22:奪った炎
朝。
灰狼亭の窓から、鈍い光が差し込んでいた。
雨は止んでいる。
石畳にはまだ水が残り、行き交う荷車が泥を跳ね上げていた。
迷宮都市アルディアは今日も騒がしい。
冒険者。
商人。
荷運び。
鍛冶師。
朝から酒を飲む者までいる。
都市は、生きるために動いていた。
その喧騒とは対照的に、二階の客室は静かだった。
レインはゆっくり目を開く。
身体が重い。
熱は少し下がっていた。
額の布はもうぬるい。
椅子に座ったまま眠っていたセリナが目に入る。
銀髪が肩から流れていた。
腕を組んだまま、浅く眠っている。
長い脚。
鍛えられた身体。
それでも今は少しだけ疲れて見えた。
レインはゆっくり起き上がる。
その瞬間。
「起きた?」
セリナが目を開けた。
冒険者らしい浅い眠り。
「……すみません、起こしました」
「別に」
セリナは椅子から立ち上がる。
少し身体を伸ばした。
シャツ越しでも分かる筋肉の動き。
それなのに女性らしい柔らかさがある。
レインは慌てて目を逸らした。
「熱は?」
額に手が当てられる。
冷たい。
「……大丈夫です」
「顔はまだ死んでる」
「……」
「食べられる?」
レインは少し考える。
腹は減っていた。
だが、胃の奥が気持ち悪い。
「……少しなら」
「なら食べる」
セリナは即答した。
「食べないと治らない」
そう言って部屋を出ていく。
数分後。
戻ってきた時には木盆を持っていた。
湯気の立つスープ。
黒パン。
小さな焼き魚。
薬草茶。
「ほら」
机へ並べる。
質素な朝食だった。
でも温かい。
レインはゆっくりスープを口へ運ぶ。
塩味が身体へ染みる。
「……美味しい」
「そう」
セリナは酒ではなく、今日は普通に茶を飲んでいた。
少し珍しい。
「今日は休みますか?」
レインが聞く。
セリナは少し考えた。
「本当は休ませたい」
「……」
「でも、多分あなたは気にする」
図星だった。
昨日。
自分だけ倒れた。
足を引っ張った。
その感覚がまだ残っている。
「だから軽い依頼だけ受ける」
セリナが言う。
「迷宮の一層。薬草採取」
「……はい」
「無理したら帰る」
「はい」
「返事だけはいいわね」
少しだけ笑う。
レインも小さく笑った。
朝食を終えた後。
二人は準備を始める。
レインは剣を磨いた。
安物の片手剣。
刃こぼれもある。
それでも今の自分には大事な武器だった。
その時。
レインの手が止まる。
掌。
そこに微かに赤い光が揺れた。
「……っ」
熱。
一瞬だけ。
火みたいな感覚。
レインは息を止める。
「どうしたの」
セリナが気づく。
「……今」
「?」
「火が」
レインは掌を見る。
もう何もない。
だが確かに感じた。
オーガから吸収した力。
「……見せて」
セリナが近づく。
レインは少し緊張しながら掌を差し出した。
セリナはその手を掴む。
大きな手。
剣を握り続けた手。
傷跡が多い。
でも温かい。
「魔力流してみて」
「……はい」
レインはゆっくり魔力を動かす。
途端。
掌から火花が散った。
赤い火。
小さい。
弱い。
だが確かに火属性だった。
レインの目が見開かれる。
「え……」
セリナも少しだけ驚いていた。
「火属性……?」
レインには火属性適性はなかった。
鑑定でも出ていない。
なのに今。
火が生まれた。
「……奪ったのかもしれない」
セリナが静かに呟く。
「え」
「オーガの魔力」
レインの背筋が冷える。
奪う。
吸収ではない。
もっと直接的な響き。
「……そんな」
「まだ確定じゃない」
セリナは冷静だった。
「でも、あり得る」
レインは自分の手を見る。
怖かった。
知らない力。
勝手に増える能力。
どこまで行くのか分からない。
「……気持ち悪い」
思わず漏れる。
「レイン」
セリナの声。
「まだ制御できてないだけ」
「……」
「怖がるのは分かる」
「……」
「でも、怖いと思えるうちは大丈夫」
レインは顔を上げる。
「力に酔う方が危険」
セリナは真っ直ぐ言う。
「自分を怖がれなくなった時、人は壊れる」
重い言葉だった。
きっと経験から出ている。
「……セリナさんは」
「?」
「怖くなかったんですか」
セリナは少しだけ目を細めた。
「昔は怖かった」
「……」
「火属性って、制御失敗すると人焼くから」
そう言って少しだけ笑う。
「実際、街一つ燃やしかけたことある」
「!?」
「若い頃」
レインは絶句する。
この人でも失敗するのか。
「今でも怖いわよ」
セリナは窓の外を見る。
「だから毎日鍛える」
「毎日制御する」
「怖いから、向き合う」
レインはその言葉を聞きながら、自分の手を見る。
火。
奪った炎。
まだ小さい。
不安定。
でも。
確かにそこにある。
「……僕にも、できますかね」
「何が」
「ちゃんと扱うの」
セリナは即答した。
「できる」
「……なんで、そんなに」
「あなた、逃げないから」
短い答え。
でもレインには、それが嬉しかった。
昼前。
二人は灰狼亭を出る。
迷宮へ向かう道。
市場は賑わっていた。
焼き串の匂い。
パン屋。
薬草店。
防具屋。
生きる音がする。
レインは少しだけ歩幅を広げた。
セリナの隣へ近づく。
「……?」
セリナが横目で見る。
「いえ」
レインは少し視線を逸らす。
「今日は、ちゃんと歩こうかなって」
「そう」
セリナは少しだけ口元を緩める。
二人は並んで歩く。
まだ恋人ではない。
家族でもない。
師弟とも少し違う。
でも。
少しずつ。
確実に。
“二人で生きる時間”が積み重なっていた。
迷宮都市アルディア。
巨大地下迷宮によって栄える都市国家。
その石畳の上を。
最強の女と。
弱い少年は。
ゆっくり並んで歩いていく。




