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28歳の最強お姉さん冒険者は、自己肯定感ゼロの俺を放っておけない  作者: 慈架太子


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30:少年の決意

 夜の雨が、石畳を静かに叩いていた。


 王都外縁区。


 迷宮都市グランゼル。


 昼間の喧騒は消え、酒場の灯りだけがぼんやりと滲んでいる。


 宿屋《灰狼亭》の二階。


 狭い部屋。


 古い木の机。


 濡れた外套。


 乾ききらない革靴。


 ランタンの火が揺れていた。


 レインは椅子に座り、黙って剣を磨いていた。


 安物の片手剣。


 刃こぼれ。


 細かな傷。


 何度も握った痕。


 少し前まで、この剣を持つ手は震えていた。


 今も怖い。


 戦闘は怖い。


 血も。


 悲鳴も。


 死ぬことも。


 全部怖い。


 それでも。


 以前とは少し違った。


 レインは静かに布を滑らせる。


 呼吸を整える。


 今日は迷宮で二人を助けた。


 まだ未熟だ。


 何度も足を引っ張った。


 セリナがいなければ全員死んでいた。


 それでも。


 自分は動いた。


 逃げなかった。


「……」


 剣に映る自分を見る。


 暗い顔。


 弱そうな目。


 姿勢も悪い。


 本当に頼りない。


 でも。


 少しだけ。


 本当に少しだけ。


 前より嫌いじゃなかった。


 部屋の扉が開く。


「まだ起きてた」


 セリナだった。


 銀髪が少し濡れている。


 湯気の立つ木杯を持っていた。


 甘い匂い。


「……それ」


「ホットミルク」


 レインが目を丸くする。


「飲む?」


「え、でも」


「今日は冷えたから」


 セリナが自然に差し出した。


 レインは受け取る。


 温かい。


 甘い。


「……美味しい」


「蜂蜜入れてる」


 セリナが少し視線を逸らした。


 レインは知っている。


 セリナが甘い物好きなのを。


 本人は隠しているつもりだ。


 でも最近は分かる。


 食後に甘い焼き菓子を選ぶ。


 疲れると糖蜜入りの紅茶を飲む。


 小さな変化。


 小さな癖。


 そういうものをレインは少しずつ覚えていた。


「……見た」


「なにをですか」


「昼」


 セリナは壁に寄りかかった。


「怪我人見てた時」


 レインが少し固まる。


「ちゃんと周り見えてた」


「……必死でした」


「それでいい」


 セリナは即答した。


「最初から余裕ある奴なんか信用できない」


 レインは少し笑う。


 本当に少しだけ。


 その笑みを見て、セリナの視線が止まった。


 最近。


 この少年はよく笑う。


 以前は怯えた顔しかしていなかった。


 謝って。


 縮こまって。


 消えそうな顔をしていた。


 今は違う。


 怖がりながら前へ出る。


 吐きそうになりながら剣を握る。


 震えながら立つ。


 それをセリナは知っている。


 だから。


 見てしまう。


 放っておけない。


「……レイン」


「はい」


「なんでそこまで頑張るの」


 レインが少し黙る。


 雨音が響く。


 静かな時間。


「……分からないです」


「分からない?」


「でも」


 レインは木杯を見つめた。


 湯気。


 温かさ。


 手の熱。


「このままなのが嫌なんです」


 小さな声。


 でも確かだった。


「ずっと怖くて」


「ずっと逃げて」


「何もできなくて」


 喉が少し震える。


「それが……嫌なんです」


 セリナは黙って聞いていた。


「今日も怖かったです」


「足止まりました」


「手も震えました」


「でも」


 レインはゆっくり顔を上げる。


「セリナさんが前にいると」


「逃げたくないって思うんです」


 静寂。


 セリナの呼吸が少し止まった。


 真っ直ぐだった。


 打算もない。


 媚びでもない。


 ただの本音。


 だから困る。


 セリナは視線を逸らした。


「……重いこと言う」


「すみません」


「そこで謝るのやめなさい」


 少し呆れた声。


 でも柔らかかった。


 レインは小さく肩をすくめる。


「……セリナさんは」


「なに」


「なんで僕を見捨てないんですか」


 その問いに、セリナは少し黙った。


 昔なら見捨てていた。


 弱い新人なんて珍しくない。


 死ぬ奴も山ほど見てきた。


 助けきれなかった。


 弟子も。


 仲間も。


 何人も。


 だから距離を置くようになった。


 情を持たないようにした。


 その方が楽だから。


 その方が壊れないから。


 なのに。


 この少年だけは駄目だった。


 震えながら立つ。


 吐きながら剣を握る。


 怖くても逃げない。


 その姿が。


 昔の誰かに似ていた。


 そして。


 誰より不器用だった。


「……見てられないから」


 セリナは小さく言った。


「危なっかしくて」


 レインが少し困ったように笑う。


「子供扱いしてます?」


「してる」


「二十歳です」


「精神年齢は十五くらい」


「ひどい……」


 レインが肩を落とす。


 セリナは少し笑った。


 自然に。


 本当に自然に。


 その笑顔を見て、レインの胸が熱くなる。


 綺麗だと思った。


 何度でも。


「……またそういう顔する」


「え」


「見惚れてる顔」


 レインの顔が真っ赤になる。


「ち、違……!」


「違わない」


 完全に読まれていた。


 レインは俯いて固まる。


 セリナは少し笑う。


 こんな時間が来るなんて思わなかった。


 昔は。


 もっと尖っていた。


 もっと冷たかった。


 誰にも近づかなかった。


 近づけば失うから。


 でも。


 今。


 この部屋は不思議と静かだった。


 苦しくない。


 無理をしなくていい。


 そのことにセリナ自身が戸惑っていた。


 雨音が続く。


 レインが小さく口を開く。


「……強くなりたいです」


 セリナが目を向ける。


「ちゃんと」


「隣に立てるくらい」


 その言葉はまだ幼かった。


 未熟だった。


 実力も足りない。


 経験もない。


 今のレインは弱い。


 本当に弱い。


 それでも。


 セリナは笑わなかった。


 否定もしなかった。


 この少年は本当にそこへ来るかもしれない。


 そんな予感が少しだけあった。


 無限魔力。


 魔力吸収。


 異常な成長性。


 危うい才能。


 でも。


 才能以上に。


 この少年は折れない。


 怖がりながら立つ。


 それが一番厄介だ。


「……じゃあ」


 セリナは腕を組んだ。


「明日からもっと厳しくする」


 レインが固まる。


「え」


「訓練増やす」


「……」


「泣く?」


「……が、頑張ります」


「よろしい」


 セリナは満足そうに頷いた。


 その横顔を見ながら、レインは思う。


 この人の隣にいたい。


 守られるだけじゃなく。


 支えられるだけじゃなく。


 並びたい。


 それは恋なのかもしれない。


 まだ名前もよく分からない感情。


 でも。


 温かかった。


 外では雨が降り続いている。


 冷たい夜。


 古びた宿。


 狭い部屋。


 それでも。


 二人の間には確かに熱があった。


 小さく。


 静かで。


 不器用な熱だった。







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