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28歳の最強お姉さん冒険者は、自己肯定感ゼロの俺を放っておけない  作者: 慈架太子


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28:小さな変化

 朝。


 灰狼亭の二階。


 小さな窓から差し込む光が、薄い布団の端を照らしていた。


 レインはゆっくり目を開けた。


 身体が重い。


 腕も脚も痛い。


 昨日の訓練の疲労が全部残っている。


「……痛い」


 声が掠れる。


 剣を握っただけで震えていた頃とは違う痛みだった。


 筋肉が壊れている。


 身体が訓練を覚え始めている。


 レインはぼんやり天井を見た。


 昨日。


 セリナに抱えられて宿へ戻った。


 思い出した瞬間、顔が熱くなる。


「うわ……」


 恥ずかしい。


 本当に情けなかった。


 でも。


 少しだけ嬉しかった。


 あんなふうに誰かに運ばれたことなんて、人生で一度もない。


 優しく扱われることにも慣れていない。


 だから余計に頭へ残っていた。


 レインはゆっくり起き上がる。


 窓の外を見る。


 宿の裏庭。


 洗濯物。


 朝露。


 木桶。


 そこに銀髪が見えた。


 セリナだった。


 もう起きている。


 井戸から水を汲み上げ、平然と大桶を運んでいる。


 レインは慌てて立ち上がった。


「っ……!」


 脚に力が入らない。


 よろける。


 壁へ手をついた。


「……弱い」


 自分で言って苦笑する。


 でも少し違った。


 前みたいな、全部を諦めた笑いではない。


 弱い。


 でも。


 昨日よりは進んでいる。


 それをセリナが見てくれている。


 それだけで、少しだけ耐えられた。


 着替えて下へ降りる。


 食堂にはまだ客が少ない。


 夜明け帰りの冒険者が数人、眠そうに酒を飲んでいた。


 厨房から良い匂いがする。


 焼いたパン。


 肉。


 スープ。


 腹が鳴った。


「起きた」


 声。


 振り向く。


 セリナがいた。


 白いシャツに黒いズボン。


 髪は軽く結んでいる。


 朝なのに妙に綺麗だった。


「お、おはようございます」


「おはよう」


 セリナは自然に席へ座る。


「歩ける?」


「なんとか……」


「筋肉痛」


「はい」


「ちゃんと効いてる」


 レインは少し笑った。


 セリナも少しだけ口元を緩める。


 宿の女将が朝食を持ってきた。


「ほらよ」


 厚切り肉。


 焼き野菜。


 スープ。


 黒パン。


 かなり量が多い。


 レインが目を丸くする。


「え」


「食べる」


 セリナが当然のように言う。


「筋肉壊したあと栄養入れないと意味ない」


「……はい」


 レインは必死に食べ始めた。


 昨日なら途中で胃が止まっていた。


 でも今日は違う。


 ちゃんと腹が減っている。


 身体が求めている。


 セリナはそんなレインを見ていた。


 小さな変化。


 本当に少しだけ。


 でも確実に変わっている。


 目。


 姿勢。


 食べ方。


 前より少し、生きようとしている。


 それが嬉しかった。


「レイン」


「はい?」


「今日は迷宮入る」


 レインの手が止まった。


 少し顔が強張る。


「……浅層ですか」


「第三階層まで」


 初心者なら十分危険だ。


 レインの喉が鳴る。


 怖い。


 また吐きそうになる。


 でも。


「……行きます」


 セリナは頷いた。


「無理はしない」


「はい」


「死にそうなら逃げる」


「はい」


「勝手に突っ込まない」


「はい」


「私から離れない」


「……はい」


 最後だけ少し声が小さい。


 セリナが少し笑う。


「なに」


「子供みたいだなって」


「迷宮では全員子供」


 セリナは真顔で言った。


「死ぬ時は簡単に死ぬ」


 食堂の空気が少し静かになる。


 重い現実。


 でもセリナは誤魔化さない。


 だから信用できた。


 朝食を終えたあと。


 二人は市場へ向かった。


 補給。


 水。


 保存食。


 簡易薬。


