21:吸収
三層から戻った夜。
レインは熱を出した。
灰狼亭の二階。
狭い客室。
窓の外ではまだ雨が降っている。
石畳を叩く雨音。
遠くの酒場の喧騒。
だが、レインには何もまともに聞こえていなかった。
「……っ」
熱い。
身体が燃えるみたいだった。
呼吸が苦しい。
汗が止まらない。
視界が揺れる。
ベッドの上で身体を丸めながら、レインは荒い息を吐いていた。
「はっ……ぁ……」
頭の奥で魔力が暴れている。
怖かった。
今までとは違う。
身体の中に知らない何かが流れ込んでいる感覚。
重い。
熱い。
気持ち悪い。
吐きそうだった。
部屋の扉が開く。
「レイン」
セリナだった。
湯気の立つ桶と濡れ布を持っている。
銀髪は少し乱れていた。
どうやら下で水を替えてきたらしい。
「……まだ熱い」
セリナはレインの額へ手を当てる。
冷たい手だった。
少しだけ安心する。
「……すみません」
「謝らなくていい」
セリナは濡れ布を額へ置いた。
冷たさが気持ちいい。
「昼から様子おかしかった」
「……」
「無理したでしょう」
レインは答えられない。
無理はしていた。
怖かった。
でも前へ出たかった。
守られたくなかった。
だから無理やり身体を動かした。
その代償みたいに、今は全身が壊れそうだった。
「……セリナさん」
「何」
「僕、変なんです」
セリナは黙って聞く。
「オーガと戦った時……」
レインは震える手を見る。
「身体の中に、何か入ってきた感じがして」
熱い。
今も。
魔力が暴れている。
「……吸った?」
セリナが静かに聞いた。
「え」
「魔力」
レインは息を止める。
分からない。
でも。
「……多分」
オーガへ剣を当てた瞬間。
一瞬だけ。
熱流みたいなものが身体へ流れ込んだ。
そして今。
それが暴れている。
「……そう」
セリナは少し考え込む。
「魔力吸収、かもしれないわね」
レインの胸がざわつく。
自分の異常な力。
無限魔力。
魔力吸収。
スキル強奪。
まだ何一つ制御できない。
「……気持ち悪いです」
正直な言葉だった。
「身体の中が、自分じゃないみたいで」
セリナは静かに椅子へ座る。
「怖い?」
レインは少しだけ黙る。
それから頷いた。
「……はい」
怖い。
迷宮も怖い。
魔物も怖い。
でも。
一番怖いのは、自分かもしれない。
こんな力。
普通じゃない。
いつか壊れるんじゃないか。
誰かを傷つけるんじゃないか。
そう思ってしまう。
「……化け物みたいで」
レインが呟く。
部屋が静かになる。
雨音だけが響く。
その時。
セリナが立ち上がった。
レインの前へ来る。
そして。
ぐしゃ、と黒髪を乱暴に撫でた。
「っ」
「変なこと言わない」
低い声だった。
「力持ってるだけで化け物なら、迷宮都市なんて化け物だらけ」
レインは目を見開く。
「怖がるのは分かる」
セリナは真っ直ぐレインを見る。
「でも、レインはまだ、人を助けようとしてる」
「……」
「怖くても前へ出た」
「……」
「それができるなら、まだ大丈夫」
レインの胸が少しだけ軽くなる。
セリナはまた額の布を替えた。
「今日は寝なさい」
「……すみません」
「だから謝らない」
セリナは少し呆れたように息を吐く。
「面倒見てるの、私が勝手にやってるだけ」
レインはぼんやりセリナを見る。
この人は、本当に見捨てない。
どうしてそこまでできるんだろう。
「……昔」
セリナがぽつりと呟く。
「弟子にも同じこと言われた」
レインの意識が少し戻る。
「……え」
「化け物みたいで怖いって」
セリナは窓の外を見る。
雨。
「火属性の適性が強すぎた子だった」
静かな声だった。
「制御できなくて」
「暴走して」
「周り傷つけて」
「ずっと怯えてた」
レインは何も言えない。
「私は、ちゃんと支えられなかった」
少しだけ苦い顔。
「だから死んだ」
部屋が静まる。
レインは胸が痛くなる。
この人は今でも、その死を背負っている。
「……ごめんなさい」
思わず言ってしまう。
セリナは少し笑った。
「レインの謝り癖、重症ね」
「……」
「別に、あなたのせいじゃない」
それから。
少しだけ目を細める。
「でも」
「……?」
「今回は、ちゃんと見る」
レインの心臓が少し跳ねる。
「暴走しても」
「怖がっても」
「逃げたくなっても」
「見捨てない」
その言葉は、熱に浮かされた頭でもはっきり聞こえた。
レインの目が熱くなる。
弱くて。
怖くて。
役立たずで。
それでも。
この人は隣にいてくれる。
「……なんで」
小さく漏れる。
「なんで、そこまでしてくれるんですか」
セリナは少し黙った。
簡単には答えない。
雨音。
静かな部屋。
そして。
「放っておけないから」
短い答え。
でも、それがセリナらしかった。
レインは少しだけ笑ってしまう。
「……それ、ずるいです」
「何が」
「嬉しくなるので」
一瞬。
セリナの目が止まった。
それから小さく息を吐く。
「熱で素直になってる?」
「……かもです」
「明日覚えてなかったら殴る」
レインは弱々しく笑った。
セリナも少しだけ笑う。
その空気が心地良かった。
怖いものは消えない。
迷宮も。
力も。
自分自身も。
それでも。
一人じゃないと思えた。
その夜。
レインは初めて、少しだけ安心して眠った。




