39:悔しさ
地鳴りのような音だった。
二層坑道の奥。
暗闇の向こうから、巨大な何かが近づいてくる。
岩壁が震える。
天井から砂が落ちる。
討伐隊の空気が一気に張り詰めた。
「来るぞ!」
ガルムの怒声。
前衛が構える。
盾役が前へ出る。
魔術師たちが詠唱を始めた。
レインは呼吸を忘れそうになる。
怖い。
空気だけで分かる。
今までの魔物とは違う。
格が違う。
そして。
それは現れた。
巨大だった。
坑道を埋めるほどの体躯。
灰黒色の外殻。
岩を削る前脚。
無数の傷跡。
赤黒い複眼。
《グランドイーター》。
巨大坑道種。
二層主。
「っ……」
レインの喉が引きつる。
大きすぎる。
怖すぎる。
生物として理解できない。
あんなものと戦うのか。
「前衛固定!」
ガルムが吠える。
「後衛、脚狙え!」
戦闘が始まった。
火球。
矢。
風刃。
魔法が飛び交う。
前衛が激突する。
轟音。
衝撃。
火花。
セリナが踏み込む。
火属性身体強化。
銀髪が炎光に染まる。
超大型大剣が赤熱し、空気を裂いた。
一撃。
巨大な脚が吹き飛ぶ。
それでも。
グランドイーターは止まらない。
咆哮。
衝撃波。
前衛が弾き飛ばされる。
「ぐぁっ!」
「下がれ!」
血。
怒号。
熱。
混乱。
レインは完全に飲まれていた。
何をすればいい。
どこを見ればいい。
頭が追いつかない。
怖い。
怖い。
怖い。
「レイン!」
セリナの声。
「後ろ確認!」
「は、はい!」
反射的に振り向く。
その瞬間。
岩陰から小型種が飛び出した。
ロッククロウラー。
二体。
速い。
レインは慌てて剣を抜く。
遅い。
怖い。
腕が震える。
「っ……!」
一体が飛びかかる。
レインは反射的に水弾を撃った。
暴発。
威力が大きすぎた。
轟音。
水塊が壁ごと吹き飛ばす。
ロッククロウラーは粉砕された。
だが。
衝撃で足場が崩れる。
「まずっ――」
前衛の一人が体勢を崩した。
そこへ。
グランドイーターの前脚。
轟音。
「がぁぁぁぁぁっ!」
男が吹き飛ばされる。
血。
鎧が潰れる音。
悲鳴。
空気が凍った。
レインの顔から血の気が引く。
自分のせいだ。
今の。
自分が崩した。
「治癒!」
「前衛引け!」
怒号が飛ぶ。
セリナが前へ出る。
炎を纏い、巨大種の進路を無理やり変える。
その姿は圧倒的だった。
一人だけ別格。
でも。
レインは動けなかった。
頭の中が真っ白だった。
自分のせいだ。
自分のせいで。
「レイン!」
再びセリナの声。
鋭い。
「止まるな!」
「っ……!」
身体が跳ねる。
でも。
手が震える。
魔力制御も乱れる。
視界が狭い。
怖い。
また失敗する。
また誰か傷つける。
その時。
「下がれ新人!」
誰かがレインを突き飛ばした。
直後。
岩片が落ちる。
もし遅れていたら直撃だった。
助けてくれたのはリオだった。
「何ぼーっとしてる!」
「……す、すみません……!」
「謝ってる暇あるなら動いて!」
リオは矢を放ちながら叫ぶ。
「右見ろ!」
レインは慌てて右を見る。
小型種。
三体。
後衛へ回り込もうとしていた。
レインは息を呑む。
怖い。
でも。
今度は。
逃げたくなかった。
「……っ!」
風弾。
小さい。
弱い。
でも狙う。
一体の軌道が逸れる。
「いい!」
リオが即座に射抜く。
もう一体へ。
今度は土壁。
不格好。
歪んでいる。
でも通路を塞いだ。
「そのまま維持!」
「は、はい!」
魔力が暴れる。
苦しい。
頭痛。
