23:高熱
地下迷宮一層。
湿った石壁から水滴が落ちる。
薄暗い通路には、青白い発光苔が張り付き、ぼんやりと周囲を照らしていた。
迷宮都市アルディアの地下迷宮。
その最下層には国を滅ぼす怪物すら眠ると言われている。
だが、一層は比較的安全だ。
新人冒険者でも入れる。
その代わり。
油断した者から死ぬ。
レインは緊張したまま歩いていた。
片手剣を握る手が汗ばんでいる。
隣を歩くセリナは普段通りだった。
背中の超大型大剣。
長い銀髪。
迷宮の空気に慣れきった足取り。
レインとは全部が違う。
「呼吸」
前を向いたままセリナが言う。
「止まってる」
「……すみません」
「謝らなくていいから吸って」
レインは慌てて息を整える。
緊張すると呼吸が浅くなる。
それをセリナはすぐ見抜く。
「今日は採取が主目的」
「……はい」
「戦闘は最低限」
「はい」
「無理しない」
「はい」
「返事は本当にいいわね」
少し呆れたように笑う。
レインも少しだけ口元を緩めた。
その時だった。
奥の暗がりで音がする。
ガリ。
ガリガリ。
骨を削るような音。
レインの身体が固まった。
「来る」
セリナの声。
次の瞬間。
灰色の影が飛び出した。
ゴブリン。
小柄。
痩せている。
だが目だけが異様に鋭い。
二体。
三体。
さらに奥から四体目。
レインの喉が鳴る。
怖い。
数が多い。
足が後ろへ下がりそうになる。
「落ち着いて」
セリナは静かだった。
「一体ずつ見る」
ゴブリンが飛び込む。
セリナの大剣が横薙ぎに走った。
一撃。
胴が裂ける。
熱を帯びた剣圧。
血が蒸発する。
強い。
圧倒的だった。
だが。
一体がレインへ向かってくる。
「っ……!」
レインは剣を構える。
震える。
怖い。
近い。
牙。
臭い。
殺意。
頭が真っ白になる。
「レイン!」
セリナの声。
その瞬間。
レインは反射的に剣を振った。
偶然だった。
軌道も甘い。
姿勢も悪い。
それでも刃はゴブリンの肩を裂く。
悲鳴。
レインの顔へ血が飛んだ。
熱い。
生臭い。
「ぁ……」
呼吸が止まる。
吐き気。
恐怖。
足が震える。
ゴブリンはまだ死んでいない。
狂ったように短剣を振る。
レインは後ろへ倒れた。
「危ない!」
セリナが踏み込む。
大剣が振り下ろされる。
轟音。
ゴブリンごと石床が砕けた。
静寂。
戦闘終了。
レインは床へ座り込んでいた。
息が荒い。
手が震えて止まらない。
「……大丈夫」
セリナがしゃがみ込む。
「呼吸して」
レインは必死に息を吸う。
「……ごめんなさい」
「死んでない」
「……」
「なら十分」
セリナは短く言う。
レインは俯いた。
情けなかった。
また守られた。
何もできない。
怖がって。
震えて。
倒れただけ。
「立てる?」
「……はい」
レインはゆっくり立ち上がる。
脚に力が入らない。
それでも立つ。
セリナはそれを見ていた。
何も言わない。
でも目だけが見ている。
逃げるか。
残るか。
その後。
二人は採取を続けた。
薬草。
青苔。
魔鉱石。
レインは鑑定を使いながら慎重に集めていく。
その時だった。
突然。
視界が揺れた。
「……っ」
熱い。
身体の内側が焼ける。
「レイン?」
セリナが振り返る。
レインは壁へ手をついた。
呼吸が苦しい。
熱。
異常な熱。
「……熱い」
「何が?」
「身体が……」
次の瞬間。
レインの掌から火が噴いた。
轟。
赤い炎。
制御不能。
石壁へ直撃する。
爆発。
「っ!?」
セリナが即座にレインを押し倒す。
熱風。
石片。
迷宮が揺れる。
「レイン!!」
セリナの声。
レインは呻いていた。
「ぁ……ぐ……」
熱い。
頭が割れそうだった。
魔力が暴れる。
身体の中で炎が荒れ狂う。
「……吸収した火属性が馴染んでない」
セリナはすぐ理解した。
「最悪……!」
レインの身体が赤く熱を帯びていく。
皮膚が焼けそうだった。
迷宮内で暴走すれば危険すぎる。
「帰る」
セリナは即断した。
レインを抱える。
軽い。
細い。
筋肉が少ない。
こんな身体で、必死に戦っている。
「……ごめん、なさい」
意識が朦朧とする中でレインが呟く。
「喋らなくていい」
「……また」
「今は黙って」
セリナは走った。
迷宮通路を駆け抜ける。
魔物が出る。
ゴブリン。
巨大鼠。
だが全部一撃。
炎を纏った大剣が道を開く。
その背中は圧倒的だった。
強い。
迷わない。
生き残ってきた者の動き。
地上へ出た頃には、レインの熱はさらに上がっていた。
街の人間がざわつく。
「おい、セリナだ」
「また無茶したのか?」
「違う、あの男……」
視線。
好奇。
嘲笑。
レインは薄れる意識の中でそれを感じていた。
惨めだった。
弱い。
役立たず。
守られてばかり。
セリナはそれら全部を無視した。
「道開けて」
低い声。
人混みが割れる。
灰狼亭へ戻る。
宿屋の主人が驚いた。
「おい!?」
「部屋借りる。水と氷」
「わ、分かった!」
セリナはレインを寝台へ寝かせる。
額へ触れる。
熱い。
異常だった。
「……っ」
レインが苦しそうに息をする。
汗。
荒い呼吸。
震え。
火属性魔力が暴れている。
セリナは舌打ちを堪えた。
想定より危険だ。
「どうして……こんな無茶な能力を持ってるの」
小さく呟く。
答える者はいない。
しばらくして宿屋の娘が氷を持ってきた。
セリナは礼を言い、扉を閉める。
布を濡らし、レインの額へ置く。
「……ぁ……」
「大丈夫」
セリナは静かに言う。
「死なせない」
レインの手が微かに動く。
何かを掴むように。
不安そうに。
セリナは少し迷ってから、その手を握った。
熱い。
火傷しそうなくらい。
でも離さない。
「……怖いか」
返事はない。
熱に浮かされている。
それでもレインの眉は苦しそうだった。
「……怖いわよね」
セリナは静かに言った。
「力って、怖い」
窓の外では雨が降り始めていた。
石畳を打つ音。
遠くの喧騒。
宿屋の灯り。
静かな部屋。
その中で。
最強の女冒険者は。
一人の弱い少年の手を握り続けていた。
見捨てないために。
壊させないために。
そして。
自分でもまだ気づいていない感情から、目を逸らすように。