 迷宮へ入る前の準備は多い。


 レインは荷物を持ちながら歩く。


 以前より少しだけ背筋が伸びていた。


 それをセリナは気づいていた。


「……少し変わった」


「え」


「歩き方」


 レインは慌てる。


「へ、変ですか」


「前よりマシ」


 褒められているのか微妙だった。


 でも悪くない。


 レインは少しだけ嬉しかった。


 市場を抜ける。


 迷宮前広場へ出る。


 巨大な石門。


 地下へ続く闇。


 冒険者たちの怒号。


 武器の音。


 緊張感。


 レインの呼吸が浅くなる。


 怖い。


 胃が縮む。


 逃げたい。


 その時。


 軽く頭を叩かれた。


「っ」


 セリナだった。


「呼吸」


「……はい」


「吸って」


 吸う。


「吐いて」


 吐く。


「視線上げる」


 レインはゆっくり顔を上げた。


 迷宮を見る。


 巨大だった。


 暗い。


 怖い。


 でも。


 前より少しだけ。


 見られる。


「よし」


 セリナが歩き出す。


「行く」


「……はい」


 二人は地下迷宮へ入った。


 石の階段。


 湿った空気。


 冷たい壁。


 地下特有の臭い。


 レインは周囲を見ながら歩く。


 セリナの後ろ。


 一歩後ろ。


 でも以前より距離が近い。


 セリナは振り返らない。


 でもちゃんと分かっていた。


 レインが離れていないこと。


 震えていること。


 それでもついてきていること。


 第三階層。


 小型魔物の巣。


 薄暗い通路。


 遠くで鳴き声が響く。


 レインの肩が跳ねた。


「止まって」


 セリナが低く言う。


 空気が変わる。


 殺気。


 次の瞬間。


 影が飛び出した。


 牙。


 灰色の獣。


 ガルム。


「っ……!」


 レインが固まる。


 怖い。


 身体が動かない。


 セリナが前へ出る。


 火属性魔力が揺れる。


「見て」


「え」


「今は戦わなくていい」


 セリナが大剣を抜いた。


 空気が震える。


 重い一歩。


 次の瞬間。


 爆発的な加速。


 斬撃。


 火花。


 ガルムの首が飛ぶ。


 速すぎて見えなかった。


 レインは呆然とする。


 強い。


 本当に強い。


 恐怖より先に見惚れてしまう。


 セリナは血を払いながら戻ってきた。


「今の見た?」


「……はい」


「どう感じた」


 レインは少し考えた。


「無駄がない」


 セリナが少しだけ目を細める。


「ちゃんと見てる」


 前なら「すごい」しか言えなかった。


 今は違う。


 少しずつ見えてきている。


 それがセリナには嬉しかった。


「次はレイン」


「っ……」


 小型のガルムがもう一体。


 唸りながら近づいてくる。


 怖い。


 震える。


 吐きそう。


 でも。


 逃げたくない。


 レインは剣を抜いた。


 呼吸。


 視線。


 足。


 セリナの言葉を思い出す。


 ガルムが飛び込む。


「っ……!」


 怖い。


 本当に怖い。


 でも。


 レインは横へ避けた。


 以前より少しだけ速い。


 少しだけ冷静。


 その瞬間。


 頭の奥で鑑定が動く。


 筋肉。


 軌道。


 重心。


 一瞬だけ見えた。


「……そこ!」


 レインの剣が振られる。


 浅い。


 でも当たった。


 ガルムが怯む。


 次の瞬間。


 セリナの斬撃が魔物を両断した。


 静寂。


 レインは息を荒げる。


 膝が震える。


 怖い。


 でも。


「……当たった」


 セリナが近づく。


「初撃なら十分」


 その言葉に。


 レインの胸が熱くなった。


 小さい。


 本当に小さい変化。


 でも確かに前へ進んでいた。


 セリナはそんなレインを見て、静かに思う。


 この子は変わる。


 ゆっくり。


 不器用に。


 傷だらけになりながら。


 それでもきっと前へ進む。


 だから。


 隣で見ていたいと思ってしまう。


 その感情を。


 まだセリナは言葉にできなかった。







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