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28歳の最強お姉さん冒険者は、自己肯定感ゼロの俺を放っておけない  作者: 慈架太子


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5:逃げ遅れた少年

 夜のレグナードは冷えていた。


 都市国家を囲む巨大外壁の上では、夜警の鐘が一定の間隔で鳴り続けている。遠くでは、魔物避けの篝火が赤く揺れ、冬の風が石畳を撫でていた。


 冒険者ギルドの喧騒も、昼に比べればかなり静かだ。


 酒場の奥では、酔った冒険者たちが今日の戦果を語り合っている。


 誰が何階層まで潜った。

 誰が希少鉱石を見つけた。

 どこの商会が新しい保存食の流通を始めた。


 レグナードでは、食と物流は命そのものだった。


 ダンジョンがある以上、人は集まる。

 人が集まれば、食料が動く。

 食料が動けば、金が流れる。


 その流れの上に、国家が立っていた。


 そして、その巨大な流れの底辺にいるのが、レインだった。


「……」


 ギルド裏手の水場。


 レインは一人、剣を洗っていた。


 安物の片手剣。

 刃は欠け、柄も擦り減っている。


 新人用の粗悪品。


 今日の戦闘で付着したゴブリンの血を、冷たい水で流していく。


 だが、血は落ちても感触が消えない。


 肉を斬った感覚。

 骨に引っかかった感触。

 喉を裂くような悲鳴。


「……っ」


 手が止まる。


 震えていた。


 レインは唇を噛む。


 情けない。


 ゴブリン三匹。


 熟練冒険者なら笑って片付ける程度の相手だ。


 それなのに、自分は死にかけた。


 怖かった。


 本当に。


 逃げたかった。


 腰が抜けそうだった。


 それでも最後だけは逃げなかった。


 逃げ遅れた、と言った方が正しいのかもしれない。


「……向いてない」


 小さく呟く。


 冷たい水が指先を流れていく。


 その時だった。


「そんな顔で剣を洗っていると、武器が可哀想よ」


 後ろから声がした。


 レインの肩が大きく跳ねる。


 振り返る。


 そこにいたのはセリナだった。


 銀髪が夜風に揺れている。


 黒いロングコート。

 長い脚。

 背中に背負われた巨大な大剣。


 酒瓶を片手に持ちながら、水場の壁へ寄りかかった。


 相変わらず綺麗だった。


 綺麗なのに、どこか疲れている。


 そのアンバランスさが、妙に目に残る。


「……すみません」


「謝らなくていいわ」


 セリナは淡々と答えた。


「新人が魔物を怖がるのは普通よ」


「でも、皆……普通に戦ってます」


「そう見えるだけ」


 セリナは酒を一口飲む。


「怖くない人間なんていないわ」


 レインは俯く。


 信じられなかった。


 この人ほど強い人でも、怖いと思うのか。


「今日は吐かなかったのね」


「……え」


「昨日は盛大だったでしょう」


 少しだけ口元が緩む。


 笑われているわけではない。


 からかわれているだけだ。


 レインは耳まで赤くなった。


「……すみません」


「だから謝らないの」


 セリナは呆れたように言った。


 その時、ギルドの正面から騒ぎ声が聞こえた。


「助けてくれ!」


 叫び声。


 複数人の足音。


 レインとセリナが同時に振り返る。


 冒険者たちが、誰かを抱えてギルドへ駆け込んできていた。


 若い男だった。


 血塗れだ。


 足が半分潰れている。


「回復術師を呼べ!」


「ダンジョン二階層で群れに遭った!」


「荷物持ちが逃げ遅れたんだ!」


 その言葉。


 レインの身体が硬直する。


 逃げ遅れた。


 その響きだけで胸が冷える。


 運ばれてきた若い冒険者は、まだ十代後半くらいだった。


 顔が青い。


 震えている。


「死にたくない……」


 その声が、やけに耳に残った。


 セリナが静かに歩き出す。


 人混みが自然に割れる。


 S級冒険者。


 その存在感だけで空気が変わる。