吐き気。
でも維持する。
小型種が足止めされる。
後衛が魔法を撃ち込む。
爆発。
殲滅。
「よし!」
誰かが叫ぶ。
レインは息を荒げた。
ほんの少し。
ほんの少しだけ。
役に立てた。
その瞬間。
巨大な衝撃。
グランドイーターが突進した。
「散開!」
隊列が崩れる。
レインも吹き飛ばされた。
背中を岩へ打つ。
「っぁ……!」
息が止まる。
痛い。
視界が揺れる。
その前を。
セリナが駆け抜けた。
速い。
圧倒的。
炎を纏い。
大剣を振るう。
巨大種の外殻が砕ける。
血飛沫。
熱風。
それでも止まらない。
セリナの肩から血が飛んだ。
「セリナさん!」
レインの喉が裂ける。
セリナは止まらない。
前へ出る。
踏み込む。
受ける。
斬る。
まるで一人で戦場を支えていた。
レインは唇を噛む。
悔しかった。
圧倒的に。
何もできない。
結局守られている。
自分は後ろで震えているだけだ。
セリナばかり傷ついている。
自分は。
何だ。
「レイン!」
セリナが叫ぶ。
「左脚!」
レインは反射的に鑑定を発動した。
巨大種。
左前脚。
亀裂。
内部損傷。
支点。
そこだ。
「左脚……付け根!」
叫ぶ。
「そこ脆いです!」
セリナの目が細くなる。
次の瞬間。
炎が爆ぜた。
彼女が跳ぶ。
超大型大剣。
赤熱。
渾身。
轟音。
巨大種の脚が吹き飛ぶ。
グランドイーターが崩れた。
「今だぁぁぁ!」
ガルムが吠える。
総攻撃。
火。
矢。
風刃。
斬撃。
爆音。
最後に。
セリナの大剣が巨大種の頭部を叩き割った。
静寂。
重い静寂。
誰もすぐには動かなかった。
荒い呼吸だけが響く。
「……終わったか」
誰かが呟く。
その場に崩れ込む冒険者たち。
血。
汗。
疲労。
レインも座り込んだ。
全身が震えている。
怖かった。
本当に。
そして。
悔しかった。
情けなかった。
セリナは血まみれだった。
肩。
腕。
脇腹。
傷だらけ。
それでも立っている。
強い。
綺麗だ。
でも。
こんな風に傷つけたくない。
守られてばかりいたくない。
「……っ」
レインの目から涙が落ちた。
自分でも分からないうちに。
悔しかった。
弱い自分が。
何もできない自分が。
「……レイン?」
セリナが近づいてくる。
少し驚いた顔。
「どこか怪我――」
「違うんです」
レインは俯いたまま言う。
「僕……」
声が震える。
「悔しいです」
静かな沈黙。
「……何もできなくて」
「……」
「守られてばっかりで」
「……」
「セリナさんばっかり傷ついて」
喉が苦しい。
「僕、全然……隣に立ててない」
セリナはしばらく黙っていた。
それから。
ゆっくり座り込む。
レインの隣。
近い。
血と鉄の匂い。
熱。
「レイン」
「……はい」
「悔しいって思えるなら」
セリナは静かに言った。
「あなた、ちゃんと前に進んでる」
レインは顔を上げる。
「本当にダメになる人は」
「自分が弱いことに慣れる」
「諦める」
「でもあなたは違う」
セリナは少しだけ笑った。
疲れた笑顔だった。
「今日、ちゃんと役に立ってた」
「……でも」
「私、一人じゃ崩せなかった」
レインは息を呑む。
「左脚、見つけたのあなた」
「……」
「助かった」
その言葉だけで。
胸が痛くなる。
嬉しくて。
苦しくて。
涙が止まらなかった。
セリナはそんなレインを見て、小さく息を吐いた。
「泣くほど悔しいなら」
銀髪が揺れる。
「もっと強くなれる」
その声は、とても優しかった。




