47:木剣
木剣の音が、朝の訓練場へ乾いた音を響かせた。
カン――と軽い衝突。
次の瞬間。
「遅い」
セレナの木剣が、レインの手首を正確に打った。
「っ……!」
痺れる。
握力が抜ける。
木剣が地面へ転がった。
レインは反射的に拾おうとする。
「止まって」
静かな声。
でも逆らえない。
レインは動きを止めた。
朝日が少しずつ昇り始めている。
訓練場には他の冒険者たちの姿も増えていた。
槍。
弓。
魔法。
皆、生き残るために鍛えている。
国家都市グランゼイルでは、強さはそのまま価値だった。
ダンジョン素材。
護衛依頼。
物流管理。
食料輸送。
魔物討伐。
強い者が街を支えている。
弱ければ、仕事は減る。
金も減る。
生きる場所まで減っていく。
現実は分かりやすかった。
「拾っていい」
セレナが言う。
「でもその前に考える」
レインは息を整えた。
「……はい」
「なんで落とした?」
「……力みました」
「半分正解」
セレナは木剣を肩へ乗せる。
「本当は?」
レインは考える。
手首。
視線。
呼吸。
踏み込み。
「……怖がりました」
セレナが少しだけ目を細めた。
「そう」
「打たれるって分かった瞬間、身体が止まった」
レインは俯く。
「……はい」
「悪いことじゃない」
「でも戦場では死ぬ」
その言葉は静かだった。
だから重い。
セレナは嘘を言わない。
現実だけを見る。
「怖い時ほど前へ出る」
「下がると余計に狙われるから」
「……」
「覚えること」
レインは木剣を拾い上げる。
掌が赤くなっていた。
痛い。
でも少し嬉しかった。
剣を握っている実感がある。
「もう一回」
「はい」
構える。
呼吸。
足。
視線。
昨日より少しだけ意識できる。
踏み込む。
斬る。
受け流される。
でも。
「……今のは悪くない」
セレナが小さく言った。
胸が熱くなる。
単純だった。
褒められるだけで嬉しい。
セレナはすぐ見抜く。
「顔に出てる」
「……」
「嬉しいの分かりやすい」
「すみません」
「だから謝らない」
レインは少し困った顔になる。
セレナが笑った。
「本当に不器用」
朝の風が銀髪を揺らす。
長い脚。
細い腰。
鍛えられた身体。
強くて綺麗だった。
レインはまた視線を逸らした。
「また見てる」
「っ」
「集中」
「はい……」
周囲の冒険者たちが苦笑している。
「セレナ、完全に保護者だな」
「珍しいよな、あいつが誰か育てるの」
「男連れてる時点で事件だろ」
そんな声が聞こえる。
レインは肩を縮めた。
視線が怖い。
まだ慣れない。
セレナは気にしない。
「続ける」
「……はい」
再び木剣がぶつかる。
速い。
見えない。
でも。
前より少しだけ分かる。
セレナの剣は綺麗だった。
無駄がない。
力任せじゃない。
身体全体が繋がっている。
「……すごい」
思わず漏れる。
「何が」
「全部です」
「剣も」
「動きも」
「綺麗で」
セレナは少し黙る。
「初めて言われた」
「え?」
「大体、怖いって言われるから」
彼女は苦笑する。
確かに怖い。
圧倒的だ。
でも。
レインには、それ以上に綺麗に見えた。
「……強い人って」
レインは小さく言う。
「綺麗なんですね」
セレナが少し目を見開く。
それから、視線を逸らした。
「……朝から変なこと言う」
「すみません」
「また謝った」
でも。
彼女の耳が少し赤かった。
レインは気づかない。
そのまま木剣を握り直す。
「もう一回お願いします」
「……本当に真面目」
セレナは小さく息を吐く。
「じゃあ次」
「打ち込み百回」
「……百」
「できる?」
レインは木剣を見る。
腕はもう重い。
脚も痛い。
でも。
「……やります」
「よし」
セレナは頷いた。
「一回ずつ丁寧に」
「雑に百回やるくらいなら、綺麗に十回の方が意味ある」
「はい」
打ち込む。
一回。
二回。
三回。
腕が痛い。
息が苦しい。
汗が落ちる。
でも止めない。
セレナは横で見ていた。
細かく修正する。
「肩上がってる」
「腰落とす」
「呼吸止めない」
「前見る」
「……はい!」
その時間は、静かだった。
派手な恋愛なんてない。
告白もない。
甘い言葉も少ない。
でも。
一緒に朝を過ごす。
一緒に汗を流す。
一緒に飯を食う。
傷を手当てする。
洗濯物を干す。
そういう時間が積み重なっていく。
レインはそれを少しずつ理解していた。
セレナといると、不思議と落ち着く。
怖いのに。
緊張するのに。
一緒にいたかった。
「九十八」
「九十九」
「百っ……!」
最後の一振り。
レインはその場へ膝をついた。
「はぁ……っ……!」
呼吸が乱れる。
腕が震える。
指の感覚が薄い。
セレナは近づき、しゃがみ込む。
「立てる?」
「……たぶん」
「たぶんじゃ困る」
彼女はレインの腕を引いた。
熱い。
鍛えられた手。
しっかりしている。
レインは立ち上がる。
近い。
視線が合う。
心臓が跳ねる。
「顔赤い」
「……朝なので」
「意味分からない」
セレナが笑った。
珍しく、声を出して。
その笑顔を見た瞬間。
レインは思った。
もっと見たい。
この人の笑った顔を。
戦場じゃない場所で。
もっと。
「……なに」
「え?」
「今、変な顔してた」
「してません」
「してた」
セレナは少し楽しそうだった。
その空気が嬉しい。
訓練場の向こうでは、朝市が本格的に動き始めている。
焼き立てのパンの匂い。
スープ。
肉を焼く音。
物流馬車。
怒鳴る商人。
国家都市は今日も回っている。
食が街を支え。
冒険者が道を守り。
職人が武器を作る。
強い者だけでは世界は回らない。
でも。
強さが必要な瞬間は確かにある。
レインは木剣を握り直した。
まだ弱い。
まだ足りない。
でも。
昨日より少しだけ前へ進んでいる。
セレナはそんな小さな変化を、ちゃんと見ていた。




