33:嘲笑
迷宮都市グランゼルの夜は騒がしい。
酒場。
怒鳴り声。
笑い声。
勝者の歓声。
敗者の呻き。
この街では、強さがそのまま価値だった。
迷宮へ潜る者。
生きて戻る者。
稼げる者。
守れる者。
そういう人間だけが胸を張れる。
弱い者は笑われる。
足を引っ張る者は嫌われる。
死体になる前に切り捨てられる。
それが現実だった。
冒険者ギルド《黒鉄の牙》。
夜の酒場スペースは特に空気が荒れている。
依頼帰りの冒険者たちが酒を飲み、今日の成果を語っていた。
その一角で、レインは静かに依頼書を整理していた。
最近はセリナの補助だけでなく、簡単な事務も覚え始めている。
素材換金。
依頼整理。
迷宮層ごとの利益率。
食料消費。
薬代。
宿代。
迷宮は戦闘だけでは成立しない。
物資と金がなければ冒険者は死ぬ。
セリナはそこを徹底していた。
「剣だけ振ってる奴は早死にする」
それが口癖だった。
だからレインも学ぶ。
必死に。
少しでも隣に立てるように。
その時だった。
「おい」
低い声。
レインが顔を上げる。
三人組の冒険者だった。
中堅クラス。
鎧も悪くない。
腕も立つ。
少なくともレインより遥かに強い。
「……はい」
「お前、《紅蓮姫》の腰巾着だろ」
周囲が少し静かになる。
レインの喉が詰まる。
「違っ……」
「違わねぇだろ」
男は笑った。
「最近ずっと一緒じゃねぇか」
「羨ましいねぇ」
「S級女に拾われるとか」
酒の入った笑い声。
レインの指が少し震える。
怖い。
こういう空気が苦手だ。
視線。
嘲笑。
軽蔑。
昔から慣れている。
でも慣れたくはなかった。
「……パーティです」
小さく言う。
「正式に組んでます」
「はっ」
男が鼻で笑う。
「お前みたいなのが?」
「何ができんの?」
「壁役? 無理だろ」
「前衛? 死ぬだけだ」
「女の後ろ隠れてる方が似合ってる」
周囲から乾いた笑いが漏れる。
レインは俯きそうになる。
でも。
最近は少し違った。
セリナが言っていた。
『胸張って立ちなさい』
その言葉を思い出す。
怖い。
胃が痛い。
逃げたい。
それでも。
「……僕は」
声が震える。
「ちゃんと役に立ちます」
一瞬、場が止まった。
冒険者たちは少し意外そうな顔をした。
以前のレインなら謝って終わっていた。
縮こまって消えそうになっていた。
今は違う。
弱いまま。
震えたまま。
それでも立っている。
「役に立つ?」
男が笑う。
「なら見せてみろよ」
その瞬間。
酒場の扉が開いた。
冷たい空気が流れ込む。
セリナだった。
銀髪。
長身。
圧倒的な存在感。
視線が一斉に集まる。
「……なにしてるの」
静かな声だった。
でも空気が張り詰める。
男たちが一瞬固まる。
「いや、別に」
「雑談っすよ」
「そう」
セリナはレインを見る。
震えている。
でも逃げていない。
ちゃんと立っている。
それを見て、セリナは少しだけ目を細めた。
「レイン」
「……はい」
「帰るよ」
レインが頷く。
その時。
男の一人がぼそりと言った。
「甘やかしすぎだろ」
空気が止まる。
セリナの足が止まった。
「……何か言った?」
声が低い。
温度が下がる。
男が少し後退る。
それでも酒が入っていた。
「いや、だって実際そうだろ」
「こんな新人連れて」
「どう考えても足手まといじゃねぇか」
セリナは少し黙った。
怒鳴らない。
暴れない。
その代わり。
視線だけが鋭かった。
「……そうかもね」
意外な返答だった。
レインが少し固まる。
「今は弱い」
「未熟」
「危なっかしい」
「目離すとすぐ無茶する」
レインが少し沈む。
でも。
セリナは続けた。
「でも」
真っ直ぐだった。
「こいつは逃げない」
酒場が静まる。
「怖がりながら前に出る」
「吐きながらでも立つ」
「それがどれだけ難しいか、分かってない奴が多すぎる」
誰も笑わなかった。
セリナの声には実感があった。
死線を越えた人間の重みがあった。
「強いだけの奴は腐るほどいる」
「でも」
セリナはレインを見る。
「折れない奴は少ない」
レインの胸が熱くなる。
苦しいくらい。
こんな風に言われたことがない。
男たちは気まずそうに黙った。
セリナはそれ以上何も言わない。
「帰る」
「……はい」
二人は酒場を出た。
夜風が冷たい。
石畳が濡れている。
少し前に雨が降ったらしい。
しばらく沈黙が続いた。
レインは俯いて歩く。
「……すみません」
結局それだった。
セリナが呆れたように息を吐く。
「最近減ったと思ったのに」
「でも……迷惑」
「迷惑なら組まない」
即答。
「それ何回言わせるの」
レインは黙る。
セリナは歩幅を少し緩めた。
「気にするなとは言わない」
「……」
「実際、今は釣り合ってない」
レインの胸が少し痛む。
でも。
セリナは続けた。
「でも、今だけ」
レインが顔を上げる。
「追いつけばいい」
簡単に言う。
でも。
その言葉はレインにとって救いだった。
「……追いつけますか」
「知らない」
「え」
「未来なんか分からない」
セリナは少し笑った。
「でも、今のお前なら可能性ある」
レインは息を飲む。
「可能性」
「無限魔力」
「吸収」
「その上で折れない」
「正直かなり危ない」
「危ない?」
「化けるって意味」
レインは少し困ったように笑う。
「自信ないです」
「知ってる」
「怖いです」
「それも知ってる」
セリナは視線を前へ向けた。
「でも前よりマシ」
その言葉が嬉しかった。
本当に。
少しずつ。
少しずつだけど。
変われている気がした。
市場通りへ出る。
夜でも屋台は明るい。
串焼き。
煮込み。
焼き菓子。
迷宮都市は夜でも腹を空かせた人間で溢れている。
セリナが足を止めた。
「食べる?」
「……はい」
「今日は甘いの」
レインが少し笑う。
「セリナさん、本当に好きですね」
「……うるさい」
少しだけ耳が赤い。
二人は屋台の焼き菓子を買った。
蜂蜜と木の実を使った甘い菓子。
温かい。
「美味しい……」
「でしょ」
セリナが少し満足そうに笑う。
その横顔を見ながら、レインは思う。
釣り合わない。
その通りだ。
今の自分はまだ弱い。
でも。
それで終わりたくない。
この人の隣で笑いたい。
守られるだけじゃなく。
支えられるようになりたい。
夜風が吹く。
街の灯りが揺れる。
迷宮都市グランゼル。
嘲笑の中でも。
少年の決意だけは、少しずつ強くなっていた。




