26:隣に立ちたい
昼前の市場は騒がしかった。
迷宮都市アルディアの中央通りには、人が絶えない。
冒険者。
商人。
荷運び。
鍛冶職人。
薬草屋。
迷宮から戻った血まみれの男たちと、これから潜る若者たちが同じ通りを歩く。
肉の焼ける匂い。
魚を捌く音。
怒鳴り声。
笑い声。
生きる音が重なっていた。
レインはその喧騒の中で肩を縮めて歩いていた。
人が多い。
視線が怖い。
身体が自然と小さくなる。
その隣をセリナが歩いていた。
長身。
銀髪。
背負った超大型大剣。
視線を集める女だった。
「あれ、紅蓮のセリナじゃないか」
「また新人拾ったのか」
「今度のは随分細いな」
そんな声が聞こえる。
レインは俯いた。
恥ずかしい。
情けない。
自分がセリナの隣にいるのが場違いに思える。
セリナは気にしない。
歩幅を少しだけ狭めて歩いていた。
レインに合わせている。
「薬草から行く」
「……はい」
「そのあと肉」
「肉?」
「ちゃんと食べないと身体できない」
現実的な言葉だった。
セリナは冒険を根性論で語らない。
筋肉。
睡眠。
水分。
栄養。
生き残るために必要なものを理解している。
薬草屋へ入る。
乾燥薬草の匂いが鼻を刺した。
店主の老婆がセリナを見るなり笑う。
「久しぶりだねぇ」
「切らす前に来た」
「そっちの子は?」
レインの肩が少し跳ねた。
人に話しかけられるのが苦手だ。
「……レインです」
「新人?」
「はい」
「死にそうな顔してるねぇ」
悪意のない言葉。
でもレインは苦笑するしかない。
「この子、無茶するから」
セリナが言う。
「目離すと倒れる」
「若い男は無理するもんだよ」
「限度がある」
店主が笑った。
セリナは薬草を選び始める。
手慣れている。
傷薬。
解熱草。
魔力鎮静の粉末。
迷宮で必要なものを迷いなく選別していく。
レインはその姿を見ていた。
強い。
綺麗だ。
でも。
どこか生活感がある。
戦場だけで生きている人間じゃない。
ちゃんと毎日を生きている。
それが妙に好きだった。
「レイン」
「っ、はい」
「これ持って」
薬草袋を渡される。
「ありがとうございます」
「荷物持ちくらい働いて」
「……はい」
少しだけ笑われた。
レインの胸が微かに温かくなる。
次は肉屋だった。
大きな角獣の肉が吊るされている。
炭火の匂い。
脂の音。
レインの腹が鳴った。
セリナがちらりと見る。
「腹減ってるわね」
「……すみません」
「そこ謝る?」
呆れたように言う。
でも嫌そうではない。
セリナは厚めの肉を選び、野菜も買った。
「今日はちゃんと食べる」
「僕、料理します」
「できるの?」
「少しなら」
セリナが少し驚いた顔をした。
「意外」
「一人暮らし長かったので」
「……そう」
その返事が少し静かになる。
レインは気づかない。
セリナは想像していた。
一人で食事を作る若い男。
誰とも喋らず食べる夜。
きっと静かだったのだろう。
レインは人に頼るのが下手だ。
多分、頼れなかった。
「なら今日は作って」
「え」
「食べたい」
レインが目を丸くする。
「僕の料理を?」
「そう」
「……あんまり美味しくないかも」
「死ななきゃいい」
セリナはそう言って歩き出した。
午後。
二人は宿へ戻った。
灰狼亭の裏庭。
洗濯物が揺れている。
レインは水桶を運びながら、少しだけ落ち着いていた。
こういう時間が好きだった。
静かだ。
誰も怒鳴らない。
セリナは洗濯物を干していた。
長い脚。
白いシャツの袖を捲っている。
色気がある。
でも本人は無自覚だった。
「見すぎ」
「っ!?」
レインが慌てて視線を逸らす。
顔が赤い。
セリナは少し笑った。
「本当に分かりやすい」
「す、すみません」
「だから謝らない」
レインは耳まで赤くなる。
セリナはそんな彼を見ていた。
変な男。
でも。
嫌じゃない。
むしろ安心する。
下心を隠そうとして失敗する男より、全部顔に出るレインの方がよほど信用できた。
夕方。
厨房を借りてレインが料理を始めた。
肉を切る。
野菜を刻む。
鍋へ火を入れる。
セリナは壁に寄りかかって見ていた。
「慣れてる」
「本読んで覚えました」
「本で?」
「料理の本、好きで」
レインは少し恥ずかしそうに言う。
「静かだから」
「料理が?」
「はい」
鍋を混ぜながら続ける。
「ちゃんとやれば、ちゃんと形になるので」
その言葉を聞いて、セリナは少しだけ目を細めた。
レインらしいと思った。
人間関係は分からない。
感情も苦手。
でも料理は裏切らない。
努力した分だけ結果になる。
だから好きなのだろう。
「……真面目」
「よく言われます」
「褒めてる」
レインは少し黙った。
褒められることに慣れていない。
鍋から良い匂いが広がる。
肉と野菜の煮込み。
香草。
少し濃いめの塩。
疲れた身体へ合う味だった。
二人で食べる。
静かな食事。
でも嫌な沈黙じゃない。
「美味しい」
セリナが言う。
レインの手が止まる。
「……ほんとに?」
「嘘つかない」
「……よかった」
その顔が少しだけ嬉しそうで。
セリナの胸が妙に締まる。
危ないと思った。
この感覚を知っている。
昔。
まだ若かった頃。
誰かを好きになり始めた時の感覚に似ていた。
だからセリナは茶を飲んで誤魔化す。
自分には関係ない。
そう思っていた。
恋愛なんて。
今さら。
戦場を知りすぎた。
人を失いすぎた。
幸せになれる人間じゃない。
そう思っていたのに。
「……セリナさん」
「なに」
レインが少し迷いながら口を開く。
「僕、強くなりたいです」
「知ってる」
「でも、守られるだけは嫌です」
セリナは黙って聞く。
「怖いです」
「今も」
「迷宮も」
「人も」
「戦うのも」
レインの声は震えていた。
「でも」
拳を握る。
「……隣に立ちたい」
静かな言葉だった。
愛の告白じゃない。
もっと不器用で。
もっと切実だった。
「背中じゃなくて」
レインは俯きながら続ける。
「隣に」
セリナは何も言えなかった。
胸の奥が熱い。
この男は本当に不器用だ。
多分、自分が何を言ったのか半分も分かっていない。
でも。
だからこそ真っ直ぐ刺さる。
セリナは目を閉じ、小さく息を吐いた。
「……難しいわよ」
「はい」
「私は強い」
「知ってます」
「重いし、面倒」
「……はい」
「それでも?」
レインは少しだけ顔を上げた。
怖そうな目。
でも逃げていない。
「それでもです」
セリナは笑った。
本当に困った男だと思った。
そして。
少しだけ嬉しかった。




