53:死んだ仲間
朝は静かだった。
昨夜の雨が石畳を濡らし、街全体に薄い湿り気を残している。
グランゼイル西区画。
冒険者向け宿屋《灰狼亭》。
二階の小部屋で、レインは目を覚ました。
窓から差し込む光は弱い。
空はまだ曇っているらしい。
毛布の温もりが少しだけ残っていた。
身体が重い。
昨日の夜更かし。
酒。
そして、セレナの昔話。
頭の奥に残っている。
死んだ弟子。
期待しないようにしていたこと。
強い人間ほど、弱い側を置いていくという言葉。
レインはゆっくり身体を起こした。
寝台が軋む。
隣を見る。
もうセレナはいなかった。
長椅子の上に酒瓶だけが残っている。
空だ。
「……朝早いな」
レインは呟いた。
窓を開ける。
冷たい風。
濡れた空気。
遠くから市場の声が聞こえる。
パン屋。
野菜売り。
荷馬車。
人の生活音。
この街は、朝から動いている。
レインは着替え、剣を腰に差した。
顔を洗い、一階へ降りる。
食堂にはすでに冒険者が集まっていた。
酔い潰れた男。
朝から肉を食う大男。
依頼書を確認する斥候。
いつもの景色。
その奥。
窓際にセレナがいた。
長い銀髪。
黒い上着。
大型剣を壁へ立てかけている。
朝食中だった。
焼いたパン。
卵。
スープ。
そして大量の肉。
「遅い」
「すみません」
「寝れてたならいい」
レインは向かいに座った。
店主がパンとスープを持ってくる。
「兄ちゃん、最近顔色良くなったな」
「え?」
「前は死体みたいだったぞ」
周囲が笑う。
レインは困ったように頭を下げた。
セレナは少しだけ口元を緩める。
「確かに」
「そんなにですか……」
「かなり」
レインは少し落ち込んだ。
でも。
以前より、周囲の言葉に潰れなくなっている。
それは確かだった。
「今日どうするんですか」
「昼まで情報集め」
「昨日の大型魔物」
「まだ詳細足りない」
レインは頷いた。
巨大魔物討伐依頼。
北部山岳地帯。
被害拡大中。
冒険者数組が接触。
帰還率は低い。
危険度B+。
本来なら新人が関わる依頼ではない。
でもセレナは行く。
そしてレインも同行している。
「怖い?」
セレナが聞く。
レインは少し考えた。
「……はい」
「正直でいい」
「でも」
レインはスープを飲む。
「前よりは、逃げたくないです」
セレナは静かに見ていた。
「理由は?」
「分かりません」
「でも」
「何もできないまま終わるの、悔しいから」
セレナは小さく頷いた。
「それで十分」
朝食を終えた後。
二人は街へ出た。
雨上がりの石畳。
空気は冷たい。
市場通りには食材が並んでいる。
香草。
燻製肉。
川魚。
干し果実。
グランゼイルは巨大都市だ。
ダンジョンだけで成り立っているわけではない。
冒険者が持ち帰る素材。
魔物肉。
鉱石。
魔石。
それを加工する職人。
流通させる商人。
料理人。
宿屋。
この街全体が、ダンジョンを中心に回っている。
セレナは干し肉を買った。
「保存食ですか」
「山入るなら必要」
「料理、覚える?」
「え?」
「生き残るなら大事」
レインは少し驚く。
「セレナさん、料理するんですか」
「最低限」
「意外です」
「失礼」
「すみません」
セレナは小さく笑った。
「昔は仲間に作ってた」
その言葉に、レインは少し止まる。
「……仲間」
「いた」
セレナは肉屋の前で立ち止まった。
少しだけ視線が遠くなる。
「四人」
「馬鹿な槍使い」
「口悪い魔術師」
「酒癖終わってる盾役」
「あと、私」
懐かしそうだった。
「強かったんですか」
「強かった」
「全員、A級以上」
「負けると思ってなかった」
セレナは空を見る。
「でも死んだ」
静かな声だった。
レインは何も言えない。
「ダンジョン深層」
「判断ミス」
「逃げ遅れ」
「一人死んで」
「庇ってもう一人死んで」
「最後に盾役が残った」
市場の喧騒が遠く感じた。
「私を逃がした」
「……」
「笑ってた」
「『お前だけでも生きろ』って」
セレナは苦笑した。
「嫌い」
「そういう台詞」
レインは胸が痛くなる。
