24:夜通しの看病
夜の雨は長かった。
迷宮都市アルディアの石畳を叩く音が、灰狼亭の窓越しに響き続けている。
宿屋の一室。
薄暗い灯り。
寝台。
熱。
荒い呼吸。
レインは苦しそうに身体を震わせていた。
額に置かれた濡れ布は、すぐにぬるくなる。
セリナは無言で布を取り替えた。
水桶には氷が浮かんでいる。
宿屋の主人が気を利かせて持ってきたものだった。
「……熱、下がらないわね」
静かな声。
返事はない。
レインの意識は半分沈んでいた。
身体の奥で火が暴れている。
吸収した炎。
奪った魔力。
それが馴染まず、暴走している。
セリナはレインの胸元へ手を当てる。
熱い。
火傷しそうなほどだった。
普通の発熱ではない。
魔力暴走。
下手をすれば身体そのものが耐え切れない。
「……本当に、無茶な能力」
セリナは小さく息を吐いた。
窓の外を見る。
雨。
暗い夜。
昔を思い出すには十分すぎる静けさだった。
昔。
まだ若かった頃。
自分にも弟子がいた。
強くなりたいと笑っていた少年。
真っ直ぐだった。
無茶ばかりしていた。
止めても前へ出た。
そして死んだ。
セリナが一瞬遅れたせいで。
「……嫌ね」
ぽつりと漏れる。
レインの寝顔を見る。
苦しそうだった。
怖がりで。
震えて。
吐いて。
情けなくて。
それでも逃げない。
だから余計に危うい。
セリナは立ち上がる。
机の上へ置いていた薬草を取り出した。
乾燥した青葉。
熱冷まし。
火属性暴走への抑制薬。
小鍋へ水を入れる。
携帯魔導コンロへ火を灯す。
赤い炎が揺れた。
料理は得意ではない。
だが、薬草煎じくらいはできる。
冒険者は自分で生き残るしかないから。
湯が沸く。
薬草の匂いが部屋へ広がった。
苦い匂い。
でも身体には効く。
セリナは木匙で静かに混ぜる。
その間も、時折レインを見る。
呼吸。
汗。
震え。
全部確認する。
まるで壊れ物を見るようだった。
「……なんでそんなに必死なの」
レインは答えない。
眠っている。
それでもセリナは言葉を続けた。
「強くなりたいのは分かる」
「でも、壊れたら意味ないでしょう」
少しだけ怒っている声。
心配している声。
その両方が混ざっていた。
薬が完成する。
セリナはレインを少し起こした。
「飲める?」
反応は鈍い。
熱で意識が曖昧だ。
それでもレインは微かに頷く。
「……すみません」
「謝らなくていい」
セリナは器を口元へ運ぶ。
レインは苦そうな顔をした。
「苦いです」
「薬だから」
「……」
「我慢」
レインは少しずつ飲む。
熱で震える手。
セリナは器を支え続けた。
全部飲み終えると、レインは力尽きたように寝台へ沈む。
「えらい」
自然に言葉が出た。
セリナ自身、少し驚く。
昔はこんなこと言わなかった。
誰かを褒める余裕なんてなかった。
生き残ることで精一杯だった。
でも今は。
この弱い少年が、少しずつ前へ進む姿を見てしまっている。
それが妙に胸へ残る。
夜は深くなる。
宿屋の喧騒も消えた。
廊下を歩く音も止む。
静かだった。
セリナは椅子へ座り、剣を膝へ置く。
巨大な大剣。
彼女の相棒。
何百という魔物を斬ってきた。
人も斬った。
仲間も失った。
裏切りも見た。
恋人だった男に利用されたこともある。
力が欲しかっただけの男。
セリナ自身ではなく、“S級冒険者”という肩書きだけを見ていた。
だから恋愛はやめた。
どうせ長く続かない。
戦場の人間は幸せになれない。
そう思っていた。
「……なのに」
視線がレインへ向く。
この少年は違う。
欲望が薄い。
不器用なくらい真面目。
誰かを利用する顔ができない。
だから余計に危なっかしい。
その時。
「……セリナ、さん」
レインがうわ言のように呟いた。
セリナが顔を上げる。
「何」
「……置いて、いかないで」
胸が少し痛んだ。
セリナは黙る。
レインは眠ったままだ。
夢を見ている。
きっと昔から置いていかれてきたのだろう。
弱くて。
気持ち悪いと言われて。
役立たずだと笑われて。
それでも必死に生きてきた。
セリナはゆっくり立ち上がる。
寝台の横へ座った。
そして。
熱い手を握る。
「行かない」
小さく言う。
「ちゃんといる」
レインは眠ったままだ。
それでも少しだけ呼吸が落ち着いた。
セリナはその顔を見る。
整った顔立ち。
自信がないせいで暗く見えるが、本来は悪くない。
年相応に幼さもある。
「……本当に、放っておけない」
呆れたように笑う。
雨音は続いている。
夜は長い。
セリナはそのまま看病を続けた。
布を替える。
汗を拭く。
水を飲ませる。
熱を確認する。
眠らない。
昔なら、ここまでしなかった。
死ぬ者は死ぬ。
冒険者とはそういうものだと割り切っていた。
でも今は違う。
死なせたくなかった。
その感情が、妙に重かった。
深夜を過ぎた頃。
ようやくレインの熱が少し下がり始める。
赤かった肌も落ち着いてきた。
呼吸も安定している。
セリナは小さく息を吐いた。
「……よかった」
本当に安心した声だった。
そして疲労が押し寄せる。
今日は迷宮。
戦闘。
全力疾走。
看病。
普通ならもう倒れている。
でもセリナは慣れていた。
ずっとそうやって生きてきたから。
それでも。
今日は少しだけ疲れていた。
椅子へ座る。
そのまま目を閉じる。
浅く眠る。
だが完全には眠れない。
冒険者の習性だった。
そして夜明け前。
レインがゆっくり目を開けた。
ぼやけた視界。
静かな部屋。
窓の外の薄明かり。
そして。
椅子に座ったまま眠るセリナ。
銀髪が揺れている。
疲れているはずなのに、まだ剣を手放していない。
その姿を見た瞬間。
レインは胸の奥が少し痛くなった。
また守られた。
また迷惑をかけた。
情けない。
悔しい。
でも。
嬉しかった。
一人じゃない。
その事実が。
今までの人生で、何より温かかった。




