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28歳の最強お姉さん冒険者は、自己肯定感ゼロの俺を放っておけない  作者: 慈架太子


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25/63

25:触れた手の熱

 朝は静かに始まった。


 灰狼亭の窓から差し込む薄い光が、部屋の中をゆっくり照らしていく。


 昨夜の雨は止んでいた。


 石畳にはまだ水が残っている。


 外からは市場の準備をする音が聞こえた。


 荷車。


 鍋の音。


 パンを焼く匂い。


 迷宮都市アルディアは今日も生きている。


 レインは寝台の上でゆっくり目を開いた。


 熱は下がっていた。


 身体は重い。


 でも昨日よりずっと楽だ。


 そして最初に見えたのは、椅子に座ったまま眠るセリナだった。


 大剣を抱えるように置き、浅く眠っている。


 銀髪が朝日に透けていた。


 疲れているはずなのに、どこか綺麗だった。


 レインは少しだけ胸が苦しくなる。


 自分のせいだ。


 また迷惑をかけた。


 看病までさせた。


 役に立たない。


 弱い。


 その感情が胸の奥を重くする。


 その時。


「……起きた?」


 セリナが目を開けた。


 眠っていたはずなのに、反応が早い。


「す、すみません」


「まず謝る癖やめなさい」


 少し掠れた声。


 寝不足なのが分かる。


 セリナは立ち上がり、レインの額へ手を当てた。


 ひんやりした手。


「熱は下がったわね」


「……はい」


「頭痛は?」


「少し」


「吐き気」


「昨日よりマシです」


「そう」


 短く頷く。


 そして小さく息を吐いた。


 その表情を見て、レインは気づく。


 本当に心配していたのだと。


「……すみません」


 また言ってしまう。


 セリナは少しだけ眉を寄せた。


「だから謝らなくていい」


「でも」


「生きてる」


 その一言で会話を切る。


「それで十分」


 レインは黙った。


 その言葉が妙に胸へ残る。


 昔。


 誰かにそんな風に言われたことはなかった。


 失敗すれば怒鳴られる。


 迷惑をかければ嫌われる。


 役立たずなら切り捨てられる。


 それが普通だった。


 だから。


 生きているだけでいいと言われることに慣れていない。


 セリナは窓を少し開けた。


 朝の空気が入る。


「腹減ってる?」


 レインは少し考える。


 空腹感はあった。


「……はい」


「なら食べる」


 セリナは部屋を出ていく。


 レインは一人になった部屋で天井を見る。


 昨夜のことを思い出していた。


 暴走。


 炎。


 熱。


 そして。


 手を握られていた感覚。


 ぼんやりだった。


 夢かもしれない。


 でも温かかった。


 胸が妙に落ち着いた。


「……なんなんだろ」


 小さく呟く。


 分からない。


 恋とか、そういうものは。


 レインは経験がない。


 女とまともに話したことすら少ない。


 怖い。


 緊張する。


 どう接していいか分からない。


 でも。


 セリナが部屋からいなくなると、少し落ち着かない。


 数分後。


 セリナが戻ってきた。


 木盆の上には湯気の立つ雑炊があった。


「今日は軽いの」


「……ありがとうございます」


「薬草も入ってる」


 机へ置く。


 優しい匂い。


 肉と野菜の出汁。


 少しだけ腹が鳴った。


「食べられる?」


「はい」


 レインはゆっくり身体を起こす。


 その瞬間。


「待って」


 セリナが支えた。


 自然な動きだった。


 レインの肩へ手が回る。


 距離が近い。


 柔らかい香り。


 酒ではなく、石鹸と微かな薬草の匂い。


 レインの顔が熱くなる。


「……っ」


「?」


「な、なんでもないです」


 目を逸らす。


 セリナは少しだけ不思議そうな顔をした。


「熱ぶり返した?」


「違います」


「顔赤い」


「……」


 レインは何も言えなくなった。


 セリナは少しだけ笑う。


「本当に分かりやすいわね」


 からかうような声ではない。


 柔らかい。


 レインは余計に困る。


 雑炊を食べ始める。


 温かい。


 身体へ染みる。


 セリナは向かい側へ座り、茶を飲んでいた。


 静かな時間。


 宿屋の外は騒がしいのに、この部屋だけ別みたいだった。


「……昨日」


 レインが小さく言う。


「ん?」


「手、握ってましたか」


 セリナの動きが少し止まる。


「……覚えてるの」


「ぼんやりですけど」


「熱で苦しそうだったから」


 淡々と言う。


 でも少しだけ視線を逸らした。


 レインは器を見つめる。


 胸の奥が変だった。


 温かい。


 でも苦しい。


「……嬉しかったです」


 思わず出た。


 セリナが静かにレインを見る。


 レインは慌てる。


「ち、違うんです、その……」


「違わないでしょ」


「……」


「嬉しかったなら、それでいい」


 セリナは穏やかだった。


 レインは何も言えなくなる。


 こういう時、どう返せばいいのか分からない。


 沈黙。


 でも不思議と苦しくない。


 セリナはそんなレインを見ていた。


 本当に不器用。


 嘘が下手。


 感情を隠せない。


 でもだからこそ、言葉が真っ直ぐ入ってくる。


「……あなた、昔から一人だった?」


 突然の質問。


 レインは少し驚く。


「え」


「なんとなく」


 レインは少し考えた。


「……友達、あまりいなかったです」


「そう」


「気持ち悪いって、よく言われてました」


 セリナの目が少し細くなる。


「……見るからに不器用だから」


「……はい」


「でも、気持ち悪くはない」


 レインが顔を上げる。


「怖がりで」

「弱くて」

「面倒なくらい真面目」


 セリナは茶を飲みながら言う。


「でも、ちゃんと前に出る」


 レインは言葉を失った。


 そんな風に見られたことがない。


「……昨日も」


 セリナは続ける。


「本当は逃げたかったでしょ」


「……はい」


「でも剣振った」


 レインは黙る。


「怖くても動いた人間を、私は弱いと思わない」


 静かな声だった。


 でも強かった。


 レインの胸へ深く落ちる。


 セリナは立ち上がる。


「今日は休み」


「え」


「迷宮禁止」


「でも」


「禁止」


 有無を言わせない口調。


 レインは少し肩を落とす。


「……分かりました」


「その代わり」


 セリナは窓の外を見る。


「昼から市場行く」


「市場?」


「食料買う」

「薬草補充」

「あと洗濯」


 生活の言葉だった。


 戦いではない。


 でも、それが妙に嬉しい。


「……はい」


 レインは頷く。


 セリナはそんな彼を見て少しだけ笑った。


 そして。


 机の上へ手を置く。


「立てる?」


 レインも手を伸ばす。


 触れる。


 指先。


 掌。


 温かい。


 昨日感じた熱とは違う。


 安心する熱だった。


 一瞬だけ。


 二人とも動きが止まる。


 レインは鼓動が速くなる。


 セリナも微かに目を細めた。


 でも、どちらも何も言わない。


 言葉にしない。


 まだ名前のない感情だった。


 それでも。


 触れた手の熱だけは、確かに残っていた。







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