59:二人で勝つ
咆哮が森を揺らした。
《大喰らい》。
災害級指定。
都市一つを壊滅させた記録を持つ異常個体。
巨大な肉塊のような身体。
黒ずんだ外殻。
裂けた口内に並ぶ幾重もの牙。
そして、尽きることのない再生。
討伐隊の空気は重かった。
誰もが理解している。
あと一歩で崩れる。
誰かが倒れれば、一気に壊滅する。
そんな極限。
その最前線で。
レインとセレナは背中合わせに立っていた。
互いの呼吸が伝わる距離。
熱。
汗。
荒い息。
レインの腕は震えていた。
魔力使用過多。
筋肉疲労。
肺が痛い。
視界も少し揺れている。
それでも剣を落とさない。
背中に、セレナがいるから。
「レイン」
「はい」
「次、来る」
短いやり取り。
でも、それだけで十分だった。
もう理解している。
セレナが何を見ているのか。
どこを狙うのか。
どう動くのか。
《大喰らい》が突進した。
地響き。
木々が吹き飛ぶ。
巨大な前脚が振り下ろされる。
セレナが前へ出た。
「火装」
炎が身体を包む。
身体強化。
瞬間加速。
巨大剣が振り抜かれる。
轟音。
前脚が弾かれる。
普通の冒険者なら、それだけで全身が砕ける衝撃。
だがセレナは止まらない。
「右!」
「はい!」
レインが風魔法を展開。
「風壁!」
暴風が流れる。
巨大魔獣の体勢が僅かに崩れる。
そこへ。
セレナの追撃。
炎の斬撃。
赤い軌跡。
肉が裂ける。
黒い血が飛び散る。
討伐隊が息を呑む。
「合わせてる……」
「新人がS級と……?」
「馬鹿な……」
信じられないのも無理はない。
レインはまだ弱い。
剣技も未熟。
経験も足りない。
恐怖で震えている。
それでも。
“噛み合っていた”。
セレナが強すぎるからではない。
レインが合わせていた。
死ぬほど考え。
死ぬほど見て。
必死に追いかけている。
その積み重ねが、今ここで形になっていた。
《大喰らい》が口を開く。
黒い粘液。
腐敗臭。
「酸だ!」
騎士が叫ぶ。
レインの鑑定が走る。
軌道。
速度。
着弾地点。
「左後方二十メートル!」
「避けてください!!」
討伐隊が飛び退く。
次の瞬間。
酸が炸裂。
木々が溶ける。
地面が煙を上げる。
もし声が遅れていたら、数人は死んでいた。
騎士団長がレインを見る。
驚愕の目。
レインは気づかない。
余裕なんてない。
《大喰らい》がさらに暴れる。
再生。
肉が盛り上がる。
傷が塞がる。
セレナが舌打ちした。
「面倒ね」
疲労が見える。
肩で息をしている。
炎の出力も落ち始めていた。
レインは気づく。
セレナは強い。
でも無敵じゃない。
傷つく。
疲れる。
限界もある。
そして。
自分が支えなければ、押し切られる。
その現実が、レインを立たせていた。
「セレナさん」
「ん?」
「僕、やります」
「何を?」
「止めます」
セレナが目を細める。
「無茶よ」
「知ってます」
レインは前へ出た。
怖い。
本当に怖い。
心臓が痛い。
吐き気もする。
足だって震えている。
でも。
逃げたくなかった。
「水牢」
膨大な水が噴き出す。
暴走しかける魔力。
制御。
集中。
巨大な水流が《大喰らい》の脚へ絡みつく。
拘束。
だが一瞬。
それでも十分だった。
「セレナさん!!」
「合わせる!」
セレナが走る。
爆発的加速。
地面が砕ける。
巨大剣に炎が収束する。
赤熱。
圧縮。
超高密度魔力。
レインの鑑定が叫ぶ。
危険。
魔力過剰。
それでも。
セレナは止まらない。
「焼き切る!!」
一閃。
世界が赤く染まる。
巨大な炎の斬撃。
《大喰らい》の外殻を裂き、深く食い込む。
絶叫。
魔獣が暴れる。
拘束が千切れる。
レインの身体が吹き飛びそうになる。
「ぐっ……!」
耐える。
踏ん張る。
まだだ。
まだ終わらない。
レインは剣を握る。
震える手。
でも。
前を見た。
セレナがいる。
だから。
「風刃!」
風の刃。
未熟。
粗い。
それでも。
セレナが斬った傷口へ、正確に叩き込む。
肉が裂ける。
再生が止まる。
セレナの目が見開かれた。
「そこ見えてるの!?」
「はい!」
レインは叫ぶ。
「そこ、核です!!」
鑑定が捉えていた。
僅かな魔力の偏り。
再生の中心。
《大喰らい》の心臓核。
セレナが笑う。
獰猛な笑み。
戦場でしか見せない顔。
「最高」
次の瞬間。
セレナが飛んだ。
炎。
熱。
破壊。
巨大剣が核へ突き刺さる。
《大喰らい》が絶叫した。
森が揺れる。
暴風。
衝撃。
レインは吹き飛ばされる。
地面を転がる。
痛い。
息ができない。
それでも顔を上げる。
セレナがいた。
巨大剣を突き立てたまま。
炎を流し込み続けている。
「レイン!!」
「はい!!」
「最後、押す!」
レインは立ち上がる。
膝が笑う。
身体が限界だった。
でも。
セレナが呼んだ。
だから。
立つ。
「水蒸気爆裂!!」
超高温。
高圧。
水と火が混ざる。
暴力的な熱量。
内部爆発。
核が砕ける。
《大喰らい》の巨体が止まった。
静寂。
誰も動けない。
やがて。
巨体が崩れ落ちる。
地響き。
完全沈黙。
討伐隊が呆然とする。
終わった。
本当に。
災害級が倒れた。
二人で。
レインはその場に膝をついた。
限界だった。
吐き気。
頭痛。
全身が痛い。
涙まで出そうだった。
怖かった。
本当に怖かった。
死ぬと思った。
何度も。
でも。
逃げなかった。
セレナが近づいてくる。
血まみれ。
傷だらけ。
疲れ切った顔。
それでも。
綺麗だった。
セレナはレインの前に座り込む。
「……勝ったわね」
「はい」
レインは笑おうとして失敗する。
力が入らない。
セレナが小さく笑った。
「酷い顔」
「セレナさんもです」
「そう?」
「血だらけです」
「慣れてる」
レインは首を振る。
「慣れないでください」
セレナが少しだけ黙る。
それから。
本当に小さく。
優しく笑った。
「心配してくれるのね」
レインは言葉に詰まる。
視線を逸らす。
「……しますよ」
「どうして?」
「だって」
レインは小さく息を吐く。
「一緒に戦ったから」
その言葉を聞いて。
セレナの表情が止まった。
戦場の女。
最強の冒険者。
幸せを諦めた人。
その心に。
小さな熱が落ちる。
一緒に戦った。
たったそれだけ。
でも。
セレナには、その言葉が妙に嬉しかった。
討伐隊の歓声が遠くで上がる。
夜風が吹く。
焦げ臭い空気。
疲労。
血。
傷。
その中で。
二人は並んで座っていた。
少しだけ肩が触れる距離で。
もう。
以前みたいな遠さではなかった。




