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28歳の最強お姉さん冒険者は、自己肯定感ゼロの俺を放っておけない  作者: 慈架太子


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50:距離が縮まる音

 雨の音がしていた。


 宿屋の窓を細かく叩く春雨。


 深夜を過ぎたグランゼイルは、昼間より静かだった。


 それでも完全には眠らない。


 遠くでは荷馬車が走り、鍛冶屋の炉は赤く燃えている。


 ダンジョン都市は、止まれば死ぬ。


 食料も。


 物流も。


 冒険者も。


 全部が流れ続けている。


 宿屋《白梟亭》の二階。


 小さな共同洗濯場に、灯りが一つだけ点いていた。


 レインは桶の前で黙々と布を洗っている。


 訓練着。


 シャツ。


 包帯。


 血と泥と汗が染みついていた。


 指先が痛い。


 昼の依頼。


 夜の特訓。


 そして素振り。


 身体は限界に近い。


 肩は熱を持ち、腕は鉛みたいに重かった。


 でも、止まると不安になる。


 積まないと置いていかれる。


 セレナの隣は遠い。


 遠すぎる。


 だから。


 少しでも。


「……また無理してる」


 後ろから声。


 レインは肩を跳ねさせた。


「せ、セレナさん」


 振り返る。


 薄い部屋着姿だった。


 銀髪が少し濡れている。


 風呂上がりらしい。


 普段の戦闘服と違い、妙に距離が近く感じる。


 長い脚。


 緩く開いた襟元。


 鎖骨。


 レインは慌てて視線を逸らした。


「……顔赤い」


「お風呂、熱かったので」


「あなたが?」


「……」


「不器用」


 セレナが小さく笑う。


 最近、この笑い方が増えた。


 静かな笑い。


 昔はもっと鋭かったのかもしれない。


 でも今は少し柔らかい。


「洗濯くらい明日でいい」


「でも汚れ落ちなくなるので」


「真面目」


 セレナは隣へ座った。


 距離が近い。


 石鹸の匂い。


 微かな甘い香り。


 酒じゃない。


 女の人の匂いだった。


 レインは桶に集中する。


 集中しないと心臓が危ない。


「貸して」


「え?」


「包帯」


 レインは手を止めた。


 セレナが彼の左手を掴む。


「……あ」


 破れていた。


 掌。


 また皮が剥けている。


「無茶しすぎ」


「すみませ――」


「禁止」


 レインは口を閉じた。


 セレナは慣れた手つきで傷を洗う。


 痛い。


 でも優しい。


「今日は何本」


「……八百くらいです」


「くらい、じゃない」


「数えてるでしょ」


「……八百四十三」


「馬鹿」


 呆れた声。


 でも怒ってはいない。


「身体壊したら終わり」


「強くなる前に潰れる」


 レインは俯いた。


「怖いんです」


 ぽつりと出た。


「……置いていかれるの」


 セレナの手が少し止まる。


「皆、強いから」


「僕だけ遅くて」


「弱くて」


「足引っ張って」


「だから積まないと」


 包帯が巻かれる。


 丁寧に。


 痛まないように。


「レイン」


「はい」


「強くなるのは大事」


「でも」


「壊れたら意味ない」


 レインは何も言えない。


 頭では分かっている。


 でも焦る。


 セレナが遠いから。


 自分が弱すぎるから。


「あなたね」


 セレナが少し困った顔をした。


「頑張りすぎる」


「……」


「死ぬタイプ」


 レインは苦笑した。


 否定できない。


 昔からそうだった。


 役に立たないから。


 せめて頑張るしかない。


「……セレナさんは」


「ん?」


「どうして、そこまで分かるんですか」


 セレナは少し黙った。


 雨音。


 静かな夜。


「昔、いたから」


「あなたみたいなの」


「……」


「真面目で」


「弱くて」


「無理して」


「置いていかれるの怖がって」


「必死に積む子」


 レインは察した。


「弟子、ですか」


 セレナは頷かなかった。


 でも否定もしない。


「守れなかった」


 その声は小さい。


 雨に溶けそうなほど。


「頑張る子だった」


「才能もあった」


「でも、自分を削りすぎた」


 レインは何も言えなかった。


 セレナの横顔が少し遠い。


 普段は強い人。


 誰より前を向く人。


 でも今は。


 少しだけ寂しそうだった。


「……だから、見てる」


「無理してないか」


「壊れそうじゃないか」


「死に急いでないか」


 レインは胸が苦しくなった。


 この人は。


 ずっと背負ってる。


 仲間。


 弟子。


 裏切り。


 死。


 全部。


 強いから立っているだけで、本当は傷だらけなんだ。


「……僕」


「うん」


「死にたくないです」


 セレナが少し目を開く。


「怖いし」


「情けないし」


「逃げたい時もあるけど」


「……でも」


「セレナさんと、もっと」


 言葉が詰まる。


 恥ずかしい。


 でも。


「……一緒にいたいです」


 静かになった。


 雨音だけ。


 レインは俯く。


 何を言ってるんだ。


 重い。


 気持ち悪い。


 距離感を間違えた。


 でも。


 セレナは笑わなかった。


「それ」


 小さな声。


「反則」


「……え?」


 セレナは少し顔を逸らした。


 珍しく、困った顔。


「年上相手に無防備すぎ」


「……?」


「自覚ないの面倒」


 レインは意味が分からず固まる。


 セレナは深く息を吐いた。


「レイン」


「はい」


「あなた、たぶん勘違いしてる」


「……?」


「私はそんな綺麗な人間じゃない」


 雨が強くなる。


 窓を叩く音。


「強い人間はね」


「たくさん切り捨ててる」


「守れなかった人間もいる」


「見捨てた命もある」


「だから幸せになっちゃいけないって、思う時がある」


 レインは首を振った。


「でも」


「セレナさん、優しいです」


「……優しくない」


「優しいです」


「頑固」


 少し笑う。


 その笑顔は苦かった。


「僕」


 レインは言った。


「セレナさんが笑ってる方が好きです」


 沈黙。


 長い。


 レインは死にたくなった。


 何を言ってるんだ。


 本当に。


 でも。


「……本当に」


 セレナが小さく笑った。


「困るくらい真っ直ぐ」


 包帯を結び終える。


 そのまま。


 彼女の指が、少しだけレインの手に残った。


 ほんの一瞬。


 でも熱かった。


「もう洗濯終わり」


「寝る」


「明日も朝稽古」


「……はい」


 立ち上がる。


 セレナも立つ。


 廊下へ向かう。


 並んで歩く。


 狭い廊下。


 肩が少し触れる。


 それだけでレインの心臓は跳ねた。


「……レイン」


「はい」


「最近」


「前より、ちゃんと目見るようになった」


 レインは少し固まる。


「え」


「前はずっと下向いてた」


「今は時々、こっち見る」


「……」


「成長」


 セレナが笑う。


 静かに。


 柔らかく。


 レインは少しだけ息を止めた。


 距離が縮まる時って。


 たぶん。


 大きな音なんかしない。


 剣みたいに派手でもない。


 魔法みたいに眩しくもない。


 ただ。


 雨の夜。


 同じ場所で。


 一緒に洗濯して。


 傷に包帯を巻いて。


 他愛ない会話をして。


 少しずつ。


 少しずつ。


 近づいていく。


 その音だけが、静かに響いていた。







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