、以前よりはっきりしていた。


 セレナはその変化に気づいている。


 レインはまだ弱い。


 まだ未熟。


 まだ怖がっている。


 それでも。


 前より少しだけ、自分の言葉を出せるようになっていた。


 雨音が続く。


 木剣が空を切る。


 レインの息は荒い。


 身体も限界に近い。


 でも止まらない。


 セレナは静かに見つめる。


 昔、似た光景を見たことがある。


 死んだ弟子。


 才能があった少年。


 必死に追いつこうとして、無理をして、死んだ。


 その記憶が、セレナの中には今も残っている。


 だから怖い。


 レインを見ていると。


 必死すぎて。


 壊れそうで。


「レイン」


「……はい」


「休みなさい」


「まだ」


「命令」


 木剣が止まる。


 レインは俯いた。


「……すみません」


「謝らなくていい」


 セレナは立ち上がる。


 長身。


 自然と視線が上になる。


 レインは少しだけ肩を縮めた。


 昔からだ。


 誰かが近づくと、身体が勝手に警戒する。


 怒鳴られるかもしれない。


 殴られるかもしれない。


 気持ち悪がられるかもしれない。


 そういう恐怖が染みついている。


 セレナは気づいていた。


 でも触れない。


 無理に剥がそうとしない。


 ただ隣に立つ。


「座って」


「……はい」


 レインは椅子へ座った。


 セレナが濡れ布を持ってくる。


「手」


「え?」


「皮、剥けてる」


 レインは慌てて手を引っ込めようとする。


「汚いので」


「見えてる」


 セレナは強引に手を取った。


 大きい手。


 温かい。


 剣だこの多い手。


 レインの手は細く、傷だらけだった。


 セレナが眉を寄せる。


「やりすぎ」


「……」


「無理して強くなると、壊れる」


 レインは黙る。


 セレナは布で血を拭きながら、小さく息を吐いた。


「前にもいたのよ」


「え?」


「必死な子」


 静かな声だった。


「私に追いつこうとして、毎日無茶して」


 手当てを続ける。


「才能があった」


「強かった」


「優しかった」


 レインは黙って聞く。


「でも、死んだ」


 雨音だけが響く。


 セレナの横顔は静かだった。


 泣いていない。


 もう泣き尽くした人間の顔。


「守れなかった」


 小さな声。


「私がもっと早く気づいてたら、生きてたかもしれない」


 レインは何も言えなかった。


 軽い言葉を返せない。


 返してはいけない気がした。


 セレナは笑う。


 少しだけ。


「だから怖いの」


「……」


「レインが無茶すると」


 レインの胸が苦しくなる。


 セレナは強い。


 最強。


 誰よりも前に立つ人。


 でも。


 この人はずっと、失う側だった。


 守る側だった。


 だから傷だらけだった。


 レインは小さく口を開く。


「僕……」


 声が震える。


「守られてばっかりだから」


 セレナが目を向ける。


 レインは俯いたまま続ける。


「嫌なんです」


「……」


「ずっと、後ろで」


「助けられて」


「迷惑かけて」


 拳を握る。


「怖くて」


「吐いて」


「震えて」


「何もできなくて」


 喉が詰まる。


 でも。


 止めない。


「でも」


 レインはゆっくり顔を上げた。


 目はまだ弱い。


 でも。


 逃げていなかった。


「もう、守られるだけじゃ嫌なんです」


 セレナが黙る。


 レインは続ける。


「セレナさんが傷つくの、嫌なんです」


「……」


「一人で全部やるの、見てるの嫌なんです」


 言葉にするたび、胸が熱くなる。


 恥ずかしい。


 怖い。


 でも。


 本音だった。


「だから」


 レインは深く息を吸う。


「隣に立てるくらい、強くなりたいです」


 静寂。


 雨が窓を打つ音だけが響く。


 セレナはレインを見ていた。


 真っ直ぐ。


 逃げない目。


 震えているのに、逃げない。


 その姿が、胸に刺さる。


 昔の弟子とは違う。


 似ているようで違う。


 この子は。


 恐怖を抱えたまま立つ。


 強くない。


 格好良くもない。


 それでも。


 逃げない。


 セレナは小さく笑った。


「……本当に不器用」


「すみません」


「褒めてる」


 レインが困った顔をする。


 セレナはその顔を見ると、少し安心する。


 生きている。


 ちゃんとここにいる。


 それが嬉しかった。


「レイン」


「はい」


「一人で強くならなくていい」


「……え?」


「私、まだいるから」


 レインの目が揺れる。


 セレナは立ち上がる。


 窓を開けた。


 冷たい風が入る。


 雨の匂い。


 遠くで鐘が鳴る。


「強くなるなら、一緒にやりなさい」


 その言葉は静かだった。


 でも。


 レインの胸へ深く落ちる。


 一緒。


 その響きが、妙に温かかった。


 セレナは振り返る。


「あと、今日はもう素振り禁止」


「えっ」


「身体壊れる」


「でも」


「禁止」


 有無を言わせない声。


 レインは肩を落とした。


「……はい」


「代わりに飯」


「飯?」


「腹減った」


 セレナは少しだけ口元を緩める。


「昨日のスープ、美味しかった」


 レインは目を瞬かせる。


「……覚えてたんですか」


「ちゃんと覚えてる」


 セレナは椅子へ座り直す。


 長い脚を組み、頬杖をつく。


「今日は何?」


 レインは少しだけ考える。


 それから。


 本当に少しだけ。


 笑った。


「シチュー、作ります」


「いいわね」


「甘いパンも焼きます」


「最高」


 セレナが笑う。


 戦場の顔ではない。


 少しだけ柔らかい顔。


 レインは立ち上がる。


 身体は痛い。


 疲れている。


 それでも。


 足取りは、少し軽かった。


 守られるだけじゃない。


 まだ弱い。


 まだ届かない。


 でも。


 一緒に生きていけるなら。


 きっと、前へ進める。


 雨音の続く宿屋で。


 二人の距離は、また少しだけ近づいていた。












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