セレナは強い。
最強クラス。
誰よりも現実的。
でも。
だからこそ、失ったものが重い。
「その後」
「私だけ生き残った」
少し沈黙。
「生き残るって、綺麗じゃない」
セレナは肉屋の包みを受け取る。
「いっぱい残る」
「死んだ顔」
「声」
「後悔」
「選ばなかった未来」
レインは隣を歩きながら、小さく聞く。
「……今でも思い出しますか」
「毎日」
即答だった。
「忘れたら終わり」
「仲間だったから」
レインは少し俯いた。
セレナは気づく。
「重かった?」
「いえ」
「でも」
レインはゆっくり言う。
「セレナさんが、ちゃんと悲しんでる人なんだって分かりました」
セレナは止まる。
その目が少しだけ揺れた。
「……変なこと言う」
「すみません」
「謝らなくていい」
市場を抜ける。
冒険者ギルドへ向かう。
途中、何人もの冒険者がセレナへ視線を向けていた。
畏怖。
憧れ。
警戒。
色々混ざっている。
S級。
それだけで世界が変わる。
レインは隣を歩きながら思う。
本当に釣り合わない。
自分なんかが、隣にいていい人じゃない。
でも。
それでも。
一緒に歩きたいと思ってしまう。
ギルドに着く。
中は騒がしかった。
受付前。
酒臭い男たち。
傷だらけの冒険者。
怒号。
笑い声。
依頼掲示板。
その空気の中。
レインは一瞬だけ立ち止まる。
苦手だ。
人混み。
視線。
大声。
身体が固まる。
セレナは気づいていた。
何も言わず、少し前へ出る。
自然に人の流れを遮る。
レインの前に壁を作る。
それだけで少し楽になった。
「……ありがとうございます」
「慣れないなら使えるもの使う」
セレナは受付嬢へ声をかける。
大型魔物の追加情報。
生存者の証言。
地形。
被害。
淡々と確認していく。
強い。
ちゃんと準備している。
だから生き残ってきた。
レインはその姿を見ていた。
「レイン」
「はい」
「あなたも聞く」
「覚える」
「はい」
「生き残るなら情報は武器」
レインは頷いた。
その時だった。
近くのテーブルから声が飛ぶ。
「おいおい」
「セレナさん」
男が笑う。
中堅冒険者だ。
筋肉質。
短剣使い。
「まだ新人連れてんのかよ」
周囲が少し笑う。
「その坊主、荷物持ちにもならねえだろ」
レインの肩が揺れる。
怖い。
視線。
嘲笑。
胃が痛い。
でも。
セレナは振り返らなかった。
「関係ない」
「いやあるだろ」
「足手まとい抱えて死ぬぞ」
男は笑う。
「昔みたいによ」
空気が止まった。
周囲も静かになる。
レインは分かった。
言ってはいけない言葉だった。
セレナの目が冷える。
温度が消える。
「……三秒」
「は?」
「消えなさい」
男が顔を引きつらせた。
圧力。
殺気。
空気が変わる。
周囲の冒険者まで息を呑む。
「わ、悪かったって」
「二」
「おい待て」
「一」
男は逃げた。
周囲も静かになる。
セレナは何事もなかったように受付へ戻った。
でも。
レインには分かった。
少しだけ。
怒っていた。
それも、自分のためではなく。
死んだ仲間を笑われたから。
ギルドを出た後。
レインは小さく言う。
「……すみません」
「なんで謝るの」
「僕のせいで」
「違う」
セレナは即答した。
「死んだ仲間を笑う人間が悪い」
その声は静かだった。
でも強かった。
「レイン」
「はい」
「死んだ人間を雑に扱う人、嫌い」
「……はい」
「だからあなたは、そのままでいい」
レインは言葉を失う。
優しかった。
派手じゃない。
甘い台詞でもない。
でも。
ちゃんと守ってくれている。
その事実が胸に残る。
空はまだ曇っていた。
湿った風が吹く。
街は騒がしい。
人は死ぬ。
仲間も死ぬ。
強くても。
才能があっても。
それでも。
生きている人間は、また歩かなければいけない。
セレナは前を向いていた。
傷を抱えたまま。
失ったまま。
それでも歩いている。
レインは、その背中を見つめる。
強いと思った。
綺麗だと思った。
そして。
少しだけ。
隣に並びたいと思ってしまった。




