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28歳の最強お姉さん冒険者は、自己肯定感ゼロの俺を放っておけない  作者: 慈架太子


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55:眠れない夜

 夜は静かだった。


 グランゼイルの宿屋《灰鹿亭》。


 二階の角部屋。


 薄い木壁の向こうから、酔った冒険者の笑い声が遠く聞こえる。


 けれど、それも深夜になると少しずつ消えていった。


 レインは眠れなかった。


 狭い寝台。


 古い天井。


 窓の隙間から入る夜風。


 毛布を胸まで引き上げても、落ち着かない。


 頭の中で、何度もセレナの言葉が繰り返される。


『幸せになれなかった』


『私は幸せになれない人間なんだって』


 目を閉じる。


 眠れない。


 胸の奥が妙に熱い。


 苦しい。


 痛い。


 でも嫌じゃない。


 レインは寝返りを打つ。


 木の寝台が軋んだ。


「……最悪だ」


 小さく呟く。


 自分が情けない。


 セレナのことばかり考えている。


 強くて。


 綺麗で。


 怖くて。


 優しい人。


 自分なんかとは住む世界が違う。


 それなのに。


 もっと知りたいと思ってしまう。


 もっと笑ってほしいと思ってしまう。


 それが怖かった。


 レインは両手で顔を覆う。


「……気持ち悪い」


 自分でそう思う。


 二十歳にもなって。


 年上の女性に少し優しくされただけで浮かれている。


 みっともない。


 情けない。


 吐きそうだった。


 胸がざわつく。


 呼吸が浅い。


 落ち着かない。


 昔からそうだった。


 人と近づくのが怖い。


 嫌われるのが怖い。


 期待されるのが怖い。


 だから静かに生きてきた。


 本を読んで。


 一人で剣を振って。


 誰にも見つからないように。


 役に立たない人間として。


 目立たないように。


 でも。


 セレナは見ていた。


 小さな努力。


 震え。


 恐怖。


 逃げないこと。


 全部。


 ちゃんと見ていた。


 レインは深く息を吐く。


 窓の外を見る。


 月が綺麗だった。


 遠くで雨の匂いがした。


 その時。


 廊下で小さな足音がした。


 レインは身体を起こす。


 こんな時間に誰だろう。


 少しして。


 控えめなノック。


「……起きてる?」


 セレナの声だった。


 レインの心臓が跳ねる。


「は、はい!」


 慌てて返事をする。


「ごめん、起こした?」


「い、いえ……!」


 レインは急いで扉を開けた。


 そこにセレナがいた。


 白いシャツ一枚。


 髪を軽くまとめている。


 酒は飲んでいないらしい。


 少し疲れた顔をしていた。


「眠れなくて」


 そう言って苦笑する。


「レインも?」


「……はい」


「やっぱり」


 セレナは小さく笑った。


「少し付き合う?」


 レインは頷く。


 二人は宿屋の裏庭へ出た。


 夜風が冷たい。


 木箱。


 井戸。


 洗濯用の桶。


 静かな空間。


 セレナは壁にもたれた。


「寒い?」


「大丈夫です」


「嘘」


「……少しだけ」


「ほら」


 セレナは自分の外套をレインに投げる。


 まだ温かい。


「ありがとうございます」


「風邪引かれると困る」


 レインは外套を抱える。


 女性の匂いがした。


 少し甘い。


 落ち着く匂い。


 心臓がまたうるさくなる。


 セレナは夜空を見る。


「昔ね」


「はい」


「怖い夢、よく見た」


 レインは静かに聞く。


「死んだ仲間の夢」


「助けられなかった人」


「燃える村」


「血」


「泣き声」


 淡々と語る。


 でも。


 慣れてしまった人間の話し方だった。


「強くなれば消えると思ってた」


「でも消えなかった」


「むしろ増えた」


 レインは何も言えない。


「S級になるとね」


「みんな期待する」


「死なないと思われる」