「どいて」


 短い一言。


 セリナは負傷者の前に膝をついた。


 潰れた足を見る。


「……骨までいってるわね」


 回復術師が慌てて魔法を展開する。


 淡い光。


 光属性の癒し。


 だが完全ではない。


 足の損傷が酷すぎる。


「ひっ……」


 若い冒険者が怯える。


 セリナはその肩を押さえた。


「落ち着きなさい」


「で、でも……っ」


「死なない」


 静かな声だった。


 不思議と逆らえない声。


「呼吸を合わせなさい」


 若い冒険者は必死に頷いた。


 レインは離れた場所から、それを見ていた。


 セリナは強い。


 戦う時だけじゃない。


 こういう時も。


 ちゃんと人を見ている。


 回復術師への指示も正確だった。


「血流を止めてから治癒」

「先に神経を繋いで」

「焦ると壊れる」


 迷いがない。


 どれだけ修羅場を見てきたのか、レインには想像もつかなかった。


 しばらくして、若い冒険者は運ばれていった。


 ギルドの空気が少し落ち着く。


 セリナは立ち上がると、軽く息を吐いた。


 その横顔が、ほんの少しだけ疲れて見えた。


「……知り合い、ですか」


 レインは気づけば聞いていた。


 セリナは少し黙る。


「昔の弟子に似てた」


「……」


「逃げ遅れて死んだ子」


 レインの胸が詰まる。


 セリナは平然としている。


 でも、その言葉は軽くなかった。


「私は強いわ」


 セリナは夜空を見る。


「でも、全員は助けられない」


 その声は静かだった。


 諦めではない。


 現実だった。


 レインは何も言えない。


 言葉が見つからない。


「だから嫌なのよ」


 セリナは苦く笑った。


「若い子が無茶するの」


 レインは視線を落とす。


 自分も、そう見えているのだろうか。


 弱くて。

 危なっかしくて。

 すぐ死にそうな新人。


「……でも」


 セリナがこちらを見る。


「あなたはまだ死んでない」


「……」


「怖がりながらでも戻ってきた」


 レインの胸が熱くなる。


「それは立派よ」


 真正面から言われる。


 誤魔化しのない声で。


 レインは困ってしまう。


 褒められることに慣れていない。


「……運が良かっただけです」


「運だけで生き残れるほど、外は甘くないわ」


 セリナはそう言うと、酒瓶を軽く振った。


「飲む?」


「……まだ無理です」


「そう」


 少しだけ笑う。


 その時だった。


 ギルドの厨房の方から、香ばしい匂いが漂ってきた。


 肉と野菜を煮込んだスープ。


 焼き立てのパン。


 夜食の時間らしい。


 冒険者たちが一斉に席へ向かっていく。


 セリナがレインを見る。


「食べるわよ」


「……え」


「今日は動いたでしょう」


「で、でも」


「痩せすぎ」


 即答だった。


 レインは少し傷つく。


 セリナは気にしない。


「細い子は、すぐ倒れるの」


 そう言って歩き出した。


 レインは慌てて後を追う。


 暖かなギルドの食堂。


 木の椅子。


 湯気の立つスープ。


 騒がしい冒険者たち。


 その中でセリナは自然に席へ座った。


 レインも向かいに座る。


 少し緊張する。


「食べなさい」


 セリナはパンを押し付けるように渡した。


 レインはおそるおそる受け取る。


 温かかった。


 スープを飲む。


 塩気が身体に染みる。


 冷え切っていた身体が少しずつ温まっていく。


「……美味しい」


「そうね」


 セリナもスープを口に運ぶ。


 静かな時間だった。


 大きな会話はない。


 でも、不思議と気まずくない。


 レインは少しだけ思う。


 こういう時間を、

 また過ごしたい、と。


 その感情が何なのかは、まだ分からない。


 ただ。


 死ぬほど怖かった今日の夜が、

 少しだけ温かかった。







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