「守れて当然って顔される」


 セレナは苦笑した。


「無理なのに」


「神様じゃない」


 夜風が銀髪を揺らす。


「それでも前に出る」


「誰かがやらないと、死ぬから」


「だから戦う」


「気づいたら、十年」


 レインはその時間を想像する。


 十年。


 血と死の中で生き続ける。


 普通の人間なら壊れている。


「……疲れませんか」


「疲れる」


 即答だった。


「すごく」


 セレナは笑う。


 少し寂しそうに。


「朝起きるだけで疲れる日ある」


「剣持つの嫌になる日もある」


「でも」


「やめたら、もっと怖い」


「怖い?」


「何も守れなくなる」


 レインは拳を握る。


 分かる気がした。


 弱い自分。


 役に立たない自分。


 何も守れない恐怖。


 レインは小さく呟く。


「……僕も」


「ん?」


「強くなりたいです」


 セレナは静かに見る。


「誰か守れるくらい」


「怖くても」


「逃げないくらい」


 レインは俯く。


「今は全然駄目ですけど」


「弱いし」


「気持ち悪いし」


「役に立たないし」


「吐くし」


「震えるし」


「情けないですけど」


 セレナは少し眉を寄せた。


「レイン」


「はい」


「自分のこと、悪く言いすぎ」


「でも事実です」


「違う」


 静かな声だった。


「弱いのは事実」


「怖がりも事実」


「でも、それだけじゃない」


 セレナは真っ直ぐ言う。


「怖いのに前に出る人間」


「私は知ってる」


「それ、本当に少ない」


 レインは息を呑む。


「大体の人は逃げる」


「逃げるの普通」


「でもあなた、最後だけは残る」


「それ、才能」


 レインは首を振る。


「そんな立派なものじゃ……」


「立派じゃなくていい」


 セレナは近づく。


 長身の影。


 強い人の気配。


 でも怖くなかった。


「レイン」


「はい」


「あなた、自分が嫌い?」


 レインは少し黙る。


 答えは簡単だった。


「……はい」


 セレナは目を細めた。


「私も」


 レインは驚く。


「セレナさんが?」


「嫌い」


 笑いながら言う。


「もっと上手くできた」


「もっと守れた」


「もっと幸せになれた」


「そう思うこと、いっぱいある」


 レインは静かに聞く。


「でも」


「最近ちょっとだけ思う」


「全部駄目じゃなかったかもって」


「……どうしてですか」


 セレナは少し困った顔をした。


「分からない」


「でも」


「あなたと飯食べたり」


「朝稽古したり」


「くだらない話したり」


「そういう時間」


「嫌じゃない」


 レインの胸が熱くなる。


 夜風が冷たいのに、身体は熱い。


「……僕も」


 自然に言葉が出た。


「セレナさんといる時間、好きです」


 言ってしまってから、レインは固まる。


 顔が真っ赤になる。


「す、すみません……!」


「なんで謝るの」


「いやその……!」


 セレナは少し笑った。


 柔らかい笑みだった。


「レイン」


「はい……」


「そういうの」


「反則」


「……え」


「年上に効く」


 レインは完全に固まる。


 頭が真っ白。


 セレナは笑っていた。


 本当に楽しそうに。


 レインは初めて見た気がした。


 この人が、こんな風に笑うところを。


 少しして。


 セレナは空を見る。


「眠れない夜って」


「悪くないね」


 レインも空を見る。


 月が綺麗だった。


 静かな夜。


 冷たい風。


 誰もいない裏庭。


 ただ二人だけ。


「……はい」


 レインは小さく頷く。


 その夜。


 二人は長い時間、話した。


 昔読んだ本。


 嫌いな食べ物。


 甘い菓子。


 失敗した依頼。


 変な冒険者。


 くだらない話。


 本当にくだらない話。


 でも。


 それは確かに。


 傷だらけの二人が、生きている時間だった。







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